#02 熟練者は素手で殴る
およそ一秒後。
画面の情景は一変していた。
それまでの、うららかなフィールドの景色とは明らかに異なる……薄暗く、重苦しい気配漂う、石壁の通路。
「優しさ」をテーマとするルミエルにおいて、唯一例外的に、きわめて強力な敵対モンスターと、理不尽なまでに凶悪なエリアボスたちが待ちうける、超高難度戦闘ダンジョン「次元回廊」――第八十八層。
『まさか、もう一度、ここに来られるなんてね』
『いつ終了するかわかりませんし、せいぜい最後まで攻略を続けましょう!』
二人は画面上で、力強くうなずきあった。課金アイテム「ご挨拶28」のモーションを同時使用することで、このような演出が可能となる。「ヤタロー」と「メクメク」……二人は、「ルミエル」有数の重課金ユーザーであった。
次元回廊とは、そんな重課金の廃人たち……「攻略派」のために、わざわざ「ルミエル」運営が用意した、底無し沼のごとき階層数と凶悪なゲームバランスを誇る、無限連続戦闘地帯である。
わけても「ヤタロー」「メクメク」の二人は、それぞれ単独で次元回廊攻略の最前線に立ち、互いに競いあうようにして、未踏破階層を次々と開拓し続けてきた先駆者たちであった。
現在、八十七階層までの攻略を終えて、八十八階層のエリアボスの手前まで到達しているが、まだ二人はそこで勝利を収めていない。
『もう、このへんは庭みたいなもんですね』
『先月までは、メメターに滅多刺しにされてたんですけどね。もう余裕ですよ』
『わたしたちの他には、誰も来ていないみたいですね』
『仕方ないでしょう。ここまで来られる人、うちのサーバーでも十人もいませんし』
二人は、肩を並べて、ダンジョン内を先へ先へと進んでゆく。
途中、徘徊している極彩色の巨大ニワトリや青い巨大ヤドカリやピンクの巨大クラゲなどがわらわらと襲いかかってきたが、ヤタローとメクメクは、肩を並べて、それらモンスターたちを素手で撲殺していった。メメターとは、巨大クラゲの正式名称である。
フィールドや他ダンジョンと異なり、ここ次元回廊に出現するモンスターは、逃げない。倒せば、断末魔とともに消滅する――すなわち死ぬ。
そうした殺伐たる描写がなされる点でも、次元回廊は「ルミエル」において異質な空間であった。とはいえ一定時間後には
『ところで、メクメクさんは、何か聞いてないんですか? もう時間過ぎてるのに、まだサーバーが稼動してる理由とか』
『さあ? なにかトラブルでもあったのでは?』
『ここの運営、いままでメンテとかの時間はきっちりしてたんですけどね』
『いいじゃないですか。案外、待ってくれてるのかもしれません』
『何をです?』
『わたしたちが、この階層を攻略するのを』
『さすがに、ないでしょう』
『ですよねー』
チャットを交わしながらも、二人の手が止まることはない。
――魔法や遠隔範囲攻撃などの強力な攻撃スキルは、使用回数に限りがある。
また、高レベル武器のなかには、攻撃を繰り出すだけで「精神力」を消耗するものが多い。
それらはボス戦まで温存し、道中は素手の通常攻撃のみで進行するのが、次元回廊における攻略のセオリーであった。
戦闘の切り札的存在である「AIパートナー」も、同様の理由で、この時点では温存しなければならない。
(……戦闘がやりたいなら、他のゲームをやればいいじゃない)
そんな他ユーザーたちの声も、時折、ヤタローの耳には入っていた。
そもそも「ルミエル」における戦闘要素は、それを望んだごく少数派のプレイヤーのために用意されたフレーバーに近い。いくら戦闘に強くなっても、対人対戦要素が存在しないこのゲームでは、さほど大きな意味をなさなかった。
強さは、自慢にならない。
掲げるテーマはあくまで「優しさ」と「願い」――ゆえに。
殺伐たる戦闘技術などより遥かに複雑な操作と、膨大な知識を要求されるクラフト系技術。
チュートリアルにて、たった一粒の草花の種を入手するところから始まる、その職業・スキル修得手順こそが、このゲームにおける最大の「やりこみ」要素である。
そこで得られた創造・生産系スキルを駆使して、いかに居心地の良い空間を築きあげるかという部分に、多くのプレイヤーが熱中した。
そういう意味でも、確かに「ルミエル」は戦闘がメインのゲームではない。どころか、戦闘システム関連の能力バランスやインターフェースなど、クラフト系とは対照的に、かなり大雑把なつくりになっていた。
ネットRPGとして一通りの戦闘要素と、それに関連する成長要素などの基本システムは当然備わっている。戦闘はフィールドやダンジョンでリアルタイムに発生するが、複雑な操作や高度なプレイヤースキルは要求されず、レベルと職業による能力値や特殊スキルの構成、そしてAIパートナーの能力が勝敗を決する。
極端な話、プレイヤーキャラとAIパートナーの能力が必要十分に育ってさえいれば、プレイヤーが何もせず、ただダンジョン内に突っ立っているだけで、プレイヤーキャラが敵の攻撃をすべて自動回避する一方、AIパートナーが勝手に反撃してすべて倒してしまう――という、プレイヤーにとってはこのうえなく「優しい」システムとバランス調整がなされていた。
そのぶん、一度の戦闘で得られる経験値やドロップアイテム類は少なく、プレイヤーキャラの戦闘要素の成長には、ただただ膨大な時間と、退屈な繰り返し作業が要求される。
――ただし、最高難度ダンジョンたる次元回廊だけは、すべてにおいて例外だった。ただ立っているだけで勝てるほど甘いバランスにはなっていない。
次元回廊の攻略に必要なものとは。
課金である。
ルミエルは基本プレイ無料。そのゲームバランスも、無課金でほとんどのクエスト・メインストーリーをこなせるように調整されている。次元回廊にさえ踏み込まなければ、戦闘面で課金の必要性は生じないといっても過言ではない。
しかし次元回廊を探索するには――各種消耗品の購入も含め、ほぼ天井知らずの課金が要求される。
直接購入可能な有料アイテムも数多いが、より高性能なアイテムは全て「有料ガチャ」によって排出される。
六つの属性と職業に応じたそれぞれ最高ランクの武器・防具の製作には、ガチャでのみ入手可能な特殊素材を消費する必要がある。
さらに、戦闘補助をつとめるAIパートナーも、無料で入手できる配布キャラクターたちと、ガチャ産出の限定キャラクターたちとでは、能力に大幅な差があった。
一回五百円、十連五千円の有料ガチャ「ルミエルくじ」――最高レア排出率は、0.3%である。
『ヤタローさん。今日はどの子を使うんです?』
『そうですね。三人、ポーチに放り込んできましたが』
暗いダンジョンを突き進みながら、メッセージチャットを交わす二人。
『今日は、ラナを出してみようかと』
『おおー、ヤタローさんのボーナス丸々消し飛んだというラナちゃんですか』
『ホント、出なかったですからね。絶対確率おかしいですよ、あのくじ……。それで、メクメクさんは今日、何を?』
『九尾ちゃんです。前回はダーク・ボアで攻めきれませんでしたから、今回はデバフ中心でいってみようかと』
『なるほど。なら、今回は自分が前に出ましょう』
『じゃあ、わたしはサポートに回ります』
眼前に立ちはだかる巨大クラゲの群れを、目にも止まらぬ速度で撲り飛ばしつつ、二人は一気に階層最奥部へと迫った。
通路を抜け、二人同時に、広々とした円形の空間に踏み込む。
異様な情景だった。それまでの石造り風ダンジョンから一変して、ドーム状の壁や床は、黒光りするスチールや銀色のステンレスのような金属素材になっており、大型コンピューターでもあるような機械類が壁沿いに整然と並び、チカチカと青や赤のランプ類を点滅させている。
床上に輪状に配置されたスポットライトが、この空間の中心を皓々とライトアップしている――。
そこに佇む、灰色の、巨大な人型。
人間ではなく、二足歩行型マシン……やけに凝った造形で、おそろしく複雑精緻かつ洗練された3Dモデルの、どこかで見たようなSFアニメ風ロボットである。
八十八階層エリアボス。正式名称「EC-2123DEMボルガード」という。「攻略派」のプレイヤーたちからは、単にボルと呼ばれることが多い。
プレイヤーキャラのおよそ五倍近い巨体にミサイル、ビーム砲、機銃などの火器をぎっしりと内蔵し、あらゆる距離での戦闘に対応する「歩く要塞」であり、いまだプレイヤーの誰も勝利したことのない難攻不落の存在である。
『いつもながら、このゲームの世界観には全然合ってないですよねこれ』
ヤタローが呟く。
メクメクは課金アイテム「うなずき54」のモーションで応えた。
『わたし、ロボとかメカって、よくわからないんですよ。あんまりかわいくないし』
『デザインは悪くないんですけどね、ボル。敵じゃなければ』
語りつつ、「彼」は画面上にインベントリーを呼び出した。
通常、すべてのプレイヤーにデフォルトで備わっているインベントリーは、収納可能アイテム最大二十種、一部の大型・重量アイテムは収納不可、となっている。
ただし、ヤタローのインベントリーはガチャ排出の最高レア課金アイテムであり、「女神の無限収納ポーチ」の名の通り、小さなサイドポーチでありながら、あらゆるゲーム内アイテムを、一切の制限なく無限に収納・取り出し可能となっていた。
画面狭しと表示される百種類以上のアイテムリスト。もっとも、これでもヤタローが所持する全アイテムの二十分の一ほどでしかない。
その大半は中央自由都市「エルミポリス」の運河に係留中の、ヤタロー所有の大型船にして水上移動拠点「バッカス三世」の倉庫に放り込んでおり、いまインベントリーに入っているのは、次元回廊攻略に最低限必要な装備と消耗品のたぐいばかりである。
それらの中から、いくつかの回復ポーション・能力強化薬をクリックして使用し、さらに三つ並ぶデフォルメ顔のアイコンのうちひとつをクリックして、インベントリーを閉じる。
すると――。
ボンッ、と、煙幕のようなエフェクトとともに、新たなキャラクターが、ヤタローのすぐ隣りに出現した。
『我、来臨っ! 敵はいずこか?』
ヤタローやメクメクよりわずかに頭身が低い、見るから勝ち気そうな黒髪黒目の少女。赤みがかった薄い褐色の肌を、赤地に金糸銀糸を縫いこんだ絢爛たるサリーで包み込んでいる。
低い頭身の割に、その胸元は、はちきれんばかりに豊かに膨らみ、ぽよんぽよんと揺れていた。
腰には薄い炎のエフェクトをまとった大剣を佩き、サファイアをはめこんだ豪奢な金冠をいただき、長い黒髪をさばいて背に流し、素足に赤いサンダル風の履き物をつっかけて、いかにも荒ぶる戦いの女神といった風情をみなぎらせている。
AIパートナー「アカラナータ」……インド貴族少女風の、やや幼い外見ながら、このゲームに存在する全283体のAIパートナーのなかでも最高の物理攻撃力を備え、固有装備「
ゲームオリジナルキャラではあるが、その名称から、不動明王をモチーフとしているらしいことがうかがえる。
『おー、やっぱカワイイですね、ラナちゃんは』
メクメクが課金アイテム「感嘆17」のモーションでうなずいてみせる。
『とにかく大変でしたからね。ラナをお迎えするのは』
ヤタローは「ためいき39」のモーションで応えた。
AIパートナーとは、プレイヤーをサポートする召喚型NPCである。
ヤタローが所持するAIパートナーは190体以上。そのうちでも、戦闘能力だけでなく、3Dモデリングの精緻さ、表情や各種モーションの完成度などにおいて、アカラナータは群を抜く存在であった。
実装当時、それまで無課金だったユーザーたちをもガチャに走らせるほどのインパクトをもたらし、彼女が最高レアとして排出された「期間限定アカラナータくじ」は、ルミエルくじ歴代最高の売り上げを記録したといわれる。ユーザー間では「ラナ」という愛称で呼ばれていた。
『でも、カワイさだけなら、こっちも負けてませんよ』
ぼむっ、と床から煙幕が噴き上がり、メクメクのそばに新たなキャラクターが姿を現す。
『お呼びですか? 主よ』
人型ではなく動物型。黄金の毛並みがつやつやと輝く、大きな狐の姿のモンスターが、ぐっと頭をもたげて、メクメクの肩にすり寄った。普通の狐とは異なり、プレイヤーキャラクターとほぼ同じ体高で、ふさふさした尻尾が九本ある。
金毛九尾――という、狐の妖怪をモチーフとするAIパートナー。アカラナータと同様、期間限定ガチャ排出のレアキャラクターである。物理攻撃力は低いものの、様々な魔法を使いこなし、敵の能力を減衰させるスキルを数多く所持している。
性別は雌。動物型ながら人語を理解し、人間と会話も可能。普段は控えめで理知的な性格、という設定だが――。
『よしよーし、もふもふっ、もふもふっ☆』
プレイヤーキャラクターが、課金アイテム「もふもふっ☆」のモーションを使用すると。
『ほにゃああぁ☆ああっ、主よっ、もっと、もっとぉぉ……』
態度が一変し、ひたすら、「もふもふ」を要求し、受け入れるケモノと化す……。
金毛九尾に限らず、「もふもふっ☆」モーションは、ほとんどの動物系パートナーに効果があり、「ケモノ好きの必須装備」とされている。
『最終日までそれですか』
ヤタローが、やや呆れ気味に呟く。ヤタロー自身も「もふもふっ☆」は所持しているが、人型や機械型パートナーには効果がないため、実はほとんど使ったことがなかった。
『いいじゃないですかー。やっぱ、ケモノ最高でしょぉー。ほーれ、九尾たん、もっふもふー☆』
『くふううぅん……そこぉ、そこがいいぃ……』
大きな狐に全力でじゃれつく天使の少女と、それを大喜びで受け入れ、悶え転がる金毛九尾。仲むつまじき主従、微笑ましい光景……と、いえなくもない。ここがボス部屋でなければ。
動物型パートナーに並々ならぬコダワリを持つ、ケモノ大好きの最上級天使。それが、メクメクというプレイヤーである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
来た、見た、課金した。(LV86アルケミニスト)
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