第19話『身心脱落』
五年生のクラス替えで、木津はまた静川と同じ組になった。
少子化の影響で、もともと学年には三組しか存在しなかった。だから、クラスメイトのほとんどは見知った顔ばかり、仲良しグループができるのも早かった。
木津もそうだった。はじめて好きになった女の子と同じ班で昼食をとり、昼休みには教師の目を盗んでカードゲームに興じた。
木津は充実していたのだ。だから五月になるまで、別グループにいた静川の事など気にしていなかった。
サッカーをしなくなった静川をカードゲームに誘ったのは、単なるきまぐれだった。ずいぶんと偉そうな口を利かれたこともあったので、自分の土俵で負かしてやりたいという小賢しい考えから、木津は静川と話すようになる。
そして、すぐに後悔した。
「――――えっ? お前、病気なの?」
「そう。なんか、筋肉が弱くなっていって、死んじゃうんだってさ」
「……、死ぬって、ヤバいじゃん」
「なー。ぜんぜん実感沸かねー」
一学期頭の健康診断で要再検の知らせを受けた静川を待っていたのは、唐突な死刑宣告だった。
後になって木津が知ったのは、静川の患ったALSの進行が、想像していたよりも重篤だったという事ぐらいである。医者や両親、その他大勢の大人の判断によって、静川は日常生活における過剰な運動を禁じられ、同時にそれまで仲良くしていたクラスメイト達とのコミュニティーも失っていた。
事情を知ってしまったその日から、木津は静川と遊ぶようになった。
だがその時、木津の心の中には、静川の不幸を
おもえば静川と木津の関係は、出会った瞬間から最後まで歪みっぱなしだった。もちろん、そのほとんどがお互いのつまらない意地や、底の浅い考えのせいによるものだったが。
それでも、静川と木津は変わっていった。以前よりもよく話すようになって、相手の事が少しだけ理解できるようになったという、ありふれた影響の与え合い。変わらなかったのは、あの教室まで聞こえていた、彼女の弾くピアノの音だけだった。
そうして、季節は瞬く間に秋になる。
音楽室から聞こえるピアノの旋律を聞き流し、木津は放課後の教室でいつものようにカードゲームをしていた。
相手は、もちろん静川だった。初めの頃は一緒に遊んでいた他のクラスメイト達も、いつの間にか顕在化したプレイレベルの差についてこれず、一人、また一人と放課後の教室から去っていった。
だが、寂しくはなかった。
静川という強敵が、常に本気で喰らいついてくる。それだけで良かった。
その日はたまたま、木津の虫の居所が悪かった。
きっかけは休み時間だった。窓際で談笑していた女子グループの声で、木津が気にかけていた女子が静川を好きだという噂を聞いたのだ。ただ、噂話は所詮噂話、真に受ける方がどうかしている。仮に真実だったとしても、すでに静川という人間の魅力を理解していた木津には、素直に受け入れることができた。
病に侵されて、以前のような性能を発揮できなくなった体を抱えていても、静川の本質は変わることがない。努力家で、素直で、諦めの悪い、そんな男らしさを持っていた。
間接的な失恋よりも、それが原因で気づいてしまった静川と自分との人間的な『差』に、木津はひどく動揺していた。普段では考えられないような雑なプレーでミスを繰り返し、カードゲームの勝率はずいぶんと静川に傾いていた。
「ボクシングで世界チャンピオンになりたい」
そんな折、勝ちが重なって機嫌の良くなった静川が、自分の夢を語った。
特効薬ができるかもしれない。
病気がひとりでに治るかもしれない。
日々、自分の体を蝕む病魔の陰に、静川はおびえた様子がなかった。その非現実的な妄想が、いかに静川を救っていたのか、まるで理解できていなかった当時の木津は、できるかぎり言葉を選んでなだめてみた。が、彼の意見は変わらなかった。
それは、木津の頭の中で濃霧のように広がるストレスに、拍車をかけた。
「チャンピオンベルトって、すっげえ格好いい。俺も絶対欲しいんだよな」
木津が、目の前の初恋すら追いかける事ができずにいるのに。
「笑ったっていいんだぜ? 木津」
こんな状況でさえ、夢を見続けている静川が、木津はたまらなく憎かった。そして静川に叶わない夢をみせた、ボクシングそのものが憎かった。
この時、木津の中で、何らかのメーターが限界値を振り切ったのだ。
「なぁ静川。……たまにはちょっと、変わった事をやらないか?」
殺意は――、なかったといえば、嘘になる。
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