七月 三角形
一緒に探してください。
そう
「放っておいたら帰って来るでしょ」
私は煎れたコーヒーを片手にそう返す。いつもより薄暗くなった部屋。外から響く雨音。それがよく響くものだから、知っていたよりも部屋は広かったんだなと朧げに思った。それでも、天気予報は昼には雨は上がると告げている。止まない雨はない。
しかし、
「
「
「頼みの綱のアメリカさんが居なくなった途端に何も出来なくなるんだね、
「っ!? どうして、そういう言い方しか出来ないんですか?」
「そういう言い方しかできないよ。申し訳ないけどね」
私を睨む勢いの
そしてこれは、
そうして、いわば奇妙な日米ソ同舟がこの部屋に出来上がっているわけだが、友達ごっこならまだしも、馴れ合いになると話が変わって来る。船の中で料理人になることは許されているが、場合が場合なら航海士と通信士を殺すように命じられている。さもなければ、私は同胞に裏切り者と
「それに、行き先も分からないようじゃ探しようもない」
「……
「分かってないね、
偶然は必然じゃない。
「……怪しい挙動をするCIA職員がいるんです」
「…………」
「一緒に後をつけませんか?」
「きっと……鳥取にいます」
「根拠は?」
「
「……」
東海道新幹線に乗る。その頃になって、
「
「買い被り過ぎです。――
「……いきなりどうした?」
「冷静な返しやめてください。言った私が恥ずかしいじゃないですか」
一緒に居たいと言ってくれたが、それは私の方こそそうだった。車内での暇つぶしにと持ってきた本。それが、お互いに遠藤周作の『沈黙』だったものだから、読了後に感想を語り合うことになった。でも同じような感想だったから、すぐに飽きてしまって、むしろ
「あー、もう!! なんか、
「強引。理解不能。傍若無人」
「いつも突然。落ち着きがない」
「奇天烈。奇想天外」
「驚かされてばかり」
「居てくれたら、空気が変わる」
「一緒に居るだけで明るくなります」
だから、引っ張っていって欲しい。どこまでも連れてっていって欲しい。そんなふうに被害者の会だった筈のものが、気が付けば褒め称える会に変わっていたから不思議だった。他にも、スレンダーで羨ましいなんて話も出た。それに関しては、
「……
おい、寝言はズルいぞ。
「いつか行きましょう……三人で……宇宙……」
*****
「よくここが分かったね。
「……」
「……」
私が
場所は、夜の高校のグラウンド。いいや、高校と呼ぶにはまだ早かった。安全第一の看板。足場の組まれた鉄骨の塊は、いまだ建設中であることを物語っていた。それでも、それが高校だと分かったのは――
「――
言葉だけを投げかける。
しかし、どう声を掛けたらよいものだろう。
そうやって、ただ立ち尽くしたまま、
「帰るよ、不審者」
透き通った声だった。夜の闇を裂く
「不審者ぁ? 失敬な。私は未来の在校生ですぅ」
「あんたが女子高生? 50年早いよ」
「50年かぁ……熟成した女子高生。略して熟女!! もちろん合法ロリだね」
有害指定受けろ、
どうして、人は星を眺めるのか。きっと、この問いに答えはない。けれど、私たちは望遠鏡にその答えを見出していた。誰かが言った。〈
「やめなよ、KGB」
星を眺めながら、不意に
「私もCIAやめるからさ」
嫌になっちゃうよ、と。コンサートに来ていた人の群れ。あの時は、あれが敵に見えてしまった。
一九六六年、冷戦を戦っていた東西陣営だが、両陣営共に内部には
「25年後に、ソ連は地図上に無いよ? ソ連に未来を創造する力はない」
「50年後のアメリカは勝ち馬じゃない。アメリカは月旅行を可能にしない」
この物語に用意されていた筋書きは二つあった。
一つ目は、ソーニャの物語。サハリンで生まれ育った彼女は、半分日本人、半分ロシア人。戦後の混乱期に残留民として境界地域に取り残され、歴史に忘却された一人だった。小さいころに聞かされた話はこうだ。日本は身勝手な戦争をした。その挙句、お前を見捨てた。そんな酷い奴らの血が半分。しかし、もう半分は、もっとロクでなしの火事場泥棒。だから、血も民族も国境も関係ない共産主義は、ソーニャにとっての救いだった。世界を混乱に陥れる元凶は、自由を掲げて競争原理を持ち込もうとする西側にあるのだと、怒りの矛先を定めることが出来た。日本も、アメリカも、それからロシアも、自分を虐げる存在だ。けれど、ソヴィエトは平等だった。ソーニャにはソヴィエトしかなかった。ソヴィエトだけが自分にとっての救いだった。だから、何でもできた。ロキシーを名乗る敵国人を撃ち殺すことも簡単にできた。そうやって身も心も捧げたソ連は、突如として終わりの時を迎える。一九九一年八月に、ソーニャはモスクワに居た。ソ連存続を賭けた最後の試みが虚しく終わり、もしロキシーと生きる未来があったならと、そんな在りもしない未来を想像しながら、自らに引き金を引いた。
もう一つは、ロキシーの物語。生まれは、天使と名付けられた街――
「ソ連があれば、あなたは宇宙に行けるかもしれない。競争の中で、アメリカは宇宙を目指した。だから、私はソ連を支える。あなたの幸せのために」
気が付けばそんなことを言っていた。ソ連の宇宙開発は、確かに多くの場合、その場しのぎのハリボテだった。けれど、そのロケットは安価なわりに優秀だった。ソ連崩壊後に経済危機と外貨不足に陥ったロシアは、アメリカにロケットを売ることとなった。アメリカもアメリカで、国際宇宙ステーション(ISS)に宇宙飛行士を送るためにはソユーズの宇宙船が必要であったりと、多くの面でロシアを頼ることになった。その依存度が白日の下に晒されたのは、2014年に起こったクリミア危機以降のこと。アメリカは、自分の足だけで宇宙へ行けないことを思い知ることになった。そんな時に脚光を浴びたのが、民間宇宙会社――イーロン・マスクやジェフ・ベゾスといった人物だった。
「――だからって、世界を閉ざしちゃ駄目でしょ。作った壁は壊れる。高ければ高いほど、圧倒的に壊れる。可能性を閉ざして、想像力の狭まった世界に未来があるとは思えないよ。やっぱ、
だから、こっちに来なよ。ソ連なんて捨てちゃいなよ。そう言う
「私は幸せだよ。けど、
「ソ連は、壊れちゃうんだよ!?
「変えられる……かもしれない」
「うそだ!! 大きな運命の流れは変わらない!!」
「普段は理想主義者のくせに……」
「いつもは現実主義者のくせに……」
話にならない。平行線だ。いいや、相手の幸せを願うという一点が共有されているだけに、二人はさながらV字の線。想えば想うほどに、離れていくばかりだ。願いの数だけ星があるのだとすれば、ベガとアルタイルを隔てる天の川は深く広くなる。橋を架ける存在があればいいのに。一つだけでいい。一つだけでいいから、私たちを結んでくれる点がありさえすれば……。
「二人は、ほんっっっと馬鹿野郎です!!」
――闖入者がいた。
*****
「いつも二人はそうです!! 相手のことばっかり。自分の幸せでもなく、相手の幸せでもなく、どうして二人の幸せを考えないんですか!?」
私は二人のことが大好きなんです。だから、二人に幸せになって欲しい。そんなふうに小さな巨人が絡みつく私たちに飛び込んできた。瞳を潤ませながらも、訴えかけようとする表情があまりにも必死で、私と
私と
これは二人の物語じゃない。二人だけでは
「三人の幸せを見つけましょう。三人で」
「いやぁ、そういう功利主義的なのはちょっとなぁ……」
「よし、
*****
七月二四日、ソ連外相グロムイコが訪日。
他方、大陸に目を向けると文化大革命の火ぶたが切られていた。十年にわたり中国全土が大混乱に陥れることになる大衆を巻き込んだ政治闘争だが、この運動の思想には、「修正主義」ソ連に対する反発もあった。アメリカと関係改善を目指していくソ連。そして、いまや日本とも関係を深めていくソ連。グロムイコ訪日を受けて、『人民日報』は「米日ソの神聖同盟」とその様を表現した。これは、国際的に孤立を深めていた中国の歪んだ見方に違いなかったが、しかし同時に、歴史に隠された少女三人の様を言い表すにしては少々控えめな表現であった。
しかしこの時、すでに
「ソーニャという工作員、かなり
報告を受け取ったその男は、すうっと微笑を浮かべた。まるで友人と語り合うかのような口調。しかし、そうしながらも、彼の表情にはどこか凄みがあった。生来慎重である彼は、目の前の報告者に警戒心を解かない。彼の笑みが、いつ冷厳な表情に変わるのか。日本人にしては一七〇センチという平均より八センチ程高い背が、彼の中に潜む底知れぬ力の大きさを物語っていた。
彼に相対するのは、ロキシー・ヘルナンデス。CIAとはもう一つ異なる顔を持っていた彼女は、ここ半年の成果報告のために男のもとを訪れていた。それは、ソ連の超能力者開発に関する調査。代表としては、ニーナ・クラギーナがサイコキネシスの持ち主として注目されていたが、米諜報機関もまた超能力研究に関心を寄せていた。そうした中で、超能力を持つソ連諜報機関員の女が、日本で活動しているという情報をこの男は掴んだ。――ロキシーの能力によるものである。
日本はスパイ天国だと言われる。ならばさせておけばいい。放っておいても、彼女らは日本にやって来る。口を開けているだけで、勝手に異能力者が集まって来る。あとは、それを味わえばいい。そしてついに、
「ソーニャってば、何度も私の居場所を当てちゃうんだもん。びっくりしたなーもー」
例を上げればキリがない。
「でもさ、くれぐれも、捕まえて人体実験したり、身体を
「ふっ……。田中君の不祥事の発覚。あれは、警告のつもりか? なるほど、君も
「そ。二人のためなら、政権の一つくらいはひっくり返せちゃう。だから、仲良くしよ、えーちゃん」
「いちいち癪に障る女だ。言葉に気を付けろ。おれは総理大臣だ」
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八月二日 火
九時半から経済閣僚会議。(中略)夕刻白洲君がロックヘラーの番頭さんを連れて来る。暫く駄弁る。同時に宮沢君の待遇について話合う。
佐藤栄作(伊藤隆監修)『佐藤栄作日記 第二巻』(朝日新聞社、一九九八年)、四六七頁。
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⁽¹⁾ アンドレイ・グロムイコ(読売新聞社外報部訳)『グロムイコ回顧録――ソ連外交秘史』(読売新聞社、1989年)、三九一頁。
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