第15話 ためらう風鳥(5)
隅田川の夏祭りは、今年は八月四週目の土曜と日曜の二日間で行われる。都内でも有名な祭りの一つで、もともとは七月に行われていたが、数年前のコロナ危機における行政措置の影響のために、三年前は十月、去年と今年は八月の開催となっている。しかし、開催月が変わっても、祭りの人気、盛況ぶりはかつてと変わらず、遠くからも、たくさんの人が訪れて大変な賑わいを見せる。
茶ノ原高校の部活は、ダンス部以外にもこの祭りのイベントに参加している。軽音楽部、吹奏楽部、社交ダンス部、その他、個人的に主催者側として祭りに携わっている生徒も多い。紗枝もそんな生徒の一人で、実は毎年、奉納舞いを神社で舞っている。
柚子が、古典の講義を抜け出した日から二週間が過ぎ、いよいよ夏祭りがやってきた。
土曜日。柚子は、午前中に一年時に仲の良かった男女の五人グループで集まり、浅草駅近くの神社で神輿を見物し、振る舞われる甘酒を飲んだりして楽しんだ。その後柚子はそのグループから離れ、今度は2年A組のクラスメイト数名と集まって、紗枝の奉納舞いを観た。紗枝は、奉納舞いが終わると、法被姿で、そのグループに合流した。四時過ぎ頃までそのグループで祭りの出し物などを見て回った。そこでグループは解散になって、柚子はその後、紗枝の家に招待された。いかにも歴史のありそうな木造の一軒家。柚子の家は内装も外装も西洋風の家屋なので、一年生で初めて紗枝の家に招待されたときは、思わず家の前で声を上げてしまったものだった。
柚子は、紗枝の家で少し早い夕食をご馳走になった。華やかなちらし寿司に、江戸前寿司。
「こんなご馳走、本当にいいの!?」
「いいのいいの! 父さん、寿司取るの好きなんだから」
「そうそう、遠慮しないで食べてね!」
紗枝と、紗枝の母が柚子に言う。
紗枝の父はというと、寿司にはほとんど手を付けず、狭い庭に面した縁側に座り、枝豆の皿を脇に緑色のサワーを注いだジョッキをぐいぐい飲んでいる。そのうち、「お、そろそろか」と言って、出て行ってしまった。柚子の知っている父親像と全く違う紗枝の父に、柚子は驚きを隠せなかった。
「お寿司、あんまり食べなかったね……」
「だから、取るのが好きなんだって」
気にしなくていいよと言って、紗枝は鯛の寿司をぱくっと口に運んだ。
ゆっくり食事をして、日もすっかり沈む頃、柚子は紗枝に連れられて、近くのマンションにやってきた。その屋上は、祭りの日には毎年解放され、地元の人間しか知らない、花火の隠れた観覧スポットになっている。屋上には地元の人たちが何人かいて、フェンス越しに、花火の上がる川の上空の方を見上げている。空がすっかり暗くなり、遠くから花火の打ち上げ開始を告げる放送が聞こえてきた。
ほどなく、ひゅるひゅると、一本の白い光の筋が、夜空に上った。
上る勢いが弱くなって、一瞬、光が消える。
そして次の瞬間、大きな丸い、オレンジ色の光の花が、ぱあんという音とともに弾けて咲いた。あたりから聞こえてくる、わあっという歓声。柚子の胸が、ドキンと高鳴った。
ぼん、ぼんと、次から次へと、花火が打ち上げられてゆく。
遠くから見ると、小さい花火は綺麗に映る。
でも、ここからの花火は、綺麗というよりも、まずその迫力に圧倒される。身体に響く爆発の音。その音とは不釣り合いな、美しい火の花びら。大きく広がり、降ってくるようだ。
「やっぱり、夏はこれでしょ!」
紗枝が言った。
色も形も、いろんな花火が、休む間もなく咲いては消えていく。打ち上げの音が空に響き、自然と、気持ちが昂る。
「やっぱり私、水上君のことが好き」
「え!?」
突然の柚子の宣言に、紗枝は驚いてしまう。
「明日、告白する!」
「告白!? まだ早いんじゃない!?」
期間で言えば、柚子と詩乃が知り合ったのは四月だから、おおよそ四か月。時間だけを考えれば、別に早すぎるということは無い。でも、と紗枝は思った。初デートで告白というのは、ちょっと焦りすぎだ。柚子はスペックが高いんだから、もうちょっと水上と仲良くなって、デートもあと数回重ねてからだって、遅くはない。その間にあの水上を逃すということは、まずないだろう。これは告白の成功率という話ではない。プライドの問題である。誰のプライドかと言えば、私のだ。柚子と付き合いたければ、ちょっとは勇気を見せて、告白くらい自分からして来い、と紗枝は常々思っていた。柚子と水上の持久戦は、柚子は何かを勝手に不安に思って焦っているようだが、どう考えても、有利なのは柚子だ。男らしくない水上なんか、じらされて悶々とした夜を過ごせばいい。
「でも、告白しちゃうと思う」
明日は、水上君と一緒にこの花火を見る。それを想像すると、とても、この気持ちをしまっておくことはできないと思った。
「柚子、もしかして、自分から告白って、したことない?」
紗枝が聞くと、柚子は、恥ずかしそうに頷いた。
あちゃーと、紗枝は額を覆う。
祭りに誘ってみれば、と提案したのは紗枝だったが、柚子にはもう少し、段階を踏んだ作戦が必要だったかもしれないと思ったのだ。デートの回数が足りないなら、まず祭りデートという大デートに対して、それの準備のための小デートを挟めばと、そこまで提案すればよかった。祭りに着ていく服を一緒に選ぼうとか、選んであげるとか、とにかく何でもいい。祭りに対して、その準備のために一回。これを挟めば、今日告白するにしても、体裁は整う。何の体裁かはわからないが、紗枝の中では、恋愛とはそういうものだった。
「まぁ……わからなくもないけどさ」
紗枝は、花火を見ながら言った。
毎年見ている花火でも、年ごとに少しずつ違って見える。きっと、柚子には今日の花火は、去年とは全然違う風に見えているのだろうと紗枝は思った。そして、明日の花火も――。
「ダンス、水上も見に来るんでしょ」
「そう言ってた」
「じゃあ、いつもより派手に踊って、もうそれで、落としちゃえ」
「ダンスで?」
そんな鳥がいたなぁと、柚子は思い出して笑った。
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