#05 未知への一歩


 ゲームのはずだった。


 ……はずだったが。


「やっぱり、生身ですよね、これ」


 メクメクが戸惑い顔で呟く。


「感触も匂いもあるし……痛みも」


 両手をぶんぶん振り回したり、手のひらの匂いをかいでみたり、二の腕を軽くつねってみたりと、メクメクは自身の状態確認に余念がない様子。


 ヤタローのほうでも、自身の心臓の鼓動や、手首の脈、体温など確かめていた。それらはすべて正常のようである。


 肌に感じる空気は、やや淀んでいる。手や額には、かすかに汗が滲んでいた。


 なにより、二人の外見は、デフォルメされた3Dモデルではない。


 ヤタローは、青銀の胴衣に黒い外套をひっかけた、やや長身の日本人……二十代後半程度、割とどこにでもいそうな容貌の成人男性が「そういうコスプレ」をしているような状態だった。


 一方メクメクは、小柄な日本人の少女。一見、中学生ぐらいの背格好で、きらびやかな白金のガウンをまとい、背中に大きな羽翼を負っている。


 よくよく見ると、頭上には直径二十センチほどの白いリング状の光……天使の輪エンジェルハイロゥが浮き輝き、両足が地面からわずかに離れて、その身体は、ふわふわと宙に浮遊した状態になっている。


 ようするに、ここにいるのはデジタルデータのアバターではなく、プレイヤー本人の肉体であるらしい。


 ただし、ゲーム内で設定されていた種族特性や武具服装などは、ほぼゲームと同様に、外見にも反映されているようだった。


「……身体は生身のようですが、いろいろと、ありえないものが見えていますよ」


「あー、ヤタローさんもですか。実は、わたしも見えてます……ヤタローさんのステータスとか。右上のほうに」


 二人の視界には、互いのプレイヤーネームをはじめ、いくつかの簡略化情報が表示されたウィンドウが浮かび上がっていた。


 視界の最上部と左下部には複数のアイコンが並んでいる。いずれも「ルミエル」のゲーム内で表示されていたものと同一の意匠と配置だった。


 スキルやモーションのショートカット、インベントリーの参照、AIパートナーコマンド、フレンド申請、テキストチャットの起動などに用いるものである。


 もっとも、それらのアイコンを介さずとも、所持品の取り出しやスキルの使用などは感覚的に実行可能らしい。


 さきほどの「ジェスターストライク」の発動や、クロノスタンパーをポーチに収め、リンゴを取り出すなどの動作を、ヤタローはとくに意識することなく、当たり前に実行できた。


 パートナーへの指示なども、アイコンによらずに、自然に意思疎通できている。


 一方、ゲームに存在したアイコンのうち、三つの重要なものが、ここでは見当たらなくなっていた。


 運営メール、GMコール、ログアウトである。


「GMを呼べない、通知も見られない、ログアウトもできない……その方法もわからないとは」


「わたしのほうも、同じ状態です。困りましたね」


「まあ、それ以前に……なぜ生身の状態なのか、というのが」


「いつの間にか寝落ちして、二人で同じ夢をみてる、とか」


「さすがに、これは夢とは思えないですよ」


 ――なぜ、こんなことになったのか?


 二人は、同時に困惑の溜め息をついた。傍らには、床にうずくまる、もはや本物の大型獣にしかみえない金毛九尾と、その黄金の体毛に全身埋もれてご満悦な、インド貴族風美少女アカラナータ。


「なー、おぬしら!」


 そのアカラナータが、溌剌はつらつたる声を投げかけてきた。


「何を悩んでるのか知らぬが、トビラが出ておるぞ! 行かぬのか?」


 アカラナータがさし示す先には、床に両膝をつき、動かなくなった「ボル」の灰色の巨体。


 その足元に、ぼう……っと、白い光の塊が浮かび上がっていた。


 ゲーム内でもよく見かけた、空間転移ポータルのエフェクトである。


 従来の次元回廊のパターンでは、エリアボスの攻略が完了すると、フロア内のどこかの隠し扉が開放され、その扉の向こうに下層へと続くポータルが出現していた。


 倒したエリアボスとほぼ同座標に、新たなポータルが開くなどという事例は、これまで一度もなかった。


 どうすべきか――ヤタローは、判断に迷った。ただでさえ異常な現状に加えて、未知のポータル。


 素直にここから先へ進むべきなのか。あるいは、いま少しここにとどまり、状況の変化を待つべきかもしれない――。


 それ以前に、NPCであったはずのアカラナータが、ゲーム内では設定されていない言葉を語り、まるで生身の少女のように、ごく自然に振舞っている点にも、今更ながらにヤタローは驚き戸惑っていた。


 そこへ――。


「あー! ラナちゃん、ずっるーい!」


 いきなりメクメクが素っ頓狂な声をあげた。


「九尾たんは、わたしのだよー! わたしも、それ、やりたいー!」


 叫びつつ、メクメクはヤタローのもとを離れ、宙を浮遊して、金毛九尾の背へ飛び込んだ。


 金毛九尾は、体高が人の身長ほどもある巨大な狐の妖怪である。メクメクの小さな身体をすっぽりと受け入れて、なお余裕があるほど、その黄金の毛並みをもつ背中は、広く大きかった。


「あっはー! いいにおいー! 感触たまんないー! ほんとこれ、もっふもふぅー! すっごいよ、ナマ九尾たんだよ! もっふもふ☆だよぉー!」


「ああっ、主よ……! おおうふっ、そ、そこはっ、いけませ……あふぅん……」


 金毛九尾の背に全身で抱きつき、大はしゃぎのメクメク。金毛九尾もなんだか喜んでいる。


(……現実逃避か、それとも天然なのか)


 やっとる場合か――とは思いながらも、あえて口には出さないヤタローだった。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 現状考えうる、取るべき選択肢は三つ。


 ひとつは、ここにとどまり、なおしばし状況を見極めるという消極的選択。


 ふたつ目は、ボス部屋から来た道を引き返し、回廊八十八階層のスタート地点へ戻ってみるという選択。そこには、回廊八十七層終点、もしくは回廊出入口への転送を選択できるポータルが存在しているはずだった。


 ただし、この状況下で、そのポータルが現在も稼動しているかどうかはわからない。さらにいえば、そこから地上へ戻ったとして、それで事態が好転するという保証もなかった。


 最後に、「ボル」の足もとに出現した、新たなポータルへ踏み込むという選択。


「ラナ。そのポータルの行き先に、なにか心当たりが?」


 NPCである彼女が、知るわけがない……とは思いながらも、一応、ヤタローは訊いてみた。


「んん? 知らぬぞ?」


 アカラナータは、きょとんとした顔つきで答えた。


「でも、もう他に道はないぞ!」


「どういう意味ですか」


「具体的な行き先については、私たちにもわかりません」


 困惑気味なヤタローへ、今度は金毛九尾が穏やかに答えた。まだ背にメクメクを乗せたまま。


「ただ……いま私たちがいるこの場所は、ずいぶん不安定な状態のようです。長く留まるべきではありません」


 金毛九尾は、軽く頭をもたげた。


 その視線の先――ヤタローたちがくぐってきた、次元回廊通路への出入口があったはずの場所。


 出入口は消失していた。いまや黒いスチールの無機質な壁面が、このドーム状空間の四方を完全に囲み、封鎖している。


 どころか、ドームそのものが、先ほどより縮小し、全体に狭まってきている。


「うそ……だんだん天井が降りてきてる?」


 金毛九尾の背で、驚声をあげるメクメク。


「迷う暇もない、ということですか」


 事態は思ったより深刻らしい――ヤタローは、苦い顔つきで周囲を振り仰いだ。


 退路はすでに絶たれた。そればかりか、この空間自体、いずれ丸ごと消えかねないという状況。


 結局、進む以外に道はないらしい。


「行くしかないですね」


「そうですね……」


 ――二人とも、急ぎ決断せざるをえなかった。


 まず、パートナーたちには、インベントリーに戻ってもらうこととした。


 収容することで、パートナーたちの体力と精神力は急速に自動回復する。今後の備えとして、万全な状態で待機させておくべきとの方針で二人は一致した。


「しょーがないなー。ヤタロー、なにかあったら、すぐ我を呼ぶのだぞ!」


「承知しました、主。またいつでもお呼びください」


 アカラナータと金毛九尾は、そう言い残すと、煙のように、かき消えた。


(……ここの台詞も、ゲームとは違うんだな)


 ヤタローがインベントリーを確認すると、他のアイテム類とともに、アカラナータの召喚アイコンが収納されていた。


 NPCでありながら「生身」となったパートナーたちは、ゲームのときとは明らかに異なる挙動や言動を見せている。


 それでいて、インベントリーへの収納、呼び出し可能というシステム部分だけは、ゲームのときとまったく同じ形で適用されていた。


(……本当に、何がどうなってるのやら)


「ヤタローさん」


 首をかしげるヤタローのもとへ、メクメクが、ふわふわと近寄ってきた。


「どうしました?」


「あの……一緒に、行ってくれますか?」


「一緒……ああ、二人で同時にポータルをくぐる、ということですか」


「はい。そうしないと、はぐれちゃうかもしれないので……」


「なるほど。考えることは同じ、と」


 異様な状況に巻き込まれているとはいえ、必ずしも二人が行動をともにすべきという制約はない。それぞれの判断で個別にポータルへ踏み込むという選択肢もある。


 もっとも、ヤタローとしては、どう見ても年下の少女であるメクメクを放置して、自分だけ先へ進もうなどとは、毛頭考えていない。


 メクメクのほうでも、ヤタローとの同行を望んでいるようである。


「では、一緒に行きましょう」


「は、はい! えと、それで、ですね」


 うなずくヤタローへ、さっと、右手を差し出すメクメク。


「手をっ、繋いで……くれませんか。ポータルを出るまで……」


 そう上目遣いにヤタローを見る。


 ――はぐれないように、ということだろう。


 無造作にメクメクの手を取るヤタロー。


「……大きいですね、ヤタローさんの手」


「そうですか?」


「そうですよ。それに、暖かいです」


 メクメクは、少し、ほっとしたような笑みを、ヤタローへ向けた。


 そのメクメクの手からは、小さく冷たく、とても頼りない……儚げな感触が伝わってくる。


「しっかり握っていてください」


 ヤタローの言葉に、メクメクは、きゅっと手に力を込めて応えた。


 二人は、しっかと手を繋ぎ、うなずきあうと、「ボル」のそばに浮かんでいる、大きな白い光の塊……転移ポータルへと、ともに歩み寄った。


 同時に、その光へ向かって、一歩を踏み込む。


 途端、足元から、まばゆい閃光が炸裂し――ヤタローの視界を漂白した。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

突きが綺麗ですね。(LV54フェンサー)

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