#07 システム更新
ポータルを抜けると、そこは火事場だった。
……つい先ごろ、次元回廊のボスエリアから、メクメクの手を取り、二人同時に空間転移ポータルへ踏み込んだヤタロー。
たちまち視界が真っ白になり、体感時間にして一秒、あるかなしか――全身の感覚が失われた。
視界が回復すると。
眼前、一面の猛火が迫っていた。
「なんじゃこりゃあ!」
あまりな状況に、動揺を抑えきれず、つい、口走ってしまった。
一見、木造の屋内らしきことだけは、かろうじて把握できる。四方を炎に囲まれていることも。
どう見ても火事場。その真っ只中。
燃えさかる炎と、噴き上がる黒煙のなか、ヤタローはひとり、立ちつくしていた。
隣りにいるはずのメクメクの姿は、どこにもなかった。握っていた手の、小さく儚い感触は、まだ残っているというのに。
天井から、真っ赤な火の粉が、ばらばらと降り注いでくる。
(……熱くないな?)
炎に直接触れていながら、火傷はおろか、髪ひと筋、焦げる気配すらない。
せいぜい、ぬるい温風に当たっている程度の感覚だった。
煙も渦巻いているが、それで息苦しいということもない。
ヤタローは、急ぎ自身のステータスを参照してみた。
種族は
炎や煙によるダメージは、装備中の防具「LV85叡智」の固有効果――「属性ダメージ無効」によって打ち消されているらしい。
無効といっても完全なものではないが、一定値以下の火、水、風、土に由来する様々なダメージを大幅に軽減する防御効果が常時発動している。
フレンド欄には、メクメクがログイン状態で健在だった。
ただし、チャットが使用不可となっている。
もともとゲームでも、フレンドとのプライベートメッセージ機能は双方が視認可能な同一エリア内……ある程度、近い座標にいないと通じない仕様だった。
すなわち。
(はぐれた……)
互いにチャットが通じないほど離れているらしい。
とすれば、まず、どうかしてメクメクを探し出し、合流するのが急務ということになろう。
自分自身のことはともかく……こう右も左もわからない状況で、中学生ぐらいの女の子を一人放置しておくわけにはいかない。
いくら彼女もゲーム内では最強クラスのプレイヤーだったとはいえ、どこにいかなる危険があるか、わかったものではないのだから。
(システムログに、なにか記録が残ってないか?)
と、「設定」欄からログを参照してみると、転移直後……つまり、つい今しがた、システムの更新が実行されたらしく、その内容について列記されていた。具体的には、パートナーの複数同時召喚の解禁、フレンドリー・ファイアの解禁などである。
ゲーム内ではパートナーは同時に一体しか召喚できなかったが、その制限が解除され、何体でも同時に召喚して連れ歩ける仕様となったらしい。
また、「ルミエル」のシステム上、PKなどの対人戦闘は存在せず、プレイヤーやNPCを攻撃することは不可能だったが、それらも可能になったということである。
(……ゲーム的な不自然を排除した、ということか)
わざわざ、そうした制限が解除されたということは、逆にいえばこの先、対人戦闘も起こりうるということだろう。パートナーが複数必要となるような厳しい状況も、今後はありうるのかもしれない。
システムログに、メクメクに関する情報は記載されていなかった。自力で探すほか、手段はなさそうである。
炎のはぜる音に入り混じって、屋外からは、馬蹄の響き、悲鳴や怒号、激しく争う物音などが聴き取れる。
屋内は視界一面、業火と煙に覆われている。外の状況も、なにやら物騒な気配。
(状況がわからん。何があってもいいように、一応、武器は出しておくか――)
インベントリーから「LV20カタルシス92F」を選択し、右手に装備する。
外観はベレッタ92Fに酷似した、黒い銃身の自動拳銃である。射出するのは実弾ではなく非実体、非殺傷設定の魔力弾であり、命中対象がLV20未満であれば、一時的な
非実体弾ゆえ、防具、衣服、毛皮など、あらゆる物理障壁を素通りし、命中対象に直撃する。
ゲームでは、誤操作などでフィールドモンスターとうっかり敵対状態に陥った場合に使用する武器だった。
命中しても気絶するだけでダメージはなく、回復後は敵対状態から通常状態に戻っている。
とはいえ非殺傷、なおかつLV20以上の対象には一切効果がないため、ダンジョン等での高レベル戦闘では実用性皆無。低レベルモンスターたちをあえて傷つけぬように……という、ほぼ自己満足レベルのロールプレイ用装備である。
同様の効果を持つ装備は、短剣や弓矢、金属バットなど、複数の武器種が存在し、「カタルシス・シリーズ」と総称されている。
いずれも有料ガチャのハズレ枠として排出されるため、一応、課金装備の範疇であった。
とくに自動拳銃タイプの92Fは、モーションディレイがきわめて小さく、長射程で連射もきくため、シリーズのなかでは使い勝手に優れていた。
対人戦が解禁されたとはいえ、いきなり殺傷力の高い武器を振りかざすのは、やはり気が引ける。非殺傷設定のカタルシス92Fならば、なにか間違いが生じても、致命的な事態を招くことはないはずである。
ただ、現在の状況で、ゲーム内アイテムがゲームと同じ効果を発揮するかどうかは、実際に試してみなければわからない。
(ともあれこれで様子を見よう。使わずに済むなら、それに越したことはないが)
黒い銃身を携え、ヤタローは炎の中へ踏み込んだ。
おびただしい熱波に煽られながら、一歩ずつ前進し、屋外を目指す。
やがて壁面の一角が、音を立てて燃え崩れはじめた。
(あそこから――)
外へ向かう。
焼けた壁材や柱の残骸を踏み越え、壁際まで到達し、屋外の様子をうかがう。
真っ先に視界に飛び込んできたものは。
路上。
皓々たる炎に照らされ、幼い子供が倒れ込んでいた。
すぐそばには、母親と思しき女性が、男たちにねじ伏せられている様子。
泣き叫ぶ子供。子の名を呼ぶ母の、悲痛な叫び。
それかあらぬか、西洋甲冑をまとう兵らしき大男が、子供の身に覆いかぶさるように、にじり寄ってゆく。
ヤタローは、躊躇なく、甲冑兵を撃った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
課金したものだけが運営に石を投げなさい。(LV98アストラリスト)
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