9月 先輩後輩
――ごめん。今日遅れる。
「一体どうされたんでしょう?」
帰路についた
そうかと思えば、関東には大型台風が直撃。台風に名付けられた名前が、ファクサイだったものだから、Twitter上には台風の進路図に白菜が貼り付けられたクソコラが出回っていた。一か月後にはこれが、別の台風によって北陸新幹線水没の画像に置き換わってしまう。今年は、浅間山が噴火した。山形県沖の地震もあった。風に、水に、火に、土……とうとう日本も終わり始めたのではないか。尋常ではない熱気は、根拠のない終末論を、無条件に肯定しているように思われた。
「
「何をされてるんですか?」
「追試」
「……へ?」
思いもよらないワードに、はじめ
「意外です……」
「
「特に
「もういい加減自首してください。最近は外堀から埋めようってことなのか
「わぁお、カリビアン」
「呑気なこと言ってる場合じゃないです。
「ぷぷぷー。三角形の頂点は3つですぅー。まさかn角形の頂点の数をご存じでない?」
「言葉の綾に決まってるじゃないですか」
溜息を吐く
私は二人が大好きだ。
「人は先輩に生まれるんじゃない。先輩になるんだ」
先輩になることが出来たのは、
彼女の議論は面白い。彼女はその著書『第二の性』の冒頭で、女性は〈他者〉であるとして、〈主体〉たる男性の副次的存在となってしまっていると言う。理由として多く挙げられるのは、生物的理由――すなわち、ホルモンによって心身が大きく左右されるため、男性に比べ不安定な存在であること。言い換えれば、女が雌であることに縛られるがゆえであるとする論者がいることを紹介する。しかしボーヴォワールは、そうした説に対して、女性が男性に対して多くのハンディキャップを負っていることの説明になっているとは認めつつも、女性が〈他者〉になった理由は説明できないとする。生物的理由が原因ではない。そうではなく、
男は女の神秘を恐れた。女性崇拝は愛ゆえではなく恐怖ゆえだった。男性は弱い存在であった。それゆえに男性は、女性を〈他者〉にするしかなかった。自らのものとすることで、闘争が起らぬうちに、女性を不安定と混乱の原因に仕立て上げることに成功した。そうして出現した私有財産が、女の権威を失墜させたとボーヴォワールは分析する。
六〇年代頃から盛り上がったフェミニズム運動。これは当時の時代背景と無関係ではなかった。学園闘争、ヴェトナム反戦運動、社会主義への憧憬。これらは、虐げられていると感じた者たちの逆襲であった。敵は社会構造。敵は大人たち。敵は帝国主義。敵は植民地主義。敵は男性中心の社会。敵は権力。グレーがカラーに変わった時、彼ら彼女らは歴史の主役となった。自らを解放するために、
だから自分の考えも、ことによれば歪んだものかもしれない。そう自覚しながらも、
その時、ふと
――悪いねぇ、ソーニャ。君に恨みはないけど、消せって言われてるんだ。
声で振り返る。
刹那、
*****
映像は現実だった。
ちょうど、校舎からストレチャーに乗せられて誰かが運び出されてくる。確かめるまでもなかった。
「おい!! 何やってる!?」
「乗れ!! 早く!!」
芝浦の言葉が、救急隊員の仕事を減らした。ストレッチャーに乗せられた人物は、二人にとって特別な人である。そんな関係性が、たった二言で説明された。当の
「
「
声を掛ける。が、顔を見て、一瞬別人かと思ってしまった。横たわっていたのは、確かに
不意に、
呼吸が荒くなった。辺りを見回す
「ここは何処!? ロキシー!! ロキシーは何処!? ゾーイ!! ゾーイはッ!?」
その言葉に誰もが困惑した。ロキシー? ゾーイ? 何を言っている? それでもと意識の確認のために名前を訊こうとする救急隊員を跳ねのけようとしたものだから、重度の錯乱状態に陥ったものと思われた。
「放せ!! 私に触るな!! どこだここは!?」
「
「ロキシーは!? ゾーイを何処にやった」
「
「あぁ!! 誰だお前は!?」
「
真っすぐに見つめて名前を叫ぶ。
緊張の糸が切れたかのようにストレッチャーに身を預ける
「
「落ちた? 本当にぃ?」
頭の左側に違和感があったのか、触ろうとする
「私しかいなかったよ」
「怪しいなぁ……」
「……それじゃあ何? 頭の左側を銃でぶち抜かれたって言えば、納得するわけ? ねぇ?」
ふと、語気が荒くなった。
「ああっ!! そうだよ!! 突然現れた刺客に撃たれたんだよ!! おかげで脳味噌がぐちゃぐちゃだ!! そのせいでソーニャは自由に喋れなくなった!! 言葉が奪われた!! ソーニャは言葉が理解出来なくなった!!」
「ちゃんと読めだって!? 出来るもんならやってるよ。でもね、文字に見えないんだよ、文字にッ!! 何喋ってるかも分かんないし……本当に人の言葉か? ただ猿が喚いているようにしか聞こえないんだよ!!」
起き上がりはしなかった。だが、動く右手に――
「夢で見るんだ。何回も何回も見る夢。そこには
それ以上、
*****
「
一時間後。
「大丈夫じゃないって、どういうことですか?」
「救急車のなかで、あんだけ訳わかんないこと叫んだんだよ? ロキシー? ゾーイ? 何言ってんだってなるじゃん? おかしくなっちゃったと思われても仕方がない。今日は、検査入院だろうねー。――ってのもあるけど、向こうの世界が相当ヤバいことになってるかもね。……まぁ、そっちの方こそ気にして何とかなるわけじゃないか」
思いのほか冷静な反応に、
それとも、自分のなかにある不安を殺そうと、変に気負っているのだろうか。ちらりと目に入ったストローは噛み痕だらけだった。――いいや。これが不機嫌な時に
「ロキシーはどう考えてるか知らないけどさ、私はソーニャって奴が嫌い。……どんだけ
「……先輩?」
「全部あいつのせいだ。あいつが弾を避けれなかったせいだ。そうじゃなきゃ、納得できない。なんで
「第二次大戦は、漢字ドリル。
視線を落として自嘲気味に笑う
「そう、遅いだけなんだよ。だから、そのせいで余計に努力不足だって言われる。英単語の書き取りなんか、毎回泣きそうになりながらやってた……」
読書が遅いのは、読書慣れしてないからって言われた。二倍三倍の労力をかけて、二倍三倍の量を読んだ。結果、読書速度は少しだけ早くなった――雀の涙ほど。確かに、人よりは読み書きに困難を感じるかもしれないが、障害と呼ぶほどのものでもない。中途半端に出来てしまう。だからこそ、壁は透明の色をしていた。
中学の時、道徳の授業で「障害じゃなくて個性ととらえよう」という話が紹介された時、
真に個性と呼べるものなら、喧嘩の原因になるはずがない。
そうしたことから、
――透明の壁を、ホログラムと名付けた。
なるほど。この世界は、所詮は夢なのだと。結局のところは、
「んで、
そのうち、同じく文芸部の
「ねぇ……この世界はホログラムなんでしょ? だったらさ、書きなよ
*****
前触れは無かった。
「せ、先輩!?」
慌てて、倒れた
「何回も言ってんじゃん、ロキシー。これ……私の
――お互い何やってんの。情けないよ、私たち。
――ホントそれ。今日は、大切な
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