4 緊張
そして今、僕は納棺師の業務に向かっていた。
一か月前は、眼前で行われるご納棺の儀にただただ感激した。
今日になって改めてどれだけ気を張らなければならない仕事か思い知る。
そぞろ寒し正午。
高速道路の両脇に華やぐ紅葉を楽しむこともなくバンを飛ばして、故人様のご自宅前に到着した。
今日はご自宅での湯灌だ。
ご家族に挨拶して居室に上がらせていただく。お
故人様は七十代男性、長年にわたる闘病の末、病死。
目を閉じて胸元まで白い掛布団をかけられた目の前の故人様は僕の、亡くなった祖父と顔つきが似ていた。
ご家族は故人様の奥様と息子様だ。
奥様は過去に思いを馳せるように、言葉を区切りながら口にした。
「厳しい人だったんです。礼儀に厳しくて。しょっちゅう怒鳴り飛ばしてました。あとは、着物が好きで」
――僕の祖父もそうだ。
頑固で、何につけても厳しくて、祖母や母といつも激しい口喧嘩をしていた。
納棺師の先輩は頷きで応えながら、失礼にならないようゆっくり故人様のお顔に目を落とした。
「……厳しい方だったんですね。でも今、お顔を拝見してすごく穏やかな表情されているなと思いますよ。
お亡くなりになった方は最期に、本当にご家族に見せたかったお顔になるられると言います。
お父様は、本当はお優しい方だったんだと思います」
「あらぁ、そうですか」
緩やかに二、三度目を瞬かせた奥様の声が、少し湿っていた。
僕は、そんな場合ではないのに、祖父の最期の顔を思い出してしまった。
目元が熱くなって、慌てて目の前の仕事に集中しろと言い聞かせた。
僕は初めての現場本番の緊張で手を動かすのがやっとだった。
小さなミスを連発し、先輩に何度もフォローしてもらった。
故人様に申し訳ない思いで一杯で、でも自己嫌悪で顔を強張らせるなんてもっと失礼だから必死で落ち着こうと心がけた。
時間があっと言う間に過ぎたように体感した。
ご納棺が終わり、最後に手を合わせて立ち去る時、奥様と息子様が「ありがとうございました」と深く頭を下げられた。
先輩に出遅れて、僕も床に飛びつくように平身低頭した。
その真摯な感謝の言葉に見合う働きができたのか、僕は自信が持てない。
ご家族の姿が見えなくなったのを見計らって、自分の喉に爪を立てた。
そうせずにはいられない気持ちだった。
バンに戻って、先輩から「頑張ったね」と一言。
コンビニに寄って、そのまま車内で昼ご飯だ。
先輩はガッツリ牛丼を掻きこんでいた。
僕は助手席でバターロールをちびちび食む。
先輩が「初めて買ったけど結構美味しい」と牛丼の感想を述べた後、その素っ気なさのまま話し出した。
「私、納棺師十年やってるけど未だにミスするし何度も、ああしておけば良かったって後悔するよ。
でも申し訳ないってだけじゃなくて、学ばせていただいたんだって教訓にする事にしてるんよ」
「はい……」
僕は自分でも意気消沈している自覚があった。
と同時に、自分はこれからもこの仕事を続けるんだろうな、という予感があった。
だって、報いないといけない。
今日犯したミスは取り返せない。
今日会った故人様は明日か明後日にはもうこの世のどこからもその体は消えてしまう。
だからせめて、ありがとうございますと感謝の気持ちを持ち続けなければならない。
それを学ばせていただいた事を、僕自身のこれからに体現しないといけない。
手の中のバターロールが急に鮮やかに僕の意識に上った。
ただでさえ半人前なのに、空腹なままで良い仕事なんかできるわけない。
僕は大口を開けて、牛丼を詰めこむ先輩に負けないくらい、勢い良くパンを頬張った。
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