第16話 ためらう風鳥(6)

 翌日、祭りの二日目は、一日目同様に駅周辺は大賑わいだった。浅草駅のあたりはもともと観光地として有名なので、祭りの二日目――最終日ともなれば、それはものすごい盛況ぶりである。周辺の道は、近くを通る幹線道路を除いてどこもかしこも歩行者天国となっている。朝、昼、そして夕方になるにしたがって、祭りの空気も熱を帯びる。


 柚子たちダンス部の部員は、川沿いの公園でダンスを発表することになっていた。青い芝生の上に簡易ステージが設けられ、その舞台でダンスを披露する。舞台は川沿いの遊歩道を正面に設置されている。ダンス部が舞台裏に集合する前にはすでに、他校のダンス部や軽音楽部などの発表が始まっていて、歩道を歩いている人たちが、音楽を聞いて公園の中に入ってくるのを柚子も目撃した。その人の流れを見ると、ダンス部の面々の顔も引き締まった。


 夕方になると少しずつ涼しい風が吹き始め、公園の街灯が静かに灯った。


 詩乃は、時間より早く公園に着いていて、柚子の舞台の前からステージの発表を観ていた。紗枝も、今日は地元の友達と一緒に見に来ていた。人込みの中、紗枝は早々に詩乃を発見したが、声はかけなかった。手を出さないと上手くいかないような恋ならいくらでも手を貸そうと決めている紗枝だったが、今回は、下手に手を出すと壊れてしまいそうな危うい恋愛模様だと考えて、今日は傍観を決めている。


 ダンス部の発表が近づくと、茶ノ原高校の生徒も増えてきた。


 その中に川野を見つけ、紗枝は嫌な予感を覚えた。川野は、男子と女子、五、六人のグループで観に来ている。


「紗枝ちゃん、どうしたの?」


 紗枝の連れが、硬い表情の友人を心配して尋ねる。


「あ、ごめんごめん、なんでもない」


 傍観を決めている紗枝は、心配しすぎも良くないかと、ステージに意識を戻した。


 ついに、柚子たち茶ノ原高校ダンス部の発表になった。


 ダンス曲のイントロが流れて来た瞬間、拍手と歓声が沸き起こった。詩乃も、そのイントロを聞いて驚いた。何と、『Smooth Criminal』だった。高校生がマイケルジャクソンを踊るのか、という驚きは、すぐに興奮に変わる。スーツ姿の高校生ダンサーが舞台に現れる。


 茶ノ原高校ダンス部の発表は三曲、ダンス部もそれに合わせて学年混合の三チームを作り、それぞれ一曲ずつ踊る。そのことは、詩乃も、柚子から聞いて知っていた。柚子の出番は二曲目だ。ダンス部のダンス曲なんて、聞いたところで知らない名前の曲だろうと思っていた詩乃は、自分の考えの浅はかさを反省したのだった。そして、部活のダンスなんて大したことないはずだろうから、柚子のダンスさえ観られればいいやと思っていたことが、恥ずかしくなった。


 一曲目が終わり、すぐに二曲目。これもイントロが流れた瞬間、詩乃は、一曲目のイントロを聞いたときと同じ驚きに襲われた。二曲目もマイケルジャクソンだった。『Dangerous』のド派手なオープニングとともに、ダンサーが入れ替わる。スーツにネクタイ、赤い手袋にボルサリーノ風の帽子というクールな衣装を着たうちの一人が、柚子だった。キャー、と歓喜の悲鳴が多数上がる。柚子は、ダンサーの真ん中、白手袋のマイケル役の後ろ二列目だった。寝転がったり、立ったり、止まったり、緩急の激しいダンスアクション。詩乃はただただ圧倒されてしまって、驚いているうちに曲が終わってしまった。その後最後の曲もマイケルジャクソンで、イントロが流れた瞬間、詩乃は笑ってしまった。


 ダンスの発表の後、詩乃は公園の、できるだけ人の少ないエリアに避難した。発表後、柚子から電話がかかってくることになっている。五分ほど待つと、詩乃の電話が鳴った。スマホの画面を確認すると、しっかり、〈新見柚子〉からの着信であることが表示されていた。


『はい、もしもし』


『もしもし、水上君?』


『もしもし――』


 周りがうるさくて、声が上手く聞き取れない。詩乃は右耳の穴に右手の人差し指を突っ込んで、左耳に、スマホのスピーカー部分を押し付けた。


『新見でーす。水上君? 聞こえる?』


『聞こえるよ』


『今どこ?』


『ええと……』


 詩乃は、顔を上げて周りを見た。人、人、人、どこをみても人ばかり。その上、今自分がいる場所を伝える良い目印が見当たらない。


『隣の、野球場の、フェンスのあたりなんだけど』


『あー、わかった! 今行く! 待ってて!』


 電話が切れて少しすると、人込みの中から柚子が、詩乃に手を振ってやってきた。赤い手袋、黒スーツ、そして帽子。ステージ衣装のままだった。周りの人たちの好奇の目を集めているが、柚子はまったく気にしていない。


「ごめんごめん、待たせちゃったね」


 柚子はそう言いながらやってきた。


「水上君の私服初めて見た! 青、似合うね!」


 詩乃は薄青のポロシャツに七分丈の黒っぽいパンツ、ごてついたバッシュという格好である。全部中学の時に、母が買ってきたものだった。服に関して、詩乃は特に何のこだわりもなかった。あまり足を見せたくないから短パンではなく七分丈、暑いので青っぽいポロシャツをそれぞれ選んできたにすぎない。


 それよりも詩乃は、柚子の衣装に驚いてしまった。


「マイケルのままで来るとは思わなかった」


「いいでしょ、この衣装」


「うん。なんか、やっぱり新見さんは、何着ても似合うんだね」


 詩乃は、さらりとそう言った。思った通りを言っただけなので、詩乃は特別、自分の言葉を恥ずかしがることもない。これくらいは、新見さんなら言われ慣れているでしょう、という思いも少しあった。


 柚子は、柚子にしては長い沈黙の後、もじもじしながら詩乃に聞き返した。


「……似合う?」


「うん。ステージも良かった」


「ホント!?」


「うん、本当に驚いたよ。マイケルジャクソン縛り?」


「あ、そっか! 水上君知らないよね、ダンス部の伝統とか」


 伝統? と聞き返す詩乃に、柚子は説明した。


 茶ノ原高校のダンス部の外部指導員の先生はマイケルジャクソンを愛してやまないダンサーで、十五年前、その外部指導員が部に教えに来て以来、茶ノ原高校の夏祭りでの発表は全曲、マイケルジャクソンをやるという決まりになった。


「ダンス部入る子は、結構みんな、マイケル踊りたくて入学してくるんだけど、でも、最初は地獄だよ。私も去年、大変だった」


 まぁ、この時期大変じゃないメンバーなんていないんだけどと、付け加える。


「鬼コーチなの?」


「それがね、逆なの」


「逆って?」


「教えてくれないの。部室にね、マイケルのビデオは腐るほどあるんだけど、それ見て、好きなの踊れって、それだけ」


「それで、あんなにできるようになるの?」


「曲決まって、ある程度皆で合わせられるようになると、ふらっと見に来て、ちょっとアドバイスみたいなこと言ってくれる」


「変わった先生だね」


「あだ名、ジョルジだからね」


 二人して笑った。


「着替えしないと」


「あるの?」


「そりゃそうだよ! この格好で隣いたら嫌でしょ!」


「面白いけど」


「嫌だよ!」


 柚子はそう言うと、野球グランドのフェンス沿いに歩き始めた。詩乃もそれについて歩く。


「あそこ、スポーツセンターなんだけど、着替えとか全部、あそこの更衣室のロッカーにいれてあるから」


 柚子が指さしたのは、野球グランドに隣接している箱型の建物だった。その入口まで二人で歩き、詩乃は、外で待つことにした。ベンチは全部埋まっていたので、石の花壇のへりに腰を下ろす。花火の見物客や、法被姿、着物姿の人たちを見ると、改めて、祭りに来たんだなと実感する。詩乃は、祭りは中学二年の夏以来だった。


 ピー、ピー、ピーと、笛の音が遠くから聞こえてくる。


 だんだんとあたりが暗くなってゆき、提灯の明かりがはっきりしてくる。


 スポーツセンターの開け放たれた自動ドアから、柚子が出てきた。袖の短いレースの白ブラウスに、ミモレ丈のデニムスカート、靴は白と黒のスポーティーなスニーカー。新見さんらしい爽やかな装いだなと、詩乃は思った。似合っているのは言うまでもない。


「お待たせ」


 自分のもとに来て声をかけてくれる新見さん――詩乃は、この状況が、未だにどうにも信じられなかった。いかにも機嫌がよさそうな笑顔を向けてくる。顔が綻びそうになるので、唇を結んで我慢する。詩乃は、柚子に照れている姿を見せたくないと思っていた。


「水上君、行きたいとこある?」


「新見さんは?」


「花火の隠れスポットは、調べて来てるよ!」


 そう言って柚子は胸を張る。


 協調されたブラウスの膨らみから、詩乃は目を逸らす。


「新見さんの行きたいところに行こう」


「私の行きたい所でいいの?」


 詩乃はうなずく。


 実際に詩乃は、特に行きたい所というのは無かった。一人なら、名所旧跡を気ままに歩いて回るが、折角新見さんと一緒なら、かえって、目的のない方が良いと詩乃は思っていた。


「じゃあ、ちょっと歩こっか」


 二人並んで歩き始める。警察や地元の消防隊が道に出て、ホイッスルやマイクを使い、花火大会の見物客たちを統制している。大通りは人の川ができていて、二人ははぐれないようにしながら、道を横切る。


 そうして、やってきたのは、神社だった。通りの人ごみを抜けた先に、立派な石の鳥居。門柱には『今戸神社』の文字。鳥居の前にもその向こうの参道にも人は多かったが、歩けないほどの混雑ではない。鳥居の前で、柚子はちらりと、詩乃を見やった。


「ここ、知ってる?」


「初めて来た」


 そうだよね、と柚子は笑った。


 残念なのと、ほっとする気持ちが重なる。柚子は、ここが縁結びの神社であると、紗枝から聞いて知っていた。詩乃を連れてきたのも、その縁結びのご利益にあやかりたいからに他ならない。しかしそれを詩乃に知られれば、それは告白をしたようなものである。かといって、自分の気持ちを解ってもらえないのも、それはそれで残念な柚子だった。


 鳥居をくぐり、ごく短い参道を歩く。ご神木を囲む絵馬掛所には可愛らしい丸い絵馬が隙間なく掛け並べられている。本殿までやってきて、詩乃は、珍しいものを見て目を丸くした。本殿に、大きな招き猫が祀られていたのだ。


「え、ここって、猫祀ってるの?」


「そうそう。吃驚するよね」


 招き猫発祥の地なんだって、紗枝ちゃんが言ってたよ、と楽しそうに詩乃に教える柚子。詩乃はポーチからメモ帳とボールペンを取り出して、ささっと、この神社の名前を書き記した。


「メモ持ち歩いてるんだ」


「うん」


 詩乃は、あまりメモに気を取られるのも柚子に申し訳ないので、すぐにメモ帳とペンをポーチにしまった。


「作家さんって、メモ帳持ち歩いてるって言うもんね」


「自分なんて、まだ作家じゃないよ……」


「そんなことないよ! 水上君のお話、すごく良かったもん。私は好き」


 詩乃は、複雑な気分だった。褒められたことは嬉しいが、新見さんは、誰が何をしたって、悪い風には言わない。詩乃の頭に、中学時代に好きだった女の子とのやりとりがよぎる。あの子も、小説を褒めてくれた。だから勘違いして、告白して、振られた。あの子と新見さんは違うと思いたい詩乃だったが、きっと今回もそうに違いないという諦めが、詩乃の心の底に、鉛のように転がっているのだった。


「そう……」

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