16 手を尽くしたか
出勤直後、先輩が亡くなった、と主任から聞かされた。
寝耳に水だった。
先月納棺師を辞めた――僕の事を最後まで気にかけてくれていた――あの破天荒な姉御肌の、先輩の事なのだと、理解するまで時間がかかった。
「夕方に納棺業務入ってるから。車は一番小さいの乗って行って――」
主任の指示する声がやけに遠くに聞こえた。
頭が真っ白で、同時にここは職場なのだから動揺を見せてはならないと自分を無意識に律していた。
葬儀場に到着して、先輩のご家族に会った。
故人様は四十代女性、病死。
そうして字面で見ると先輩の事を指している気がしなくて、何だか素っ気なく寂しく思う。
記憶にあるひっつめた髪は解かれ、白い枕に散っていた。
故人様となった先輩の処置を淡々と、でも丹念に行った。
先輩はもう笑わないし、あの快活な声を聞く事はないのだと噛み締めながら、お着替えをする。
ワイルドに煙草を吸う横顔を見る事はないのだと思い知りながら、お化粧を施す。
僕が落ち込んだ時に必ず先輩が話す先輩なりの哲学をもう二度と教えてもらえないのだと理解しながら、髪の毛を整える。
白装束もお棺もお布団も真っ白で、棺の中の先輩はまったくの別人に見えた。
穏やかに弧を描く眉と静かな寝息が聴こえてきそうな口元。
先輩は快活で破天荒な事を話して、悪態をつく時も愚痴を言う時も裏表がない。
棺の中には僕の良く知るそんな良い意味でのガサツさは皆無だった。
けれど情が深くていつも僕を気にかけてくれた、そんな女性である事が一目で分かるお顔だった。
最期にきっとその一面を先輩が一番見せたかったのだと、素直に感じられた。
業務が終わって一度事務所に戻って、先輩のお通夜のために再び葬儀場に戻った。
先輩のお通夜が終わり――数日が慌ただしく過ぎた。
やっと日常のリズムが戻った頃。
夜中だった。
僕は布団の上でボロボロ涙を流していた。
悲しさが追いつかないくらい泣いていた。
敷布団の上に正座して泣く大の大人の自分を、しかし客観的に見つめる余裕は僕にはない。
何故今日になって突然、張り詰めていた心に溜まった涙が決壊したのか理由が分からない。
先輩の死に化粧と、大口を開けて笑う顔とが交互に浮かんだり消えたりする。
泣くだけ泣いて少し落ち着いてきて僕は自分自身に、手を尽くしたか、と尋ねた。
一拍考えて、ああ、と首肯した。
手を尽くした。
先輩の技術には到底及ばないだろうけど、僕のできる限りをした。心をこめて労った。
不意に、背後に人の気配がした。
僕は振り向かなかった。
――それでいいんよ。頑張ったね。
先輩の声が聞こえた気がした。
気がしただけで全部、僕の勝手な想像だけど。
いつの間にか気配が消えた。
夏夜の涼風がすっかり頬を乾かしていた。
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