#06 黒い悪魔


 平原から山麓へとかかる盆地帯。


 わずか三十戸ばかりの、ひなびた村落。


 住民らは、たびたび、付近を横行する野盗山賊のたぐいに脅かされてきた。


 人買い、人攫い、暴行、空き巣、強盗……毎年の被害をあげれば、きりがない。


 それでも、なお人々の暮らしは営々と続いていた。


 貧しく痩せた土地であろうと、それにしがみつく以外に、人々には、生きてゆくすべがない。逃げるあてなど、どこにもなかった。


 ある晩夏の夜。


 武装した集団が平原より押し寄せ、村へ襲い掛かった。


 それまで例にない規模の襲撃だった。


 村の家々は炎に包まれた。


 襲撃側の総数は五十人以上。いずこの国、いずこの勢力とも知れぬ旗幟を掲げた兵士の群れが、鉄の甲冑に剣槍鉾刃をきらめかせ、ところかまわず火をかけて回り、略奪殺戮をほしいままにした。


 ――軍隊だ!


 と、住民の誰かが叫んでいた。


 ――逃げろ、逃げろ、みんな殺される!


 とどろく馬蹄、足音。逃げ惑う人々、湧き起こる悲鳴絶叫。


 凶刃は縦横に閃き、血煙が熱風に巻き上がる。


 炎上する小屋から、かろうじて屋外へ転び出てきた一家がある。


 ちょうど、兵士の一隊が通りかかり、たちまち夫は暴兵の槍先に刺し貫かれた。


 母親は足を挫き、幼い娘を抱えたまま倒れ込む。


 怯える母親と、幼い娘――。


 兵士二人が、まず左右から母親をねじ伏せ、むりやり首枷をはめ込んだ。奴隷として売るつもりなのだろう。


 夫は血まみれで地に転がり、瀕死の呻きをあげるばかり。


 泣き叫ぶ娘。娘の名を呼ぶ母。


 娘のもとにも、枷を手にした兵が一人、にじりよってゆく。


 幼い娘の瞳が、絶望に曇りかけた、そのとき。


 一発、乾いた破裂音が響いた。


 娘を押し伏せようとしていた兵が、朽ち木の折れるごとく、その場に打ちたおれた。


 幼い娘は、見た。


 渦巻く業火の只中から――夜闇を凝集したかのごとき黒い人影が、ゆっくり歩み出てくるさまを。


 さながら炎のうちから滲み出してきたように、その人影は、静かに土を踏みしめ、悠然と姿をあらわした。


 長身黒髪の男。


 炎に照り映える青銀の衣。黒い外套が熱風にはためき、巨鳥の羽ばたきを思わせる影を地面に投げかけている。


 右手には、黒い短筒のごときものを握っていた。


 その短筒が火花を噴くたび、けたたましい金属音とともに、娘と母親の周囲に群がる兵がひとり、またひとりと、ばたばた地に崩れ落ちてゆく。


「なんだっ、どうなってる?」


「誰だっ、あれは」


 兵らは異変に気付いた。


 炎の中から現れた怪しい人影が、怪しい道具で同僚らを攻撃し、一方的に打ち倒している――たちまち兵らは狼狽うろたえはじめた。


「なッ、何奴なにやつか!」


 部隊長と思しき騎馬の兵が、馬上、手槍を構え、黒い影に刃を向けた。


 同時に、残兵五人ばかり、慌てて母娘のそばを離れ、部隊長の左右へ集まった。おのおの槍や剣を構え、怪しい人影に対峙する。


「おのれ、怪しい奴め! 刃向かうか!」


「そこで止まれ、怪しい者よ!」


「その怪しい道具を捨てろ! 怪しい奴!」


 兵らの口々の呼びかけに、長身黒髪の男は、わずかに眉をひそめつつ、無言で短筒を構えなおした。


 続けざまに破裂音が鳴り響いた。居並ぶ兵らは、対応する暇すら与えられず、糸の切れた操り人形のように倒れてゆく。


 最後に残るは、騎馬の部隊長ただ一人。


 燃え盛る炎を背に、男は、漂う硝煙をまとい、なお無言のまま、静かにそこから一歩を踏む。


「う――よ、寄るなぁ! 化け物ぉ!」


 部隊長は、恐慌のあまり馬から転げ落ち、地を這って、射線から逃れんとした。


 その無防備な背へ向けて、男の短筒が火花を噴く。


 部隊長はその場にくずおれた。


 ……幼い娘は、息を殺して、その一部始終を見ていた――土にまみれ、地にうずくまって、母にしがみつきながら。


 兵士らを打ち倒した、おそろしい黒い影が振り向き、ゆっくり、自分たちのもとへ歩み寄ってくる。


 幼い娘は、あらためて、その不気味な姿に、目を見張った。


 炎を負った闇の化身。


 さながら、村に伝わるおとぎ話に聞いた――。


「あくま……」


 幼い娘の目には、そのように映っていた。


 呼び出せば、その邪悪な力で、どんな願いも叶えてくれる――ただし、代償として、魂を売り渡さねばならない。


 そうして人の魂を狩り集める、地獄の悪魔に。


「……そう見えますか」


 男は、つと足を止めると、短く呟いた。


 肯定も否定もせず、幼い娘を静かに見おろす。


 ――幼い娘は、震える瞳に涙をためて、懇願しはじめた。


「おとうさんと、おかあさんを、たすけて」


 縋るような目で訴えかけてくる。


「かわりに、わたしのタマシイ、あげます。なんでもします。だから……!」


 男は、いささか辟易した面持ちで、じっと娘の顔を眺めた。


 やがて、何を思ったか、懐中に手をやり、青い陶器の小瓶を取り出した。


「取引成立……と、しておきましょう」


 告げつつ、青い小瓶を、瀕死で打ち倒れたままの父親の背へ、軽く放り投げた。


 次の瞬間――。


 青白い燐光が、父親の全身を包み込んだかと見えるや、何事でもないように、父親はむくりと身を起こした。


「おとうさん!」


 幼い娘が、慌てて父親のもとへにじり寄る。


 父親は、不思議そうな顔で座り込み、身体の状態をあらためていた。


「どうなってるんだ、これは」


「おとうさん、ケガは? いたくない?」


「ああ、どこも痛くない……」


「よかった! おとうさん! おとうさん!」


 娘は、父親にしがみつき、声をあげて泣いた。


 次いで、男は赤い小瓶を、母親へとほうった。


 煙のような燐光が母親の両足を覆い、ほどなく消え去る。


「あ……」


 母親は、呆然たる顔つきで、男の姿を見上げた。足はすでに治癒し、動けるようになっている。


 続いて、男は、なにやら呪いのような文言をささやく。


「ブレイク・マテリアル」


 いかなる魔術か、見る間に、母親に嵌められていた首枷が、粉々に砕け散った。


「これで問題ないでしょう」


 仕事は済ませた……とでもいうように、男はあらためて、親子三人と向き合った。


「助けてくださって、ありがとうございます」


「助かりました」


「ありがとう……」


 口々に礼を述べる親子へ、男はなぜか不機嫌そうに目を伏せつつ――。


「話は、後ほど」


 揺れる業火の向こうより、新たな馬蹄の響きが複数、こちらへ近付きつつある。


 まだ終わっていない。そう判断したのか、男は、黒い外套をひるがえすと、再び短筒を手に、悠然、彼方へと踏み出した。


 その背へ投げかけられる、幼い声。


「ありがとう、あくまさん!」


 ――男は、声に応えることなく、無言で歩み去った。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

オレはルミエルに感謝している。プレイヤーにならなければ猟奇的殺人者になっていたから……。(LV97カーディナル)

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