12 幸せ

 降りしきる五月雨が硝子張りの葬儀場をとめどなく滑り落ちた。


 僕は額を伝う雨を振り払い、荷物を抱え、葬儀場のご家族控室へと入った。


 焼香台の向こうに安置されている故人様は七十代男性、病死。


 賃貸アパートのリビングで突然心臓発作を起こしたという。


 ただご家族と縁を切っていたらしく、発見されたのは死後六日目だった。


 亡くなって、それを数日誰にも気付かれなかったのはそれだけ人との関わりを絶っていたから――と考えてしまう。


 それがきっと孤独死という亡くなり方なのだろう。






 手を合わせ、礼をして、ご状態を判断する。


 鼻をツンとつくほど強い汗臭と腐敗臭。


 それに顔をしかめる事はなく、僕と先輩は手早く故人様の浴衣の胸元を寛げた。


 六日間も――いや、今日を合わせて七日間も手当されなかったにしてはティシューガスの発生が少ない。


 顔の変色も化粧でカバーできるだろう。


 顔剃りをしてお顔を拭う。汗が取れるように丁寧に拭った。


 故人様がこの世で味わった孤独や穢れを拭い落してもらえるように。


 ご家族はご納棺の途中で葬儀場に現れた。


 故人様の息子様、娘様だという。


 挨拶をしてご納棺の手順をご説明するが終始素っ気ない。


「じゃあそれでいいです。……僕たちも? いえ、そちらで進めてください」


 僕らがご納棺して枕飾りに取り掛かった時、「お花入れるんですか?」と声が掛かった。


 声の主は、先程は一言も話さなかった故人様の娘様だ。


 僕は首肯した。正座して娘様に体ごと向き直る。


「はい。納棺花はお通夜の直前にお入れいたします」


 娘様は「へー」と生返事をして、視線はお棺の中に釘づけだった。


 やがて、氷が解けて涼やかな音を立てるように囁いた。


「……お父さん、こんな顔だったっけ? もう何年も会ってないから違く見える」


 故人様を見つめる眼差しは穏やかなものだった。


「そうなんですか……。……お化粧の感じとかいかがですか?」


 先輩は僕と娘様の会話を聞いていながら、口を挟まず見守っている。


「あ、大丈夫です。……何かうちのお父さん、八十手前にしては若く見えますね」


「もしかしたら、仰向けに寝ていらっしゃるからかもしれません。お顔の皮膚が重力に従って下に引っ張られるので、お顔の皴が消える方もいらっしゃるんです」


「なにそれ、若見え効果すごい」


 娘様がやっと笑顔を見せてくれた。


 ほんの三十分ほどの会話だったが、心を開いてもらえた手ごたえがあった。


 故人様は孤独死だったのかもしれないが、お別れの時はきっと孤独ではない。

 そう思えた。






 僕らはご納棺を終え帰路についた。


 バンの助手席で思わず呻く。


「……僕、将来、孤独死、するかもしれません……」


「ぷ、く、あはははははは!」


 先輩に爆笑された。


 ヒドイ……。


 恨めしい気持ちで軽く睨むと、笑いながら僕を覗き込んできた。


「えー孤独死ぃ? 何で何で?」


 完全に面白がっている。


「僕、まめに連絡取るほうじゃないですし、友達少ないし、家族とも三か月に一回連絡するかどうかくらいで……」


「あはははははは!」


 そんなに笑う!?


 先輩に散々笑い倒されたのはともかくとして、人の生まれ方が皆違うように、人の死に方もまた一人として同じではない、とこの仕事を通して知った。


 人生には山と谷があって、一度トロッコに乗れば嫌でも線路を進んでいく。


 行き着く先が安らかな場所なら、思い浮かぶ景色が朗らかなものなら、きっと幸せだと僕なりに考える。


 とは言え幸せかどうかは本人とご家族にしか決められない。


 だからせめて、その最期をお手伝いするのが納棺師という仕事なのだ。


 ふうぅ、と深く息を吐いた。


 僕の最期は幸せだろうか。


 周りの人から、幸せそうと言われる最期であれるだろうか。


 そのために今たくさん悩んで失敗を積み重ねて後悔と教訓を蓄積させているのだとしたら。


 めげずに頑張ろう。


 今日も明日も明後日も、投げ出さずにいられる自分でいよう。


 車窓から外を窺うと五月雨が止んでいた。


 雲の隙間から夏の香りを蓄えた光芒が微かに差した。





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