課外学習(せいしゅんおうか) 承

第11話 札幌

 晴天にも関わらず、まだまだ寒い春の北海道。四月の全国模試が終わった翌日の金曜日。Sクラスは朝早くに学校を立ち、課外授業で札幌にある複合施設に来ていた。殆どが私服で参加しているが、お洒落に無頓着な者は制服だ。名前を上げると現人と龍治。幸也に有梨華。そして和子の五人だ。


「ここからは自由行動だ。休日に呼び出しがないことを願っている。それでは解散」


 この施設はスポーツジムのように会員制だ。そして、今日は貸し切りでもある。一芸高校の生徒たちは基本寮生活だが、少なからず実家通いもいる。休日は実家に帰る寮生も多く、課外授業後は直帰が認められている。


 保護者の中には安全に不安視する声もあっが、子供が親を説得した。一芸高校の生徒は、少なからずメディアに取り上げられ知名度がある。それは常に見られている息苦しさもあるが、逆を言えば常に第三者の目があることになる。これほど安全なことはないだろう。


「あの! 現人君!! よかったら一緒に周りませんか?」


 皆がグループを作っている最中、希子は現人に声をかける。


「夕方までなら大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます!!」


 少女漫画が大好きな美沙と奈恵が黄色い声で野次る。他の生徒は見慣れているため我関せずだ。


「どこから周ろうか?」

「……音楽ホールから周りたいです」


 希子は照れながら要望を伝える。音楽が自分の中心にある希子も、今日はいつも以上にお洒落だ。


「さっそく行こうか」

「……はい! 楽しみましょう!」


 制服と私服。不一致な服装に希子は一瞬落ち込むが、すぐに気持ちを持ち直す。二人は仲睦まじく並んで歩く。この複合施設は広く充実している。


 音楽ホールやふれあい動物園、フィールドワークができる植物園、屋外専用スポーツ施設などもあり、中には本格的なガラス工房や茶室もある。無論アパレルや日用雑貨店なども充実している。それらの屋内施設は、五階建ての本館と四階建ての別館からなる。


 五階以外は本館と別館を繋ぐ渡り廊下があり、往来しやすい作りになっている。本館五階にあるプラネタリウムは、日本の中でトップスリーに入るほど。別館屋上の夏場はビアガーデンが開催されているが、今は立ち入り禁止だ。


 複合施設は地元住民や商店街からも好意的だ。なぜなら、その商店街や地元企業、街に点在している個人店が集まってできた施設だからだ。地元住民からは、オーバーツーリズムに厳しい姿勢が支持されている。観光地であるため国内旅行者もいるが、一番多い客層は地元住民でリピート客だ。


 これらの企画立案と運営は一芸高校の卒業生である。故に貸し切りもしやすい。年代問わず人気のデート施設スポットだ。


「うーん! 空気が澄んでいますね」

「そうだね。駅前みたいに栄えているのもいいけど、北海道だからね」


 小川から池へ流れる水のせせらぎが、二人の雰囲気を和らげる。春らしい陽気な日差しに、少しひんやりとする空気。雪が少し降り積もった舗装道に木漏れ日が写り風情を醸し出す。時折聞こえる野鳥の鳴き声は、自然の奥ゆかしさと同時に生命の営みを自覚させる。


「ルリビタキの鳴き声です」

「季節的には少し早いけどそうだね」


 耳がいい希子と、聡明な現人は鳴き声から言い当てる。


「あ、これはエゾムシクイですね」

「春の知らせだね」

「そうですね!」


 土手や林縁部には青紫色の花を咲かせたエゾエンゴサクが群生している。風が吹けば香りが鼻腔を擽る。


「見えてきましたね」


 植物園内に建てられた音楽ホールが姿を表す。音楽ホールの外観は周りに溶け込むように洗練されている。希子は入り口から中を覗き込み、現人は外掲示板を見ながら提案する。


「今日は何もないみたいだね。中に入れるかも」

「そうですね。もし入場できましたら一曲弾きましょうか?」

「それは楽しみだね」


 現人は入り口付近にあるインターホンを押し職員と話し合う。


「ここも、貸し切りの範囲に入っているみたい」

「流石ですね」


 全施設の貸し切りは一八時までだ。コンサートやリサイタルになると二〇時から開始になることも多い。ただ、その準備は早朝からすることが多い。いくら貸し切りと言っても確認するのはマナーだ。


「入ろうか」

「はい!」


 絨毯が敷き詰められている広いエントランスホール。自分の足音すら立たない。静寂が耳を襲う。だが笑顔の希子の声がそれを撃ち破る。


「二人だけの音楽会ですね」


 現人は微笑み返すのみ。二人の淡い青春が静寂なエントランスホールに華を添える。そして二人は大ホールに入る。


「ここはいいですね」

「学校の音楽ホールもいいけど、専門施設は段違いだね」


 二人はステージに上がり客席を見渡す。


「リクエストありますか?」

「ベートーヴェン。ピアノ・ソナタ第八番かな」

「……悲愴ですか。わたくしたちの関係を表していますね」


 少しして美しい旋律がホールに響き渡る。青春の哀傷感。悲愴が表現したいとされているものだ。ピアノを弾く希子。その音色を客席で聞く現人。恋人より恋人らしい二人は恋人関係ではない。ごっこ遊びをしているまでにすぎない。


 本人たちも納得している。現人の場合は、恋愛や女性との接し方を知識だけではなく体験するために。希子は音色に艶を出すために。実際は少し好意を抱いている。ただこれは恋心ではなく憧れだ。


 少女漫画の男キャラに向けるような、そんな感情を現人に抱いている。本人は自覚し、両人も納得している。両保護者もごっこ遊びミミクリを認可済み。行動で言うと手を繋ぐまでくらいだろう。この先、哀愁が愛執になるかは本人たち次第だ。


「贅沢で高質な音楽会だった。いい思い出が作れたよ」


 現人は拍手しながら感想を述べる。


「前よりもいい音色が出せました。それでもまだまだですね」

「お互いに頑張ろう」

「はい!」


 二人は恋人らしい会話に華を咲かせながら、ホールを後にした。


「あっ、霽月先生がいらっしゃいます」


 植物園を歩く二人は、池の畔のベンチでパイポを咥えている担任を見つけた。


「莉乃ちゃん可愛いです!!」

「本当ね。可愛いウサギだわ」


 ベンチの奥では莉乃と咲が小動物とじゃれ合っている。ウサギやリスなどの小動物から、ポニーや羊といった畜産動物もいる。二人は霽月に会釈し、莉乃たちのとこに行く。


「わたくしも触れていいですか?」

「希子さんと現人じゃない。もちろんよ! それよりいいの?」

「はい。楽しい経験をさせて頂きました。可愛いですね」

「希子ちゃん一緒にぃナデナデぇしましょー」


 女三人寄れば姦しい。現人は空気を読み、先客がいるベンチに腰を掛ける。


「ちゃんと見守っていますね」

「そんな面倒くさいことは生徒想いな教師がすることだ。俺はただ、自然の中でゆっくりと煙草を吸いたいだけだ」


 禁煙パイポ越しに大きく息を吸い空に向けて吐く。堂の入った仕草だが、煙がないため締まりが悪い。


「そんな生徒想いな教師に見えますけどね」

「可愛げがない生徒だな。……それで希子とは?」

「……幼少時から、ピアノ一筋な彼女は作曲家から知った恋愛観だけですからね。私たちの年代より少し夢見です」


 二人は彼女らを見ながら話す。


「そういうことを聞きたいわけではない。お前自身の気持ちだ」

「タバコ吸いたいだけの教師が生徒の心配ですか?」

「本当に可愛げがないな」

「ははっ冗談です。そうですね。……私も希子と同じで、機会に甘えています。例えごっこだとしても、お互いにいい経験です」

「……負担を感じてないなら構わないさ。それにお前たち特待生は、俺たち大人から見ても十分達観している」

「その自覚はないですが……。真面目な話、私は家が用意した女性と結婚することになります。学生なのでお見合いはありませんが、昔から覚悟しています。だから今は楽しいですよ」

「俺の生徒のうちは自分らしく過ごせ」


 霽月は現人の頭をポンポンと撫でる。そこには年相応の高校生と面倒見がいい教師の二人。


「恥ずかしいのですが……」

「可愛げがあるいい生徒だ」


 現人も色々と抱えている。金があれば回避できる不幸は数多くあるが、逆に金があることで義務と世間の目を受ける。自由があるようでない。特待生からすると、不幸を回避する代わりに自由が減るのは辛い。


 なぜなら技術があれば、いつでも金を稼げるからだ。金があるから人として成長できるのではない。成長できるだけの技術や人間性を持っているから稼いでしまうのだ。悪人はそうではないが、特待生たちは善良だ。


「これでも男です! もういいでしょ!」

「照れ顔で言われてもな」


 特待生は自由を犠牲にしながら、立場に見合った義務を果たしている。だからこそ霽月は、伸び伸びと学校生活が送れるように見守っているのだ。


「あぁー! 先生と現人君がいい雰囲気ですぅ!!」

「現人の珍しい姿が見れたわ」

「現人君!! 次行きましょう! 次です!」


 咲は二人を茶化し、莉乃は現人を揶揄い、希子は焦る。


「楽しめた?」

「はい。咲さん、莉乃さん、ありがとうございました」


 希子は一礼する。


「またぁー学校でぇ!!」

「それじゃね」


 莉乃たちは再び動物と戯れる。霽月もベンチでパイポを吸いだした。

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