二月 早大事件

二月二十五日 金

閣議。早大事件で指示。私学経営の基本的問題に関心を示す事はいゝが、現在の騒動事を見過ごしてはならぬ。殊に全学連中の暴力的青年学徒(マルキスト、中にはアナキスト)の取締指導等、此の際対策を樹立する要ありと永山君や中村文相等へ指示する。


佐藤栄作(伊藤隆監修)『佐藤栄作日記 第二巻』(朝日新聞社、一九九八年)、三八七頁。

--------------------







「これって、冬花とうかちゃんの仕業?」

 テレビを見ながら、なぎさがそういてきた。




 白黒モノクロうごめく。そのうねりは人の波。割れんばかりの叫び声を纏い、鈍色にびいろの混沌は画面の向こう側の熱を運んで来る。怒号と衝撃が生み出す摩擦熱は、寒空を蒸発させた。バリケード封鎖。全学スト突入。それは、許されざる暴挙に対する叛逆。機動隊という名の振りかざされた権力に対する抵抗。決して、卑劣な暴力に屈服してはならぬ。二月の空に轟くシュプレヒコール。その闘いは、早稲田大学全共闘と呼ばれた。



「さぁね」



 私は、夕飯にと作っていたカレーの味見をしながら、素気のない返しを行った。なぎさはというと、彼女もまた有益な答えを期待していたわけではなかったのか、「ふぅん」とだけ鼻を鳴らして、読みかけの新聞記事に視線を戻す。実際のところ、早大全共闘に関わってる奴とは見知った仲ではあったが、さして仲が良いというわけでもない。勝手にどうぞというのが、私自身の見解だった。それどころか、社会との闘いであると旗を意気いき揚々ようようかかげたところで、所詮は闘争であって、闘い方を知らない馬鹿共が、熱に浮かれやすい馬鹿共を扇動する不毛で醜い不良活動――と、冷めた目で画面を見る自分さえいた。それは、大学生という純粋に知と向き合える宝石の原石が、愚かな大衆になり下がる瞬間だった。自らのアイデンティティーをエリートではなく、勤労大衆にあるのだと見定めたのなら、潔く退学するなりなんなりして、清水の舞台から飛び降りる覚悟を示して欲しいものだ。舞台に留まりながら、不平不満を赤子の如くわめき散らす姿には、美しさと呼べるものが無かった。――ダサかった。もっと冷めた見方をすれば、前年一月の慶應義塾大学での闘争に対抗したいという、所詮は取るに足らないライバル心の産物かもしれない、とさえ思った。

 それとも、秋月あきづきなぎさならば別の感情を抱くのだろうか。ふと、私はなぎさの方へ視線を向ける。秋月あきづきなぎさと銃口を向け合った日から一カ月。私は戦略上の理由からなぎさの家に通うようになっていた。利害の一致と言っても良いだろう。工作員の活動というものは実に幅広いが、特殊なオペレーションを行うのはまれであって、大抵は地味で地道な情報収集活動に時間を費やすことになる。情報源は、新聞であり、書籍であり、ラジオであり、テレビであり、学術的出版物であったりする。だから、なぎさの家の箪笥たんすの中を見た時は、ある意味で安心し、ある意味でがっかりしたものだ。置いてあった物は、なんということは無い。朝日新聞、毎日新聞、讀賣新聞、産経新聞に、日経新聞……新聞の山だった。それでも、国内の政局をつかむための情報であったり、海外事情に関する報道のされ方の分析ツールになるため、宝の山であることに違いは無かった。それにしても、こうした情報の精査を一人で出来るわけではない。「二人でやろう」との申し出をなぎさが行った時は、初めこそ正気を疑ったが、情報収集の効率は単純計算で二倍になった。また、潜入先での情報共有を行うことも、充実した情報網の形成を可能にしていた。ちなみに念のため述べておくと、ここでの潜入先とは、学術機関のことである。秋月あきづきなぎさ風間かざま冬花とうかは、傍目には都内の大学に通う女学生である。つまり私たちは、日本の学問の場に、公然かつ合法的に潜入している。そこで、共産主義に惹かれている学徒や教員に接触し、意見交換や情報共有を通じて、場合によればその手の活動に従事させてやる。――なぎさはその逆をする。商売敵であるのは確かだが、しかし、なぎさの言うように同業者であることは間違いないのであって、ケースバイケースでは呉越ごえつ同舟どうしゅうになりえた。

 もしも、立場が逆なら……あるいは、同じ立場だったのなら、なぎさはどうやるのだろう。最近そんなことをふとした時に考えることがある。テレビの向こうで声を張り上げる早大生。果たして彼女なら、全共闘活動を情熱的に盛り上げて見せるのだろうか。思えば、ある小説の中で、独学者どくがくしゃは人生の意味についてこう説いていた。「まず行動し、一つの企てのなかに身を投じなければならない。しかる後に反省すれば、すでに賽は投げられており、人は束縛アンガジェされている₍₁₎」、と。人間の本質とは自由である。生きる意味は、与えようとすれば、そこにおのずと付与される。それ故に、積極的な社会参画を行うべし。裏を返せば、社会の傍観者である限り、生きる意味は見いだせない。くも、思想の中心にあるのは人間への愛であり楽観主義オプティミズム。――秋月あきづきなぎさとは……Roxyロキシー Hernandezヘルナンデスとはヒューマニストであろうか。人間の本質を自由に見出す人種であろうか。きっとそうなのだろう。だが、けだし自由とは闘争原理の名だ。資本主義者は、闘争原理を求める。彼女は、資本主義者だ。



「Oh ... 牛肉かと思ったら豚かぁー」

「文句あるなら食うな」


 言うと、なぎさはカレーの乗った皿をプイッと胸元に避難させた。取り上げられるとでも思ったのだろうか。いちいち一挙手一投足が大仰な子だ。


「嘘つき!! 今夜はビーフカレーって言ったじゃん!!」

「言ってないよ。――牛肉は百グラム百円。しかも、は少ない。買うわけないでしょ」

「……むぅー」

「これだから、庶民感覚が分からないブルジョワは……」


 物価高。買出しに行けば、主婦たちの不満の声であふれている。ある人は、いわしが一匹三十円することに溜息ためいきこぼしていた。値段だけ見ると大したことないかもしれないが、オリンピック後の長引く不況を考えれば家計へのダメージは大きかった。そこに来て、早稲田大学では授業料値上げの発表。怒りが湧くのは分かるが、学内で乱痴気らんちきさわぎを起こすよりかは、物価高に対するデモを応援する方が、いくらかは佐藤政権に揺さぶりを入れる道具にはなりそうなものだ。


「まぁ、いいや」

「?」

冬花とうかちゃんの作るものは、何でもおいしいからねー。牛はなくても、お代わりはあるんでしょ?」


 にかっと歯を見せるなぎさ。その表情が無邪気だっただけに、私はどことない嫌悪感とそれでいて御しがたい罪悪感に襲われた。カレーなんて誰が作っても一緒だ。それが私の持論だった。確かに、カレーを専門に扱う店なら話は別だろう。だが現に、目の前でなぎさが食しているそれは、規格化された生産ラインで作られた野菜を使い、メーカーが用意したルウで仕上げたものだ。実に、画一化され均質化された魂のない食ではなかろうか。そんなものを「おいしい」と? 私にとってなぎさが示した態度は、つまりはそう言うことだ。秋月あきづきなぎさとは、人間が生来備えているべきはずの感受性を失った化物か、さもなくば承知の上で盛大な嫌味をかましているかのどちらかだった。


「いやいやいや、極論すぎだし、あらゆる方面に失礼すぎでしょ」


 意見を述べると、なぎさには笑い飛ばされた。雨にも風にも負けずにやってる農家の人に失礼だし、ルウを懸命に開発研究している企業に失礼だと。そこまで言うなら、畑に種を撒くところからやんなきゃならなくなるじゃん、と。


「それにさ、だとして何の問題があるの? おいしかったらいいじゃん。私たちが一から作ろうとしたら大変だよ? 時間もかけなきゃいけないし、手間もかけなきゃいけない。まさか、毎回毎回スパイスの吟味ぎんみからする気?」


 なぎさはお道化どけた調子で話す。悪意は無いように話しているふうだった。けれど、彼女も人間だった。人間は社会を形成する。社会を形成する以上、他者との比較優位を心の中に作り出す。認識バイアスが、自分は人よりも優れているはずだとささやく。だから、秋月あきづきなぎさの口角には、わずかながら私へのさげすみがあった。――心のどこかで、私を馬鹿にしていた。そして、論破したりとえつに浸り始めていた。そんなふうに、彼女の無意識化に潜んではほくそ笑む悪魔に、私は静かに告げる。


「本来なら、そうすべきだと思う。そこを目指すべきだと思う」

「……ふぇ? 一から全部作るってこと?」

「理想はね。この文明社会でそんなの無理なのは分かってる。その上で、目指し続けるべきだと思う」

「おっとっとー? 共産主義者とは聞いてたけど、まさか、共産主義は共産主義でも、原始共産主義者だった?」

「そうじゃない。これは個人的な信条」


 想像してみて、と混乱し始めたなぎさに私は語り掛けた。私は今日、このカレーを作るまでに、食材を切り、火にかけて、ルウで味を付けた。細かいことを除けば踏んだのは三工程。将来、この工程はさらに省略されていく。実際に「インスタントの時代」は始まっている。お湯を入れて、完成を待つ。ここに工程は一つしかない。これはもはや料理と呼べるのか? いずれ完成品だけを食べる日がやって来る。料理は誰もやらなくなる。やる必要が無くなる。完成品は、簡素化され、カレーと書かれたカプセルだけを食べる日がやってきてもおかしくない。それで、「おいしいからいいじゃない」と言えるだろうか。料理などという煩わしい束縛から解放され、人間はこうした食の進歩に万歳三唱をするだろうか。していいのだろうか。


否だНет


 食べることは生きることだ。料理とは人間の営みだ。過程を踏みしめることは、人生の道程を歩くのと同義だ。時に工程を省略することは有りだろう。茨道ばかりを歩けば傷だらけになる。だから、舗装された道を通ることはいい。だが、その道とは誰が舗装した道か? 舗装された道は、何処どこに通じているのか。アスファルトの道は、土の香りを忘れさせる。ここに利便性と人間性の間に競合が生じる。機械に囲まれた世界で、人間性は忘却の道を辿たどる。立ち止まり、人間性について再定義を試みる人がどれだけいるだろうか。カップラーメンに囲まれた部屋で、お湯だけを注ぐ機械になり果てた人間。そこに思考はない。考える必要もない。そうやって、考えることをやめる。考えなくなる。工程を省くとはそう言うことだ。料理を止めることをは、考えなくなることだ。


「人間の本質は、想像を創造することにある。料理とは人間性の手鏡であり活性化装置だ。人間が料理をやめる時、人間は想像力と創造力を失う。人間が料理をやめる時、人間は人間でなくなる。残るのはタンパク質製の糞製造機だ」


 火を使い、料理をした。それが想像の始まりであり、創造の始まりではなかったか。それが人間の始まりでなかったか。時が下り、料理は女のすることだと言われるようになったことは、ある意味において必然だったかもしれない。神話上の地母神がそうであるように、創造と女性には記号としての親和性があった。しかし、料理という行為は、人間の必需品だ。歴史上において料理を忘れた男は、真の意味で火を使いこなすことは無かった。さながら、想像と創造を失った木偶でく。料理は誰かの義務でもなければ、特権でもなければ、専有物でもない。料理とは人間性そのものだ。


「私は人間でありたい。貴方あなたはどう?」




 ***




「だから、冬花とうかちゃんの料理はおいしいのかぁー」


 なぎさは言って、二杯目を皿に入れる。話を聞いていなかったのかと問いたくなったが、なぎさは「カレーを口に入れた瞬間、冬花とうかちゃんの顔が浮かぶ」と言った。作ってくれた人の顔が思い浮かぶ。そんな人間味あふれる料理だと。


「カレーなんて誰でも作れる」

「料理の腕が分かる料理の一つでもあるよ。シンプルだからこそ、その人の癖がよく分かる」


 じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ……そのどれもが、一番おいしくなるタイミングを狙っていること。肉を炒める時に、実は塩胡椒を使っていて、風味に奥行きを持たせようとしていること。けれど、ルウを入れる段になって隠し味や味付けをすることが面倒になって、仕上げは適当にしたこと。


こだわりたいところと、そうでないところの落差が激しい。基本は面倒臭がり屋なのに、よく分からないところに強烈な地雷を抱える頑固者。このカレーは、本当に冬花とうかちゃんって感じがする」


 笑みを浮かべる。


 だが、それは作られたものだと、すぐに分かった。心に抱える悲しみや、さらに踏み込めば、敵愾心てきがいしんの類を悟られまいと隠すための偽りの笑み。一体彼女は今、どんな感情を押し殺そうとしているのか。どうして隠そうとするのか。

 その答えは、初めからここにあった。夕飯の香りで包まれる前のこの部屋に。3LDKの空間は、なぎさ一人のためだけにしては伽藍堂がらんどう。私がこの部屋に訪れる前に、銃口を向けられる前に、そして、夕飯の香りが埋める前に、この空間を埋めていたのことを想像し、私は視線を逸らした。出会った時になぎさは言っていた。手続き上は仲間と住んでいると。だが、現状は一人暮らし。私が来る前、この空間は「家族」で満たされていたのではないか。


「察しちゃったか……」

「……」

SallyサリーHenryヘンリー。血は繋がってなかったし、単に任務上での家族ごっこだったけど……いい人たちだった」

「死んだの?」

「殺されちゃった」


 街の片隅で起きた事件を、どんな報道も取り上げることは無かった。とある裏取引。そして、その現場に突如として現れた暗殺者アサシン。二人はマカロフPMから放たれた凶弾に倒れたという。コンパクトで軽量のマカロフPMは、KGBの間で親しまれた拳銃だった。

 二人が殺された時、なぎさもまたその場にいた。当然、撃ち合いになった。恐らく実力は互角。けれど、冷徹な目をした暗殺者アサシンを見て、なぎさは初めて本物の恐怖を知った。二人と同じように自分も殺されてしまうかもしれない。それもある。だがそれ以上に、宵の空の如き紫黒しこくの瞳を目にして、全身が氷の大鎌に貫かれた感覚に陥った。命を刈り取ろうとするその宵闇よいやみを形容する言葉があるとすれば、まさにそれは死神。心はない。慈悲もない。襲い掛かった不条理に、感情と呼べるものは一切見いだせなかった。人とは異なる次元に生きているのではないかとすら感じた。そうして、ドローに終わった対決。ついにかたきを討つことは出来なかった。

 残されたのは、木端こっぱ微塵みじんに粉砕された計画と、無力な自分と、行き場のない怒り。共産主義者がッ!! わけもわからず、そう喚き、地面を殴った。家に帰れば一人。広がった虚な空間は、なぎさの心を酷く搔き乱した。どうしていいか分からなくなった。目を閉じれば、まぶたの裏にはいつもこくの死神。光のない氷の瞳。眠れない夜が続いた。しかし次第に、慣れと忘却が、恐怖の色を薄めていった。それとは反比例するように、なぎさは好奇心を抱くようになっていった。


「知りたくなったんだ。二人を殺した奴が、どんな人間なのか」 

「…………」


 そして秋月あきづきなぎさは、ついにそのかたきを見つけた。一月の江戸見えどみ坂に標的はいた。咄嗟とっさの判断から、初めは尾行を試みたが、すぐに勘付かれて失敗した。やはり化物か。けれど、仮病を使ったなぎさに対して、宿敵であったはずの存在は親身に接してきた。そこに、あの日見た死神はいなかった。代わりに居たのは、風間かざま冬花とうかを名乗る同級生の少女。紫水晶アメジストの輝きを秘める少女だ。


「最初は、隙あらば……って思ってたけどやめた」

「死神か……。そんなふうに思われてたなんてね」


 悲劇の日を、私も覚えていた。暴力団への資金の受け渡し。革新勢力の活動を妨害するために、CIAはマスコミだけでなく反社会的勢力も利用していた。初めはその様子を、仲間数人と隣のマンションから盗聴しているだけだった。何もなく終わるはずのミッション。だが、こちら側の動きは、どういうわけか筒抜けだった。そのうち、二人のCIAが扉を叩いた。められた。そう思った。

 どちらが先に発砲したかは、もはや問題ではなかった。真犯人がいたとすれば、それは近くで上がった花火だった。途端とたんに辺りに血の花が咲いた。きっと私たちはここで死ぬ。毒を食らわば皿まで。現場が混乱する中で、私の頭には取引を妨害することしかもう頭になかった。せめてもの悪あがき。そうして地獄が生み出される中、私は一匹の悪魔と出会った。猛禽類もうきんるいを思わせる鋭い金色の眼光を放つ悪魔。私はついに死んでしまって、あの世に逝ったかとも思ったが、その悪魔はM1911を構えていた。嗚呼、本物の悪魔は地上に棲み付いていたのか。――その日からだ。夢の中にも、金星の悪魔が出てくるようになったのは。江戸見えどみ坂で再会した時、彼女が琥珀色アンバーに見えたのは、夢の中の悪魔が忘れられなかったからだ。


「って、悪魔かい!! どんなふうに見えてるかと思えば……びっくりしたなーもー」

「……」

「まぁ、何でもいいや。今更謝って欲しいとも思わないし、許し合おうとか、お互いに忘れようとか言うつもりもない。……けどね、やっぱりこの3LDKは私一人には広すぎるよ。」

 

 だからね、これは悪魔のぼやき。

 部屋に空きあるけど、どう?




 ***




26 Feb 1966

同居人が一人増えた!! というわけで、入居祝いのパーティーをしようとしたけど、「牛肉を食べたいだけでしょ」と一喝された。バレておる……。でも、なんだかんだで肉じゃが作ってくれるんだから、優しい。あと、おそ松くんを一緒に見た。明日からまた楽しくなりそう。

いつか……下の名前で呼び合えたらいいな。――おいおい。寝言で、「ごめん、Roxy」って言うのはズルいぞ。Come on,Соня. Have a nice dream, my frenemy.


(Roxy's Diary)

 




 




--------------------

⁽¹⁾ ジャンポール・サルトル(鈴木道彦訳)『嘔吐[新訳]』(人文書院、二〇一〇年)、一八七頁。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る