#04 異変


 ゲームのはずだった。


 十二年前にサービスインした、PC専用ネットワークRPG「ルミエル・クロス・オンライン」――独自開発の3Dエンジンを駆使した擬似立体表現をベースとして、キャラクターデザインやモデリング、テクスチャなどは、すべてアニメ調にデフォルメされている。


 対応機種はPCのみ。モニター画面を見ながらマウスとキーボードでアバターを操作する、ごくオーソドックスなUIユーザーインターフェースである。


 当然、流行のVRバーチャルリアリティなどの要素は一切取り入れられていない。


(……なら、これはなんだ?)


 戦闘開始から一時間――。


「ボル」の、やや単調なビーム砲による掃射をかいくぐりながら、その関節部を何度も狙い撃つ。


 長期戦。


 手に握るクロノスタンパーの硬い感触。銀の銃身が灼け付き、空薬莢がばらばら落ち転がる。


 踏みしめる両足からは、ブーツごしに床の感触が伝わってくる。


 両膝に、ずしりと重みを感じる。自分自身の――肉体の、確かな重みを。


(ここは、どこだ)


 わずかに止まる足。炸裂する閃光。


(なにをやってる、自分は)


 反射的に身を屈めるも、かわしきれず――光芒が、右肩をかすめた。


 皮膚を荒いヤスリで削られたような感触。


 肩口から右腕へかけて、じわじわと鈍痛が広がってゆく。


(……痛み? これは)


 驚き、惑い、恐慌、焦燥。


 湧き上がる感情。


 それらに意識が呑まれるより先に、パッシブスキル「オートポーション」が発動し、インベントリー内の回復薬を自動消費して、肩の傷を急速に癒す。


 昂ぶっていた精神が鎮まってゆく。


 おもむろに「ボル」が両腕をヤタローのもとへ振り向けた。その指先から、十発の金属弾が一斉に放たれる。


(これは夢か……?)


 回避スキルを使用する猶予はない。


(違う。夢じゃない。ゲームでもない)


 一瞬でも足を止めれば――死ぬ。


 ヤタローは、目をこらして、すべての弾道を見切り、踏み込み、身をかわし、回避した。すかさずクロノスタンパーを構え、がら空きになった「ボル」のわき腹めがけて銃弾を撃ちこむ。


(……現実だ)


 認識せざるをえない。


 部屋でゲームをしていたはずの「彼」が――いかなるわけか、プレイヤー「ヤタロー」そのものとして、今ここにいる。「ヤタロー」がゲーム内で長年培ってきたあらゆる経験、知識、能力、すべてが、その身にはっきりと宿っている。


 それらを駆使して、今、何をすべきかということも理解している。


 理由も、事情も、考察している余裕はない。ただ、いえることは。


 ――ここを切り抜けねば、死ぬ。


 死にたくなければ、戦うしかない――という、眼前の事実だけだった。


 見やれば「ボル」の胸部、ジェネレーター部分が緑色に発光している。エリアボスの固有攻撃スキル発動の前兆だった。


「ラナ、さがって!」


 ヤタローは、前方で火炎の剣を振り回す褐色肌の少女へ、鋭く指示をとばした。


「あいよっ!」


 二人が身を翻すとほぼ同時に「ボル」の周囲で、空間が歪みはじめた。


「メクメクさん!」


「はっ――はい! ええと……これで!」


 ヤタローとアカラナータは、大急ぎで「ボル」のスキル有効範囲から離脱し、床上にメクメクが作り出した七色の燐光かがやく保護空間「サークル・オブ・ガーディアン」へと駆け込んだ。


 この空間内にいる味方は、体力と精神力が急激に回復し、状態異常を一定時間無効化する強化効果も付与される。


 保護空間の外では、重厚なモーター音とともに、次元回廊エリアボス共通の専用攻撃「グラビトン・フォートレス」が発動していた。自身の周囲、半径十メートル以内に、通常の何百倍という超重力領域を作り出すという。


 たとえ最高レベルの前衛職でも、「グラビトン・フォートレス」に捕捉されれば、もはや身動きすらできず、一瞬で押し潰される。ヤタローやアカラナータでも即死を免れないほどの威力があった。効果時間は百八十秒である。


 とはいえエリアボスの耐久力が50%以下、30%以下、10%以下となった際にそれぞれ自動発動する固有技で、前兆もはっきりと出るため、そのあたりの知識さえあれば、回避は難しくない。


「これで三度目、ということは――」


 言いつつ、ヤタローは、腰のミニポーチをまさぐり、回復薬の小瓶を取り出すと、中身をぐいと飲み干した。

 長期戦で消耗しきっていた体力が、一気に戻っていくのが実感できる。疲労で靄がかかっていたような意識も、少しだけ、はっきりしてきた。


「あっ、あの……」


 メクメクが、困惑顔を向けてくる。背に純白の翼をひろげ、黄金の宝杖「ロード・オブ・ルミエル」を高々と掲げて、八種の強化術式の輝きをヤタローたちに降り注がせながら――。


 おそらく、メクメクのほうでも、今のヤタローと「同様の状態」に陥っている。


 それでも今は「ボル」との決着を優先せざるをえない。


「話は、後ほど」


 ヤタローは、あえてメクメクに背を向け、保護空間の外へと踏み出した。


「なあ、ヤタロー! そろそろ本気で行ってよいか?」


 パートナーのアカラナータが後に続きながら、快濶な笑顔とともに、声を投げかけてきた。


 その姿にも、ヤタローは、わずかに戸惑いをおぼえた。


 ゲームで見ていたときより、さらに小柄で、ひどく幼い容姿と感じた。デフォルメの効いた3Dモデルではなく、キャラクターとしての特徴を余すことなく受け継いだ、実物の美少女である。


 胸元だけは相変わらず必要以上に豊かに揺れている。


 とはいえ、今はそれを言っている場合でもない。


「……全力で頼みます」


「あいよっ!」


 アカラナータは、小さな身体に不釣り合いな炎の大剣を振りかざし、「ボル」めがけて突進してゆく。これまで精神力温存のため、あえて使用しなかった最高の専用攻撃スキル「破邪大星」を、その剣身に乗せて、まっしぐらに斬りかかる。


「援護いたします!」


 背後から、鈴の鳴るような美声が響いた。金毛九尾の声だ。同時に、「ボル」の腹部装甲の一部がボロボロと剥がれ落ちてゆく。パートナー専用の弱体化スキル「アーマークラック」の効果である。


 そうして防御力の低下した箇所へ、アカラナータの「破邪大星」が炸裂した。まばゆい白光が、斜めに「ボル」の装甲を切り裂く。灰色の巨体が大きくのけぞり、動きを止めた。


 ここぞと――ヤタローはクロノスタンパーの銃口を向け、狙いを定めた。


「ジェスターストライク」


 スキル発動の瞬間、さながらヤタローが分身でもしたかのような残像が周囲に発生し、まったく同時に、八十発の銃弾が撃ち出された。


 ジェスターストライクは、最上級職「ジェスター」専用の攻撃スキル。いかなる原理か、素手でも杖でも剣でも弓でも――そして銃でも、その手に装備してさえいれば、あらゆる種類の武器で、八十回という破格の攻撃回数を、モーションディレイも、物理法則すらも無視して、瞬時に敵に叩き込む。


 八十発の銃弾はすべて命中した。耳を聾する金属音が轟き、瞬時に「ボル」の全身に火花が散り、無数の弾痕が穿たれる。


 ほどなく、ヤタローの視界の左上に浮かんでいた「EC-2123DEMボルガード:LV320」を示す耐久ゲージが消滅した。


『損傷度、規定値オーバー。ディメンション・リアクター出力低下。現時点ヲモッテ、当機体ハ活動ヲ一時停止スル』


 唐突に「ボル」の頭部スピーカーから、機械合成音と思しきアナウンスが流れた。


『エリアガーダー権限継承……作業開始』


 まだ、何かあるのかと――身構え、状況を見守るヤタロー。


 そのヤタローの視界の左下に、なにやら小さな紙封筒を模したアイコンのようなものが、一瞬ひょこっと浮かび上がり、すぐさま消えた。インベントリーに自動収納されたらしい。


『作業完了。スリープモード移行……』


 ほどなく、「ボル」の各関節部から、猛烈な蒸気が一斉に噴き出し、周囲一帯を真っ白に覆った。


 その蒸気の中で、鋼鉄の巨体は、ガシャン! と、両膝を床につけ、それきり、まったく動かなくなった。


 どうやら、終わったみたいだ――。


 ヤタローは、ほっとした面持ちで、クロノスタンパーをミニポーチに戻した。


 全身に疲労がある。とくに両肩と両膝に、鉛でも負っているような重みを感じた。スキル発動の反動だろうか?


 次第に付近の蒸気は薄れ、視界が回復してゆく。横あいから、小さな褐色のかたまりが、ヤタローの腰もとにとびこんできた。


「我らの勝ちぞ! ヤタロー! 我、がんばった! 褒めるがよい!」


「……ええ、よく頑張りました。ご褒美をあげましょう」


 満面の笑顔でしがみついてくるアカラナータ。ヤタローはまたも状況に戸惑いながら、その黒髪を優しく撫でてやり、ミニポーチから真っ赤なリンゴをひとつ取り出して、手渡した。


「にひひっ、これよこれ! ヤタロー、いつもすまんな!」


 アカラナータは嬉々としてリンゴをかじりはじめた。


 AIパートナーにはそれぞれ「好物」となるゲーム内アイテムが設定されており、それを贈ることで信頼度が上昇する。アカラナータの場合は「リンゴ」が好物となっている。


 信頼度が高いほどパートナーの全般能力やAIの判断精度が向上する他、信頼度を最大まで上げきることで修得可能となる固有スキルもある。アカラナータの「破邪大星」は、まさにそれにあたる。


(……なんで落ち着いてるんだ、自分は。どう考えても異常な状況なのに)


 薄靄の彼方に佇む人影を、ヤタローはあらためて眺めやる。


 背に白い翼をもつ黒髪の少女が、そこにいた。


 視界の右上には、『メクメク:熾天使・LV110』の文字列とともに、耐久力、精神力、魔力を示す簡易ゲージが、青い背景色の半透明ウィンドウ内に、並んで表示されている。


 さらに詳細な情報も、見ようと思えば見られるようだが、今は、それよりも――。


「えっと……ヤタローさん……ですよね?」


 そのメクメクが、ヤタローのもとへ浮遊移動しつつ、困惑顔で訊いてきた。


「な、なんか、思ったより、年上というか……」


「……そういうメクメクさんは、想像より少し年下のような」


 二人は互いの顔を、まじまじと見つめあった。


「それで、メクメクさん」


「はい」


「いま、何がどうなってるのか、わかりますか?」


「いえ。なにがなんだか、さっぱり」


「ですね。自分もわかりません」


 二人が声を交わす間に、アカラナータと金毛九尾が互いに駆け寄り、さながら旧知でもあるように、二人の背後で、仲睦まじく、じゃれあいはじめた。


「まずは、状況を確認しましょうか」


「冷静なんですね、ヤタローさんは」


「本当は頭を抱えて右往左往したいところですが……やったところで、状況が変わるわけではないでしょうし」


「たしかに」


 二人は、同時にうなずきあった。

 課金モーションの操作ではなく、ごく自然の動作として。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ログインしたまえ、君は後悔するだろう。ログインしないでいたまえ、君は後悔するだろう。(LV85ハーヴェスト)

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