9 喪失
濃い
本日の業務場所だ。
本堂の脇の広い畳張りの部屋の奥に、故人様が寝ておられた。
九十代女性、病死。
ではあるが老衰と言っても良いくらいのご年齢だった。
なんと、とある宗教の教祖様らしい。
ご家族と、お弟子さんらがお布団を取り囲んだ。
中でも息子様は常に眉を怒らせて僕らの一挙手一投足を睨んだ。
す、進めづらい……。
ご家族にご挨拶して、故人様のご状態を確認してから処置となる。
先輩が白装束へのお着替えを勧めると、息子様から「母には、これを着せて下さい」とそのご宗派の正装らしいお着物を渡された。
ご納棺の時間、息子様はずっと無言で僕らを見ていた。
無礼がないか見張られているような心地だった。
穏やかな死に顔に見えた故人様は、お化粧をすると息子様とよく似た釣り上がった眉の凛としたお顔になった。
お化粧した当人である先輩が「お母様、凛々しいお顔ですね……」と驚いた。
きっと故人様が最期に……最期までご家族に見せたかったのは
業務後、バンに戻った先輩がぼやいた。
「今日のご家族マジめんどくさぁ……。ってこんな事言っちゃ駄目だからね」
正直過ぎる先輩の感想に、僕は苦笑するしかない。
とにかく誰にも聞かれていない事を祈ろう。
普段宗教に馴染みのない僕だから、教祖様と聞いてもどれほど凄い方なのかイメージが沸かない。
と言ったら納棺師失格だろうか。
息子様の終始、気を張った固い表情を思い出した。
宗教――個人的な次元で言えば信念だろうか。
自分の人生を須らく支えていたものを失う恐ろしさを、まだ僕は経験してはいないと思う。
それがどれほどの痛みと喪失なのか推し量るには未熟者過ぎる。
だからこそ安易に結論を出すまい。
今日の経験を、故人様に学ばせていただいた事を心に留めて、いつかそれを理解できるようになるまで変な解釈を加えず持っていたい。
僕らの乗る社用車は来た時と同じように、春霞に湿る石畳の道を踏み越えていった。
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