身内、はともかく知人を湯潅、納棺などと言う状況は
そうそうあってほしくはないですねぇ…
他意はなくともいろいろ思うところも増えてしまいますし。
義理があって頼まれれば断れないでしょうし…
その点、捜査なんかだと身内は外す、という慣例みたいなのが
あったら良いんでしょうけれど。
出来ることはやる、と言う姿勢で取り組めば後悔はないでしょうけれども、
あの時今の技術があれば…みたいな想いは湧いてきますよね。
そこは施術と近い物を感じます。
挽回する機会がないのも含めて。
私は経験ないですが、
うちの流派はちょっと特殊でマッサージとは違うので
慰問的な要素薄くて捻挫などでどうしても仕事しなきゃならないから
「明日歩けるようにして」と言うような極端な例もあったりします。
うちの代表などでは、大会に向けた選手の調整なども経験しているので
そういった思いもあるのではないかと想像しますね。
作者からの返信
ありがとうございます!(「完結」の表示の変え忘れを教えてくださりありがとうございました…!)
知人を湯灌、納棺するのは実は数件経験していたりします。行ってみたら葬儀関係者のご親族だったり…。地域に根ざした仕事だからでしょうか。
私の先輩納棺師は「人間いつかは絶対皆死ぬもんねえ…」と零していました。
挽回する機会がない…おっしゃる通りです。「些細なミス」が些細ではないので、いまだにふっと過去の失敗を思い出します…。
選手の調整ですか…その選手の勝敗や将来にも影響することを考えるとかなり責任を重く感じるお仕事ですね…
これは、ツラい、ですね。
知人として故人を見るのと、業務として見る、の両方を行ったり来たりですか。
でも、他の納棺師のかたではなくて、「僕くん」が携わる事ができた、それは幸せな事なのでしょう。
ずーっと生意気なコメント、申し訳ありません。
作者からの返信
ありがとうございます!
一度、ひと月前に普通に会って一緒に仕事をした方が亡くなり、その方の納棺業務に行った先輩から、実は前から癌だったらしい、と聞いたことがありました。
おっしゃるように、ツラいことですが、その方の人生に関わらせていただけて有り難かったなと思いました。