アマツヘレル1

 まだまだ寒い四月のAクラスの教室。


 始業式が終わり、生徒たちはHRが始まるまでの隙間時間を各自楽しんでいた。勉強する者、楽しくおしゃべりする者、部活動に使う道具を手入れしている者といろいろだ。


 それは担任が入ってくるまで続いた。クラス担任は今年定年退職を迎える男性だ。黒染め短髪がよく似合っている。


「今日は予定を変更して、皆さんにお伝えしたいことがあります」


 教壇に立った教師は、反論を許さない強みで生徒たちに言い切る。


「入ってきてください」


 教師は廊下に向けて声をかけた。

 入ってきたのは学校で有名な荒世現人、夏川龍治の二人。


「よろしくお願いしますね」

「はい。この度の提案を承認していただき、ありがとうございます」

「学校としても、特待生が増えることは喜ばしいです。ではお任せします」


 教師は教壇から降り、脇に置いてある椅子に座る。


「私は荒世現人です。どうやら、皆さんご存じのようですね。詳細な自己紹介は省きます」


 現人は目線でもう一人に投げかける。


「夏川龍治。よろしく」


 簡潔すぎる自己紹介も終わり、現人はすぐ本題に入る。


「まずは皆さんの疑問にお答えします。私たち二人がなぜいるのかを。といっても至極簡単です。皆さんを蔑みに来ただけです。ふふっ、皆さん表情が崩れましたね。負けん気は認めますが、結果が伴っていない!」

「特待生は俺たち二人だけ」


 合いの手役は龍治だ。

 見返したければ特待生になれと遠回しに言っている。


「皆さんがいかに愚かなのか、データを踏まえながら蔑みます。是非、聞いてください」


 現人が言い切ると龍治だけが拍手をする。

 事前に聞いていたはずの教師は打ち合わせと違う内容に愕然していた。


「ふざけるな!! わざわざ、そんなこと聞きたくねぇ!!」


 一番に声を上げたのは松茂一翔。熱血球児らしい行動だ。口調も少し崩れている。それほどまでに感情が高ぶっている。


 サポート役の龍治は備え付けのプロジェクターを起動しPC画面を映し出す。一翔の気持ちは完全に無視だ。


「俺も聞きたくない」


 続いたのは幼馴染の柴浦英知。

 そして現人を強く睨み付けているのは耶翠莉乃。


 すでに飛び級でアメリカの大学を卒業している野多幸也は教壇の二人を品定めしている。というのも、幸也は二か月前に一芸高校Aクラスに転校してきた。現人たちのことは全く知らないし興味もない。聞いたことがあるのは名前だけ。


 桑沼和子は最近性格が変わっていく護衛対象に興味津々だ。

 そういう背景もあって、二人は他のクラスメイトよりも落ち着いていた。


「本題ですが、このデータを見てください」


 無視して話し出す現人に声を上げた二人は廊下に向けて歩みだす。


「この程度の話も聞けない選手ならプロでは活躍できませんね。補欠くらいにはなれるでしょうが、所詮有象無象の一人。いなくてもチームは困りませんね」


 現人は宣言した通りに蔑む。

 チームにいなくてもいい。

 仲間を大切にする選手とってそれは禁句の一言。大いにプライドが傷つけられる。チームの要役をしている一翔や英知にとっては人一倍それを感じる。


 二人は立ち止まり現人を睨み付ける。

 何も知らないやつが見下すな!!

 誰でも分かるむき出しの感情。


 生徒たちが知っている現人のプロフィールは、総理大臣を輩出している家系と学力で特待生入りした程度。他学年なら家のコネと思われている。


 合気道や帝王学、些細なところでは護衛される側の行動原理などなどを習得していることは知られていない。故にスポーツ系の一芸生徒は運動できない奴だと思っている。


「はぁ……。意見が正しいかどうかではなく、誰が言ったかで判断するなら特待生入りは絶望的ですね」

「判断基準がバカの典型」


 龍治の合いの手に一翔たち以外の生徒も苛立つ。

 ここで我関せずな者は幸也だけになった。


「誰が言ったかではなく、どの目線からの意見なのかを重視してほしいものです」


 例えば、新入社員が提案した改善案はいいものであったが、若者なため却下された。

 これはダメだ。ただし、この新入社員がライバル社と親しい関係なら疑うのも仕方がない。

 ライバル社に利用されるスキを仕込まれているかもしれため却下した。


 これは自衛のために必要なことだ。

 現人たちが言っているのは、こういうことだ。


「そこまで言うなら聞いてやるぜ!」

「……はぁ。仕方ない」


 一翔は叛骨心から席に戻る。英知は渋々だ。

 現人は一人一人の目をじっくり見てから問いかける。


「皆さんも大丈夫ですか?」


 睨み付ける者、我関せずな者、教師に視線で助けを求める者、生徒たちはこの三種類に分かれた。

 一番多いのは助けを求める者。次に睨み付ける者。最後に我関せずな者だ。


 教師はその視線を無視する。


 内容が違っても、この時間は学校側が承諾したのだ。大人は責任を持つ必要がある。

 それに学校側からすれば、現人たちもAクラスの生徒と同じ学生である。どう転んでも学生のためにはなる。故に静観する。


「データにご注目してください」


 映し出されたのは在学生の学力系生徒とスポーツ系生徒の比率だ。


「六対四で我が校はスポーツ生徒が多いです。次は過去一〇年の特待生の割合ですが、こちらは八対二で学力生徒が多いです。次は卒業生が活躍している割合です。このデータは学校の全面的な協力のもと制作しています。故に三〇年も遡ることができました」


 学校運営組織は独自に現人のようなデータを制作している。現人はこれを受け取ることができた。といっても簡易に書き直された資料だ。年収や知名度、記録保持者などの個人情報は隠避されている。


 プレゼンターは小型のレーザーポイント型マウスでページを進める。


「こちらでは二対八で学力生徒が多いです。在校生の割合と逆ですね。この二割の中で、現在もプレイヤーとして活躍している割合は、たったの一分です。プロで活躍し、生活できた者は三分ほどです。差の二分は引退者です。年齢もありますが主な原因は怪我や成績不良です。はい、柴浦英知君。どう思いますか?」


 現人は不服そうな表情の英知をあえて指名した。


「名前覚えているのか……」

「もちろんです。このクラスの生徒の名前と顔は名簿で覚えました」

「ご苦労なことで」

「家業柄、プロフィールを覚えるのは得意ですので」


 売り言葉に買い言葉。ジャブの打ち合いは英知の負けである。


「どう思いますか?」

「残りの割合は何を含めているのか気になる」


 データを信用していないと、英知は暗に言った。


 その程度の含みは財界や政界の大人たちにとっては日常会話。幼少期からその輪の中にいた現人からすれば、可愛げがあるとしか思えなかった。故に満面の笑みで答える。


「残りの一割強の人たちは、プレイヤーからトレーナーや監督などに転身した人です。今から配るプリントにその人たちの努力と経験談を記載しました」

「その笑みも、用意周到なのも、気に障る」


 英知の呟きに現人はニッコリと微笑み返す。


「ッチ」


 龍治はプリントを前の席の生徒に手渡す。

 その生徒は一枚取り、後ろの生徒にプリントを回す。


「配られましたね。では各自読んでください」


 プレイヤー時代の成績と裏方に回ってからの成果の二つが乗っていた。


 経験談では、現役時代に勉強していれば楽に転身できていたや、練習や調整、移動時間などで自由時間が少ない現役時代より、時間が沢山ある学生のときに勉強をしとけばよかったなどの後悔が綴られていた。総じて学生時代の勉強を強く推す意見が多い。


 無論、裏方になってからのやりがいも書かれていた。


 他にも懺悔のような謝罪も一緒に書かれていた。どの職種でも個性が強いプレイヤーほど裏方を見下す傾向がある。卒業生たちも少なからずそれに当てはまっていたようだ。


「では裏面を見てください。そちらには独立法人や国立研究所、または企業勤めしている卒業生の声です。元学力優秀者の人たちですね」


 横で静観していた教師はOBを見下すもの言いに注意しようと腰を上げる。


「どうしましたか?」

「元を強調しなくても、世間一般的に見れば彼らも優秀な人材です」


 平均的な会社員から見れば確かに卒業生たちの就職先や年収、肩書はたいした物だ。

 でも、その捉え方は一芸を評価する校風からは少し離れている。特待生の採点基準から言ってもよくない。


「現在も活躍し、または殿堂入りしているような本当に優秀な人材や学力者の声は乗せていません。無論、成長過程の人たちもです。ここに記載している声は、成長を諦め、現在の地位に満足していると思い込もうとしている人たちだけです」

「……そうですか。わかりました。教員としては永志先生に報告します」


 現人の明確な線引きに教師はこの場では折れる。


「それは……はぁ。わかりました。霽月先生にお伝えください」

「はい」


 高校生らしい若さある返しだ。


 永志霽月。一芸高校始まって以来の秀才。文武両道を高水準で収めながらも、教師の道を選んだ変り者。それが当時の教師陣の評価である。その中にはこの担任も入っている。


 現人は霽月に言われると素直に聞いてしまう。それは霽月が持つ包容力やカリスマ性もあるが、学生時代の霽月の成績を抜けていない要因もある。頭脳は同等でも、運動系は追いつけず。だからこそ敬い、素直になってしまう。心が年相応に甘えてしまうのだ。


「脱線してすみませんでした。話を戻しますが、学力の人たちは総じて体力のなさを嘆いていますね。それは年と共に如実に現れています」


 若いころにある程度体を鍛えていれば。

 この一言に尽きる。


 責任がある研究職や会社員はどの役職でも体力勝負なところがある。それは実験結果が出るまでの待ち時間や期限付きのレポート制作などなど。会社員は世間一般的な要因と同じだ。


 体力だけでは、知識だけでは、苦労をする。片輪だけが丈夫では、いずれ破綻する。

 文武両道が必要だと。成し遂げるためには自分だけの価値観と信念を持て。その上で仲間を得ていこう。現人は生徒たちにそう語りかける。


「私の気持ちは分かって頂けたと思います。それで皆さんの現状は?」


 初めに声を発したのは、このプレゼンを一番嫌っていた一翔だった。


「言いたいことは分かるけどよ。これでも頑張って勉強したぞ!」

「俺と一緒に勉強したな」


 スポーツ種目こそ違えど二人は大抵一緒に行動している。


「今から部活動で結果をだせって言われても困るわ」

「私は平均的だから運動の成果は絶望的ね!」


 加奈未と莉乃がチクリという。莉乃の運動神経は一芸高校では平均値だ。


「皆さん誤解しているようですが、学校は特待生に完璧を求めていません」

「一芸に、勉学、それで運動でしょ? 全てじゃない! 同じでしょ!」


 莉乃は鋭く睨む。


「いいえ違います。その中の二つが、この高校の中でも秀でていて、残りの一つが世間の平均以上なら特待生として選ばれます」

「なっ! 初めて知ったわ」

「一般的には告知されていませんからね。ただ、Aクラスの生徒なら教師に尋ねると詳しく教えてもらえますよ?」


 莉乃は勢いよく教師を見る。

 教師は大きく頷き肯定する。


「……そうだったのね」


 その事実に少し脱力してしまうが、莉乃はすぐに姿勢を正し再度睨み付ける。


「皆さんの体力テストやスポーツ成績、学力テストを拝見しました。一芸たる技術は既にあります。あと僅かです」


 一芸というが、それはスポーツの成績だったり、学力の成績だったり。故に、一般的な一芸高校の生徒はどちらかが一芸になる。龍治のような、それ以外の一芸の割合は圧倒的に少ない。


「言うのは簡単だけどよ」

「口だけなら誰でもできる」

「タダだしね!」


 最初は聞く耳持たずな生徒たちも今は素直に意見を聞き、それに対して愚痴などを言う。

 十分な進歩だ。


「現状のままでは安泰でないと分かって頂きました。最低限の成果は得られたと私は思っています。ですが、進むための燃料やるきが少ないですね」


 いきなり上を目指せと言われても、はいそうですかと即座に動ける人間はいない。

 唐突に見下され、生徒たちは眦を吊り上げる。


 だが、現人たちが思い浮かべる理想を成すためには必要なことなのだ。故に彼らは身を削る。


「私たちがお手伝いします」


 龍治も教壇に上がり並ぶ。


「改めて自己紹介します。私は荒世現人。一芸高校二年生Sクラス所属。一芸たりえるのは学力。入学してすぐにあった全国模試で総合一位を獲得。運動面では合気道を収めています。年齢の関係上、今月取った二段止まりです。実力は五段ほどの腕前と師範は仰っていました。また家業の関係上、帝王学なども習得済みです」


 言い終えた現人は一歩下がる。


「夏川龍治。運動神経は平均。一月に文学賞受賞。文系科目の模試は一桁。理系科目は悪い」


 よくないといっても、この高校ではトップクラスの成績だ。

 今度は龍治が下がり現人が一歩前に出る。


「私は文系理系問わず、時間が許す限り皆さんにお教えします」


 現人は満面の笑みで両手を広げる。皆を受け入れるという意思表示ボディーランゲージをした。


「運動に関しては、柔軟運動や体幹トレーニングを。運動部で教えているやつを簡易にしたものです。キツイ運動ではないので安心してください」


 そして掌で龍治を示す。


「彼は文系科目のみ教えます。現代文に関しては私よりも深い知識をもっています。期間は二週間ですが……どうしますか?」


 問いかけに生徒たちは少なからず傷ついた。Aクラスまで上り詰めた努力を問われたからだ。級生の施しに、負けん気が沸々と湧き上がってくる。だがそれは半数程度。残りの生徒たちは、迷惑そうだったり、どこか得意げな顔だったり。

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