第八話:可愛さなんていらない




 体育祭の日にはあまり天気が良い印象はなかった。九月の終わりとまだまだ台風が活発な時期だからだと思う。実際、学生生活のうち競技途中で一時中断することはよくあった気がする。

 それでも土曜の今日は朝から晴れ間が広がっていた。天気予報によると一日中晴れているらしい。


 この学校は一学年四クラスでそれぞれ三十五人前後が在籍していた。そこまで広いとも言えないグラウンドに四百人近くの生徒が一度に集うことになる。紅組白組のクラスがそれぞれ東西に分かれて、トラックの最外周に張ったロープの外側に沿うように学年、クラスの順番に指定されている場所から観戦する。そこには教室から自分たちが普段使っている席の椅子を持ってきていて、クラスに割り振られた範囲内であればどこに椅子を置こうが自由だった。


 雄斗は一番後ろの列の隅に座って隣の友人と何やら盛り上がっている。最近人気のゲームの話らしい。

 俺もその隣に座って競技とクラスを眺めては時々雄斗と言葉を交わす。それを三年間続けていた記憶があったけれど、今年はそうならなかった。


「優劣ってどう決めるのかしら」


 雄斗達からさらに距離を取った後方、隣に座る凪沙がポツリと聞いてきた。もしかしたら今年に限っては、雄斗は俺に気を遣っているのかもしれない。みんなと少し離れた場所で男女が並んで座っていればどういう理由であれ空気を読むのが中高生だ。

 凪沙と二人きりになっている俺は「好みなんだろうね」と答えた。


 午後の競技に入った今、その最初の競技はクラス対抗応援ダンス対決だった。各クラス五人まで出場可能で、一分半の持ち時間の中で『応援するようなダンス』を創作して踊るというものだった。


『応援するようなダンス』という曖昧なルールはあまり機能していないのか、どのクラスのものも自由に躍っているようにしか見えずあまり応援されている気にはならない。それでも自分たちで振り付けを考えて誰かのためにという体でやることに意味があるのか体育祭の競技としてずっと続いているらしい。


 点数を決める方法としては、全クラスの委員長と担任、そしてどこも受け持たない教員が最も良いと思ったクラスには一〇点、その次によいと思ったクラスに五点を入れて集計する。その得点の高い上位五つに選ばれたクラスが獲得した得点の三倍の点を所属している紅白の組の総得点に振り込まれる。もちろん投票の際、委員長と担任は自分たちのクラスには入れられないことになっている。


 うちのクラスからは花村をリーダーに特に仲の良い五人組が出ることになっている。もうそろそろ出番のはずだ。


「そんな曖昧な基準で点を決められるのは可哀想。特に、これは体育祭なのに」


「可哀想?」


「好みっていうのはダンスだけに向けられるものじゃないはずだから」


「それは……そうかもね」


 人そのものに向けられる好みのことを凪沙は言いたいんだろう。それは性格かもしれないし親しみやすさかもしれないし、もっと表面的な容姿かもしれない。

 話したこともない人と比べれば仲が良い人の方が応援したくなるし、自分の好みで可愛いもしくは格好いい人がいるならそうじゃない人よりは支持したくなる。きっとこの競技でだってそういう風に点数をつける人はいるだろう。


 そんなのは人としてはどうしても仕方の無いことだし、この世にそういった判断基準が存在していることは自然なことでしかない。むしろ初対面の時点で外見なんてどうでもいいです、中身しか気にしませんよ、という人の方が俺は信用できないとまで思う。


 もちろん容姿で人の全てを判断するのは論外だけど、外見だってその人を形作る要素であることは間違いないし、内面の一番外側にあるのが外見だ、なんて言うこともあるくらいだ。外見だって十分人にとって必要なものであることは間違いない。

 でもそういった要素が絡むものを体育祭の競技として扱っていることが凪沙は気に入らないのかもしれない。


「折角ダンスを見てもらうために頑張っているのに、それ以外の要素が大きく関係するなんてやっぱり可哀想よ」


「でも仕方ないだろ。みんながみんなダンスの事をちゃんと分かっているわけじゃないし。それにフィギュアスケートや体操競技みたいに厳密な点の基準はなければ審査員もいないんだから」


「それなら元からやらなきゃいいのに」


「多分、みんな盛り上がりたいんだよ。普通の競技とはまた違うやり方で」


「なら点数をなくせばいいの」


「そうすると張り合いがなくなってつまらなくなっちゃうんじゃないかな」


「その考え方、私は好きじゃない」


 少し答え方が雑になってしまったかもしれない。凪沙の言っていることの方が正しいように思えた。

 謝ろうかどうかと考えていると、うちのクラスから歓声が上がった。

 グラウンドを見るとその中心に花村が駆け出してきていた。それまで話し通していた雄斗達も今ばかりは話をやめて、立ち上がってグラウンドを見つめている。

 今流行りのアニメの主題歌が流れ始めた。一時期どこにいても耳に入ってきた有名な曲だ。


 それに合わせて両手にボンボンを持った花村達は踊り始める。ダンス部の花村は素人目に見ても一人だけ動きが違った。軽々しい振り付けにはメリハリが利いていて笑顔も崩れない。他の四人も精一杯着いていこうと頑張っているがどうしてもその差は歴然だった。

 曲のおかげなのか花村達のダンスのおかげなのかどこからか手拍子も始まっている。


「史仁君は花村さんのこと、可愛いと思う?」


 周りに合わせるように小さく手拍子を始めた凪沙が聞いてきた。いくらか和らいだように見える表情は感心するように躍る花村に向けられていた。


「花村は可愛い方だよ、誰が見ても。みんなもそう思っているだろうし可愛くないって言う人の方が少ないんじゃないか。それにダンスも上手い。きっとみんなから点をもらえる」


「そうね、私もそう思う。羨ましくなるくらい」


「こういうのもなんだけど凪沙も可愛いよ。可愛いっていうよりも綺麗っていったほうが正しいかもしれないけど」


 グラウンドを見つめる横顔はなぜか少し悲しそうに見えた。そのせいなのか俺はそう言っていた。

 でも凪沙は興味なさそうに「そう」と適当に呟くだけだった。

 俺から言われても嬉しくないと言われてしまえばそれまでかもしれないけれど、嘘でも少しくらいは嬉しそうにして欲しかった。一人勝手に言っただけになるのは少し虚しい。


「一応本心から褒めたんだけど」


「そう。でも私、この顔嫌いなの」


「そうなの?」


「うん、欲しい人がいるならあげたいくらい」


「全国の女子が怒ると思うよ、その言葉」


「怒りたければ勝手に怒ってくれても構わないわ」


「ちなみにどうして嫌いなの?」


「歳をとるごとにどんどん私を産んだ人に似ていくから」


 そう口にした凪沙の表情は遠くを見つめるトカゲみたいに一切変わっていなかった。それでも声だけは冷たくて太陽に照らされた空気の温度が急激に下がった気がした。

 花村達のダンスが終わったようで周りの歓声に拍手が混ざった。その温度差が身体にまとわりついて気持ち悪い。


 日本には知らない人がいないくらいの大女優入月希美。それが凪沙の母親だ。画面の端にいたってつい目がいってしまうくらいの美貌を持つその女優は国内を越えて海外でも評価が高く何本かハリウッド映画にも出演している。


 そして間違いなくその容姿は凪沙に引き継がれていた。普段のあまり感情が見えないような表情も作り物のように整っている。画面の中の入月希美の雰囲気を嗅いでしまうほど綺麗だ。

 きっと多くの女子は自分がこの顔であったならと、男子なら恋人になれたらなと最低一度は思い焦がれるだろう。


「そうなんだ」


 なにをどこまで聞けたものか分からず相槌を打つだけに止めた。

 気のない視線をグラウンドに向け続けている凪沙の横顔を伺う。

 このシミ一つ無い母親譲りの顔を凪沙は嫌いだという。厳密には凪沙は母親のことが嫌いということなのだろう。いや、産んだ人なんて言わなきゃいけないくらいには嫌いなのだ。


 その言葉は反抗期になって関係が擦れてしまっただけには聞こえなかった。凪沙の口調にはずっと前から言い慣れた自然さと冷たさがあった。少なくともここ数ヶ月、一年という単位ではなくもっと前から母親という言葉を口にしていないように思える。


 どれだけ拗れていればそんな風になるのだろうか。

 でも一つ納得できることもあった。

 愛を語るような話は嫌い。そう言われた時、凪沙は両親からの愛を感じたことがないんじゃないかと俺は思っていた。母親のことが嫌いだという気持ちはその予想の正当性を補強した。同じように父親のことも嫌っているのだろうということは想像に難くない。愛を与えられないから嫌いになる、それは子供の視点からすれば分かりやすいほど結びつく因果だった。


「でもその顔は凪沙のものだよ。いくら母親に似ていたとしても母親のものじゃない。凪沙の顔として俺は綺麗だと思う」


 別にフォローするつもりは無かった。

 ただ、母親に似ているからという理由で自分の顔を嫌い続けるのは少し勿体ない気がして言っていた。この先、何かに役立てるタイミングが来るわけでもないはずなのに。


 さっきの反応からして興味なさそうに流されるだけだろうなと思っていたけれど、いつまでたっても「そう」は返ってこなかった。

 気になって横を向くと驚いたように目を丸くして凪沙は固まっていた。

「どうかした?」問いかけてみると、凪沙はビクッと肩を震わせてようやく瞬きを初めた。


「……ぁ」


「あ?」


「ありがと」


 ボソッと、そう言って凪沙は俯いた。

 急に照れたような反応をされて俺も居心地が悪くなる。さっきとの差はなんだ。


 見慣れない凪沙の不意の反応が妙な気恥ずかしさを生んで腹の底をジンジンと刺激してくる。少しでも薄まって欲しいと思いながら水を流し込むと、混ざって楽になる代わりに快活な声が聞こえてきた。

 演技を終えた花村たちがクラスの席に戻ってきたらしい。


「由美、凄かったよ!」「絶対一番じゃん、あんなの」「いつ練習してたのよ」と、みんなに迎え入れられながら笑顔を弾けさせている。

 最初は女子と何度も念入りに言葉とハイタッチを交わし合っていた花村は男子にも一言二言かけ始めた。律儀に一人一人、丁寧に話回っている。最後にとうとう俺のところにも来て笑いながら聞いてきた。


「こんな後ろにいるけど、入野もちゃんと見てくれた?」


「あぁ、見てたよ。かっこよかった」


「可愛くはなかったの?」


 前屈みになって首をかしげる彼女に肩をすくめて笑い返す。


「もちろん、可愛かったよ」


「うん、ありがと。まだ会員費、間に合うからね」


「はいはい」


 満足したのかウインクした花村は、俺の隣にいる凪沙とも向き合って「どうだった?」聞くことをちゃんと聞いていた。


「花村さんは凄いのね」


「そ、そう? ありがとう。入月さんも最後のリレー、頑張ってね」


「えぇ」


 凪沙がまともに答えたからかそれとも内容が好意的だったからか、花村は驚いたように目をむいてから照れたように笑い返してそそくさと最前列の自分の席に戻っていった。答えた凪沙は全く表情を変えていなかったにも関わらず喜べる花村の素直さが好ましく思えた。


 褒められて驚くくらいの仲ならわざわざ話しかけなくてもいいような気はするけれど花村の信条的にそれはできなかったのだろう。凪沙も凪沙なら花村も花村だ。

 そんなどこにでもある女子高生同士の会話のことも凪沙は時間の無駄だと言うのだろうか。今も彼女相手では人形になっていたのだろうか。


 少なくとも俺の目には違いは分からなかった。俺は人形になっているかどうかの基準をまだ掴めていないのだ。もしダンスの採点みたいに見た目の印象に頼って決めてもいいのなら二人とも楽しそうだったと言えるのに、凪沙だからできなかった。 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る