六月 yesterday
「
その答えに、思わず私はふっと笑った。
六月二九日。ビートルズが日本へやって来た。武道館でのコンサート。そんな彼らを最初に待っていたのは、厳重な警戒態勢と、
――あなたがたのファンは熱狂的で、音楽そのものを鑑賞していれば、聞こえても聞こえなくても満足していると言われるが、そのようなファンをどう思いますか?
日本語ですら意味がよく分からない質問に答えなければならない。質問というか、詰問というか、ともすれば尋問かとも思った。「コンサートに来るのは、僕らに会いに来てるんでしょ?」。ジョンの答え方はどこかぶっきら棒だったが、いたって真っ当な回答だった。けれど、記者たちには、ある種いけ好かない若造に見えたに違いない。「歌を聴きたいならレコードを変え。見たい時はコンサートに来い」と挑発的な物言いをしたかのように訳されたものだから、
だったら、あんたらも
この頃になると、
ならば、コンサートは? 行くとすれば誰と一緒に行くのだろう。やはり勢いのある
「せ、先輩!! そ、れ……ほっぺ、ペチンってしてください!!」
「……手に入れてたんだ」
「おうさ!! 行くよ、武道館!!」
*****
次の日、私たちは熱気の中にいた。客席には一万人のティーンエイジャー。男女比は四対六。しかしそんな数字は、湧き上がる歓声の中ではほとんど無意味なものに思えた。無尽蔵のエネルギーが、此処には眠っているのではないか。そんな感覚に陥る。割れんばかりの歓声という表現があるが、知らない間に空気は硝子のようなものになってしまったらしい。空気は粉々に砕かれて、ステージの光を乱反射する。人目を気にしている人なんて誰もいない。誰も彼も煌めきの向こう側に声を届かせようと叫んだ。
「ジョージ!! こっちを向いて!!」
「リンゴオォーッ!!」
「ジョージ!! ジョージ!!」
彼が手を振る。それだけで、臨界状況の筈のボルテージは限界突破した。私も何かを叫んでいた。それは、メンバーの名前だったかもしれないし、意味を成さない言葉だったかもしれない。言葉ですらなかったかもしれない。叫んだ。これが叫ばずにいられるか。理性の九割は蒸発してしまっていた。
辛うじて理性が一割残っていたのは、座席があったから。やはり、コンサートというのは座って聴くもの。私たちは座って楽しんでいた。それでも隣の
気が付けば、四曲目だった。ビートルズの曲の中で、私と
「いやぁ、私はイマジンの方が好きだなぁ」
――いや、この時はまだリリースされてないんだけど? けれど、はぐらかし方としては彼女らしかった。こんな具合にして、
ふと、
――ヴェトナム戦争に関心を持っているか。
記者会見の中には、こんな質問もあった。それに対して、ジョン・レノンは「あの戦争は間違っている」と言った。もし、コンサートの最後に、彼が反戦運動を盛り上げようなんて言ったらどうなるのだろう。歓声のせいで声がうまく聞こえないかもしれない。聞こえたとしても、英語の意味をすぐには理解できないかもしれない。だが、理解できた者が、やがてみんなに伝える。伝播する。感染する。そして、ここに詰め寄せた一万人は一色に染まる。ここに居る一万人だけじゃない。そうして若者たちは、内に秘める無尽蔵のエネルギーの発散場所を見つける。東京から、ロンドンから、ニューヨークから、ボンから、パリから……世界中から蓄積された膨大なエネルギーが解き放たれる。それは、早大事件の比じゃない。そして闘争相手は、政府であり、植民地主義であり、アメリカの帝国主義だ。同士は世界。反戦運動は勝利する。
「
対して、私はどんな表情をしていたのだろう。目と目が合う。楽しくもないのに笑うな。私がそんなふうに視線を投げたのだと受け取ったのだろうか。彼女は作っていた仮面を大人しく外した。そこにあったのは無。初めて見る
「……」
「……」
ブラウン管からは、ノイズだらけのイエスタデイが響いてくる。どうして彼女は居なくなったのかと、歌手は問う。どうして彼女は何も言ってくれなかったのかと、歌手は問う。そうして遣る瀬無さを抱きながら、彼女と笑い合えた昨日に想いを馳せる。そんな切なさの詰まった歌に、
「……そりゃあ、見られたくないもんでも見られたからじゃね?」
「……」
「“Now I need a place to hide away” ……か。隠れたいのは、こっちの方だっつーの」
***
翌朝、
何も言わずに。
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