2-6
「あーちゃんっ♪ わたしは、あーちゃんっ♪」
きゃっ♪ きゃっ♪ と寝台の上ではしゃぐアーシェル。それを、ほっと胸をなでおろして見つめるミクとレナード。そんなレナードに、またも室長が余計な一言をあびせかける。
「レナード殿……その、私の聞き違いでないのなら、ミク君があの少女のことをアーシェルと呼んでいたようですが……あの少女は、まさか、帝王エルミタージュの娘である、あのアーシェルなのですか?」
「室長!」
まったく、余計な事を! レナードは室長の腕をとり、室長を救護室の外へと連れだした。
「な、なんですかレナード殿?」
「ああ、そなたの言う通り、あの小娘は帝王エルミタージュの娘であるアーシェルだ」
そう言って、レナードは壁のポスターの一枚をやぶりとり、それを室長に差し出した。アーシェルの顔写真が刷られているポスターだ。
ポスターを受け取り、まじまじとアーシェルの顔写真を見つめる室長。
「たしかに……あの少女は、帝王エルミタージュの娘であるアーシェルのようですな。ですが……」
「なんだね?」
「いや、その……なんといいますか……たしかに、顔は同じですが、雰囲気? と言えばよいのでしょうか、ともかく、同一人物とは思えないといいますか……」
室長の言う通り、ポスターの中でのアーシェルの表情は、どこか冷たさを感じさせるくらいにキリッ! とした凛々しい表情を浮かべている。
しかし、救護室の中にいるアーシェルの表情には凛々しさのカケラすらない。
釣りあがっていた目は柔和に垂れ、引き締まっていた口元はだらしなく緩み、極めつけは、全身からあふれ出す、ほへぇ~☆ とした気の抜けるオーラ。
誰がどう見ても、人畜無害な――にべもなく言わせてもらえば、アホそうな萌え少女にしか見えぬ。
記憶喪失になった時に、性格さえも変わってしまったのか? 否、性格というのは記憶の蓄積によって形成されるものである。つまり、今のアーシェルは性格が変わってしまったわけではなく、生まれて間もない赤子のようにまっさらな状態となっていると考えるべきだろう。
「うむ……先ほどまで、あの小娘がこの地球に向かってくることに対しての対策を講じねばならぬと躍起になっていたのだが、思いもがけぬことになってしまったようだ……」
「ややこしいことになりましたなぁ……。いったい、どうなさるおつもりです?」
うぅむ……と、うなるレナード。はてさて、どうしたものか。
「室長。あの小娘の記憶だが、すぐに戻るようなことはあるのか?」
「外傷ではなく、ことは精神面の話ですからね。正直なところを申させていただければ、アーシェルの記憶がいつ戻るか、まったくもって見当がつきません。今すぐに戻るかもしれませんし、永遠に戻らないかもしれません」
肩をすくめてみせる室長。
「そうか……しからば、しばらく様子を見るしかないというわけだな?」
「ええ、そういうことですね」
ならば、当面の問題は、ジナビア星人共の対策だな。救護室のドアにチラリと目をやるレナード。
少々心配だが、ここは同じ女子同士、ミクに任せておくとするか。どちらにせよ、現状、手の空いてる者はミクしかおらぬ。選択の余地はない。
「では、室長。ワシは近く侵攻してくるであろう、ジナビア星人共への対策を講じねばならぬゆえ、すまんが、後のことは任せてもよろしいか?」
「病人を看るのが、私の仕事ですからね」
両腕を横に広げて苦笑してみせる室長。
「すまんな。何か異変が起これば、すぐにワシに知らせてくれ。ああ、そうだ。あの小娘の正体については、口外せぬように頼むぞ。とはいっても、すぐにバレるかもしれんがな」
そう言い捨て、レナードはいそいそと去っていった。室長はそれを見送ると、救護室の中へと入っていった。
救護室の中では、アーシェルがミクに一生懸命話しかけていた。
「ねえねえお姉ちゃんっ。お姉ちゃんのお名前は、なんていうのぉ?」
「わ、わたしは、ミクっていうの」
「ミクお姉ちゃんっ♪ ミクお姉ちゃぁ~~んっ♪」
ミクの両手を握りしめ、上下にブンブンふってはしゃぐアーシェル。
「あのね、あのねっ♪ ミクお姉ちゃんはぁ、あーちゃんのお名前を知っていたのだからぁ、あーちゃんのことを他にも色々知ってるんだよねぇ♪」
「ふぇっ?!」
まさかそう来るとは思わなかった。アホっぽい様子とは裏腹に、直感だけは鋭いようだ。いや、アホだからこそ、直感が鋭いのか?
「え、ええっとぉ……」
全身に冷や汗がダラダラとあふれ出すミク。
「ねぇ、ミクお姉ちゃぁ~~ん♪ もっと、あーちゃんのことを教えてほしぃなぁ♪」
期待に満ち満ちた、キラキラとした大きな瞳をミクに向けておねだりするアーシェル。さあ、どうするミク。宇宙の平穏が続くかどうかは、君の受け答えによって決まってしまうぞ。
「え、ええっとぉ……そのぉ……あのぉ……」
あわわわわわ……と困り果てているミクをみかねて、室長がミクのそばへと近寄って耳打ちした。
「いっそのこと、真逆のことを言ってみてはどうだい? 私はよく知らないが、あのポスターによるとアーシェルは方々の星で恐れられている存在らしいじゃないか。だったら、逆に今のアーシェルに対して、あーちゃんはすごい力を持ったヒーローなんだよ~みたいなことを言ってみてはいかがかな? それがどう転ぶにせよ、真実を告げてしまうより、よっぽどマシだと思うがね」
なっ、なるほどっ!! それは名案ですっ!!
さっそく、ミクはアーシェルに、
「うっ、うんっ! わたしは、あーちゃんのことをいっぱい知ってるよっ!」
「にゃはぁ♪ 教えて教えてぇ~~~~♪」
「うんっ! あーちゃんはね、とぉ~~っても強いヒロインさんなんだよっ!」
「ヒロイン……さん?」
ほえっ? と首をかしげるアーシェル。さっ、さすがに言い方がストレートすぎちゃったかな? だが、そうは思っても、口走ってしまった以上は後には引けない。
「そっ、そうだよぉ~! あーちゃんはねっ、悪い人を、えいっ! ってやっつけちゃう、とっても強くて可愛い正義の味方なんだよぉっ!」
よくわかってないような様子のアーシェルに対して、ちょびっとヒロインとはなんぞやという注釈をいれつつたたみかけるミク。
すると、アーシェルは、ほにゃぁ☆ と可愛らしい笑顔になって、
「そっかぁ……あーちゃんは、正義の味方――ヒロインさんだったんだぁ♪」
と、ミクの嘘を何の疑いもなくすんなり受け入れてくれたのだった。ミクとしては、嘘をついた手前ちょっぴり心が痛むところだろうが、そこは宇宙の平穏のための
「じゃあ、あーちゃんは、悪い人を、えいっ! ってやっつけるのがお仕事なんだねぇ~♪」
「う、うんっ! そうだよぉ!」
「それじゃあ、それじゃあ、悪い人を、えいっ! ってやっつけたら……あーちゃん、ご飯がもらえるのかなぁ?」
ぐごぉぉぎゅるるるるるる!! と、まるで地殻変動でも起こっているかのようなすさまじい音が救護室内に響き渡った。……まさかだけど、今のってあーちゃんのお腹の音なのかな……? おっかなびっくりといった感じで、ミクがアーシェルに、
「あっ、あーちゃん、お腹すいてるの……?」
「うん~……あーちゃん、お腹減ったのぉ……」
しゅぅ~ん、として言うアーシェル。すると、突如として、救護室内に緊急警報のサイレンが鳴り響きだした。
「ひゃっ?!」
「きゃうっ?!」
耳をつんざくようなサイレンの音に、びくぅっ!! と身体を上下させて二人同時に驚くアーシェルとミク。しかし、さすがに室長は冷静なもの。すぐに現状を把握せねばと、
「ミク君! 私はレナード殿に何があったのか連絡をとるから、君はアーシェ――じゃない! あーちゃんのそばで待機していなさい!」
「はっ、はいっ! 了解いたしましたっ!」
慌てて部屋から出ていく室長。すると、アーシェルが、
「あぁっ?! ミクお姉ちゃん、ほら、みてぇ~~~!!」
と、窓の方を指さした。アーシェルの指さした方を見るミク。
「あっ、あぁっ?!」
ガラス張りの壁ごしに見える青空の中に、巨大なUFOが浮かび上がっていたのだ。
「きっ、きっと……ジナビア星人だ……」
あわわわわわ……と、震えるミク。そんなミクの手を、きゅっ、と優しく握る、温かな柔らかいお手て。
「ミクお姉ちゃん――あれって、悪い人たちなの?」
「ふぇっ? う、うん……」
「そっか……悪い人たちなんだ……」
自分に言い聞かせるようにつぶやくアーシェル。そして、ミクに向かって、にへっ♪ と満面の笑みで口元によだれをたらしながら、
「じゃあじゃあっ♪ あの人たちをやっつけたら、あーちゃん、ご飯が食べられるんだねっ♪」
「ふぇっ?!」
「あーちゃんはヒロインさんなんだもんねっ♪ ヒロインさんは、悪い人をえいっ! とやっつけるのがお仕事だもんねっ♪ それでそれでぇ♪ お仕事がんばったらご飯がもらえるもんねっ♪」
ひとつひとつ順序立てて言うアーシェル。たしかに間違ってはいない。ただし、前提論である、アーシェルがヒロインであるという点だけをのぞけば、だが。
「えっ? ええっと……そっ、そのぉ……」
どう言い聞かせたものか。今さら嘘でしたぁ~ん☆ なぞ、口が裂けても言えるわけがない。ミクの困惑に気づかぬアーシェルは、
「それじゃあ、あーちゃん、お仕事を頑張ってくるねぇ♪」
と、ぴょこんっと寝台から飛び降りて、やる気満々に腕をぐるぐる回し始めた。
「あっ、あーちゃんっ!! ちょっ、ちょっと、待って――――」
「いってきまぁぁぁ~~~~っす♪」
お腹がすきすぎて、自制がきかないのか、アーシェルは、ぐごぉぉぎゅるるるるるる!! という爆音の腹の虫の音を鳴らしながら、どがっしゃぁ~~~~ん!! と救護室のガラス張りの壁を体当たりでぶち割って外へと飛び出した。
「きゃぁっ?! あーちゃんっ!! ここ、十二階だよぉ!!」
慌てて窓際に駆け寄るミク。しかし、あまり慌てたせいか、足をがつんっと床につっかけてしまい、おっとっとっと、と割れた窓ガラスのほうへと前のめりになって向かっていく。
「きゃっ?! うそっ?! だめだめっ!! とまってぇ~~~~!!」
両手をバタバタさせながら、きゃぁぁぁ~~~~~!! と叫ぶミク。だが、残念ながら現実は非情なもので、ミクの勢いはとまることなく割れたガラスの方へとつっこんでいく。
そして――――ミクはアーシェルがぶち割った部分から、空中へと投げ出されてしまった。一瞬の無重力感。そしてすぐに襲い来る、フリーフォールの強烈な風圧と重力。
「きゃぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~!!!」
そんなっ!! わたし、こんな情けない感じで人生の幕を下ろしちゃうのぉっ?!
落下の恐怖に目をつぶり、全身にぐっ! と力を入れるミク。あわれミク君、二十年という短い君の人生は、“ドジ死”などという新種の死因で終わってしまうのかと思われた、その時だった。
落下しているミクを、何者かが空中で抱きとめてくれたのである。
ただ、抱きとめかたが、ミクのおっぱい部分を羽交い絞めにするような感じになってしまっているので、落下の衝撃全てがミクのおっぱいにかかってしまい、
「うぎゅうっ?!」
という、苦しげな声をあげてしまうミク。苦しいけれど、助かったみたい……。
はぁ……という深い安堵の息を吐いたところで、命の恩人がどんな人かと、目をあけて見上げてみると、
「えへへぇ♪ ミクお姉ちゃん♪」
と、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべているアーシェルの顔がそこにあった。
「あっ、あーちゃんっ!? お空を飛べるのっ?!」
「うん~♪ 何だか知らないけど、あーちゃん、お空を飛べるみたぃ~♪」
きゃっ♪ きゃっ♪ と無邪気に喜んでいるアーシェル。あ、そっか……あーちゃんって、空から落ちてきたんだったね……。でも、記憶がないのに、お空を飛ぶ方法は覚えていたのかなぁ?
その疑問は簡単に解消できる。たしかに、アーシェルは記憶がないが、あまりの空腹によって、本能で力を行使しているだけなのだ。それに、アーシェルにとって空を飛んだり宇宙を飛んだりなぞ、人間が地を歩くのと等しい行為。記憶喪失だからといって、歩けなくなる人間などいない。
「と、とにかく……ありがとう、あーちゃん、助かったよぉ……。それじゃあ、わたしを地面に降ろし――――」
「ミクお姉ちゃんも一緒にいこうねぇ♪ あーちゃん、一人はさびしいよぉ♪」
とんでもないことを言いだすアホである。
「ふぇっ?! あっ、あーちゃんっ! ちょっ、ちょっとまっ――――」
「それじゃあ、悪者をえいっ! ってやっつけに~~~~いっくよぉ~~~~♪」
えい、えい、お~~~♪ と、アーシェルは可愛く
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