六月 yesterday

They buy records聞くためなら、レコ to listen,ードを買 you know.うんじゃん And when they comeファンの子たちは、僕たちに会 to see us,いたいから、 they just come ただそのために来 to watchるんだよ




 白黒モノクロの画面の中でそう答えるジョン・レノン。

 その答えに、思わず私はふっと笑った。





 六月二九日。ビートルズが日本へやって来た。武道館でのコンサート。そんな彼らを最初に待っていたのは、厳重な警戒態勢と、頓珍漢とんちんかんな質問が用意された記者会見だった。翻訳もそれほど良いとは言えない。伝えたい内容がどこか微妙に噛み合ってない感覚……会見が始まってからというもの、横にいた千春ちはるはずっとそわそわしていて落ち着きがなかった。通訳を交代したい。そう言いたげだ。事実、ビートルズの四人の顔も険しい。千春ちはるに任せた方が彼らの表情も幾分かマシなものになったかもしれない。


 ――あなたがたのファンは熱狂的で、音楽そのものを鑑賞していれば、聞こえても聞こえなくても満足していると言われるが、そのようなファンをどう思いますか?


 日本語ですら意味がよく分からない質問に答えなければならない。質問というか、詰問というか、ともすれば尋問かとも思った。「コンサートに来るのは、僕らに会いに来てるんでしょ?」。ジョンの答え方はどこかぶっきら棒だったが、いたって真っ当な回答だった。けれど、記者たちには、ある種いけ好かない若造に見えたに違いない。「歌を聴きたいならレコードを変え。見たい時はコンサートに来い」と挑発的な物言いをしたかのように訳されたものだから、千春ちはるは顔を手で覆った。

 だったら、あんたらもおう貞治さだはる長嶋ながしま茂雄しげおをお行儀よく見るんか、あぁん!? いつもはおっとりとしている千春ちはるが、この時ばかりは暴言を吐いたものだから驚いた。おまけに「そうは思いませんか、冬花とうか先輩!!」と鼻息荒く同意を求めてくるものだから、そうだね、と答えるしかなかった。

 この頃になると、千春ちはるなぎさの子分だという私の中での認識は、すっかり改まっていた。ひょこひょこしてて可愛いでしょ、となぎさは言ったが、勢い任せに物事をごり押そうとするなぎさとは違って、千春ちはるは堅実に一歩一歩を踏み締める小さな巨人だった。豊かな感受性と知性の持ち主。そして、あらゆる語学を使いこなせることもあって、他者への謙虚さがあった。記者会見が終わると、「まぁ、ジョン・レノンも時にイキってると思われても仕方のない発言してますからね……大人たちの目には特にそう映るんだと思います」と冷静な見解も示した。実際に世の中の風潮には、ビートルズを聴く奴は不良であって、そんな奴らが好きになるようなのがビートルズの曲というものがあった。ファンならば、それを聞いてカチンとくるのだろうが、千春ちはるは「そういう考えもあるんですね」と反対意見を飲み込める子だった。のめり込むと一つのことしか見えなくなってしまうなぎさや私には、なかなかない能力だ。会話をしていても、知的な刺激を受けるのは千春ちはると話している時の方だった。

 なぎさとの行き先に選ばれるのが、山、海、川だとすれば、千春ちはるとの行き先は、史跡、美術館、博物館だった。加えて、私のテリトリーである図書館に誘いやすかったのも千春ちはるの方だった。

 ならば、コンサートは? 行くとすれば誰と一緒に行くのだろう。やはり勢いのあるなぎさか。しかし、エンターテイメントに対する情熱なら千春ちはるも負けていない。……と、そんなことを考えていると、眼前に「ほれ」となぎさが三枚のチケットを垂らした。瞬間、そのチケットに千春ちはるの目の色が変わる。目を大きく見開き、あわあわと顎を震わせ、驚嘆とも喜びともつかない表情。叫びたいのか何をしたいのか、忙しくなってしまった感情に、彼女自身が反応しきれていなかった。


「せ、先輩!! そ、れ……ほっぺ、ペチンってしてください!!」

「……手に入れてたんだ」

「おうさ!! 行くよ、武道館!!」

 


 *****



 次の日、私たちは熱気の中にいた。客席には一万人のティーンエイジャー。男女比は四対六。しかしそんな数字は、湧き上がる歓声の中ではほとんど無意味なものに思えた。無尽蔵のエネルギーが、此処には眠っているのではないか。そんな感覚に陥る。割れんばかりの歓声という表現があるが、知らない間に空気は硝子のようなものになってしまったらしい。空気は粉々に砕かれて、ステージの光を乱反射する。人目を気にしている人なんて誰もいない。誰も彼も煌めきの向こう側に声を届かせようと叫んだ。

「ジョージ!! こっちを向いて!!」

「リンゴオォーッ!!」

「ジョージ!! ジョージ!!」

 彼が手を振る。それだけで、臨界状況の筈のボルテージは限界突破した。私も何かを叫んでいた。それは、メンバーの名前だったかもしれないし、意味を成さない言葉だったかもしれない。言葉ですらなかったかもしれない。叫んだ。これが叫ばずにいられるか。理性の九割は蒸発してしまっていた。

 辛うじて理性が一割残っていたのは、座席があったから。やはり、コンサートというのは座って聴くもの。私たちは座って楽しんでいた。それでも隣の千春ちはるは、百パーセントで身体を揺らしている。わずかな温度差、そして、当たってしまったひじが私を現実に戻した。――うわ、うるさ。


 気が付けば、四曲目だった。ビートルズの曲の中で、私と千春ちはるが一番に好きな曲――デイ・トリッパー。歌詞が、まるでなぎさ先輩みたいだと千春ちはるは言っていた。はじめ私は、“She's a big teaser”という部分が微妙に気に食わなかった。好意的に意味を取るんなら「らす女」。けれど、意図されているものは、おそらく「ペッティングまでは許すが、セックスはしない思わせぶりな女」。だから微妙になぎさと合わない気がしていた。けれど、そういったダブルミーニングを含めて、遊び全開で作られたと知って納得した。なるほど、確かにこの曲はなぎさだ。

「いやぁ、私はイマジンの方が好きだなぁ」

 ――いや、この時はまだリリースされてないんだけど? けれど、はぐらかし方としては彼女らしかった。こんな具合にして、なぎさはどの曲が好きということは言わなかった。どの曲にも特に執着が無いのか、それともビートルズそのものに実はあまり興味が無いのか。ひょっとすると、後者なのではないかという疑念が、密かに私の中にはあった。それでもコンサートに連れて来てくれたのは、ビートルズを見るというよりかは三人で楽しみたいから。いつかの未来で、一人で勝手に飛び出してしまった彼女なりの気遣いだったのだろうか。

 ふと、なぎさの顔を見やる。すると途端に、外界の雑音は0と1の間のものに分類されたのか、フェードアウトするように失われていった。代わりに響いてくるのは、この場に無い筈のピアノ。それから、ジョン・レノンの歌声だ。「想像してごらん」。彼は歌いながらそう語り掛ける。暗転した世界。そこに立つのは、私となぎさの二人。目の前にはステージの代わりに用意された一台のブラウン管。画面の中で不気味に胎動する鈍色にびいろの人の群れ。彼ら彼女らはステージの上のスターたちに向けて叫んでいる。けれど、声を上げる先が違ったら……? 例えばこれが、ヴェトナム戦争に対する反戦へのシュプレヒコールに変わったとしたら?


 ――ヴェトナム戦争に関心を持っているか。


 記者会見の中には、こんな質問もあった。それに対して、ジョン・レノンは「あの戦争は間違っている」と言った。もし、コンサートの最後に、彼が反戦運動を盛り上げようなんて言ったらどうなるのだろう。歓声のせいで声がうまく聞こえないかもしれない。聞こえたとしても、英語の意味をすぐには理解できないかもしれない。だが、理解できた者が、やがてみんなに伝える。伝播する。感染する。そして、ここに詰め寄せた一万人は一色に染まる。ここに居る一万人だけじゃない。そうして若者たちは、内に秘める無尽蔵のエネルギーの発散場所を見つける。東京から、ロンドンから、ニューヨークから、ボンから、パリから……世界中から蓄積された膨大なエネルギーが解き放たれる。それは、早大事件の比じゃない。そして闘争相手は、政府であり、植民地主義であり、アメリカの帝国主義だ。同士は世界。反戦運動は勝利する。


なぎさ……」


 なぎさは楽しんでいる振りをしていた。江戸見えどみ坂で出会った時、彼女は自分に演技の才能があるみたいなことを言っていたが、その才能は皆無だった。作られた笑みはぎこちなくて、本当に気持ち悪かった。

 対して、私はどんな表情をしていたのだろう。目と目が合う。楽しくもないのに笑うな。私がそんなふうに視線を投げたのだと受け取ったのだろうか。彼女は作っていた仮面を大人しく外した。そこにあったのは無。初めて見るなぎさの無表情に、私は言葉を失ってしまった。


「……」

「……」


 ブラウン管からは、ノイズだらけのイエスタデイが響いてくる。どうして彼女は居なくなったのかと、歌手は問う。どうして彼女は何も言ってくれなかったのかと、歌手は問う。そうして遣る瀬無さを抱きながら、彼女と笑い合えた昨日に想いを馳せる。そんな切なさの詰まった歌に、なぎさは冷めた目を投げかけた。


「……そりゃあ、見られたくないもんでも見られたからじゃね?」

「……」

「“Now I need a place to hide away” ……か。隠れたいのは、こっちの方だっつーの」




 ***




 翌朝、なぎさは姿を消した。

 何も言わずに。








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