戦闘用機械人形は婚約破棄を望む

カブのどて煮

戦闘用機械人形は婚約破棄を望む

「つまり君は、ファムヘルツ公との婚約を破棄したい、と。そういうことでいいんだね、エリーゼ?」


「はい」


「俺が何を言っても、意志は変わらないのかな?」


「はい。熟考した結果です。当機わたしの結論に変更は生じません」


 緑色の瞳が物憂げに伏せられます。

 当機の前に座るのは、この国の第三王子であるアルフォンス殿下。当機にとっては言葉にしてもし尽くせない大恩人です。


 本来ならば、殿下の決定に異論を呈するなど許されることではありません。

 けれど今回の決定は──婚姻の命令は、どうしても受け入れられなかった。


「どうして、かな。英雄である君に釣り合う男なんて、剣聖くらいのものだと思うんだけど」


 殿下は言います。

 当機の思考など、すべて見透かしているように。


「……理由など、お分かりでしょう。当機わたしは人ではありません。人殺しの怪物が嫁ぐなど、家名を損ねるだけ。当機わたしがロータスさまに釣り合うわけがないのです」


 英雄などと、耳触りの良い言葉に人々は騙されてくれない。

 当機は人ではなく、人を模したガイノイド。その事実が覆ることは決してあり得ないのです。


 殿下がこのことを知らないはずがありません。殿下こそ、遺跡で眠っていた当機を発掘した張本人なのだから。


「うんうん。つまり君は、ロータスを拒絶しているわけではないんだね?」


「そ、そういうことを言いたかったわけでは……!」


 と、答えて気が付きました。

 まるでこの返答を誘導されていたかのような、殿下の確認。


 けれど発した言葉が消えるはずもなく、殿下はにこやかに笑います。


「と、いうわけらしいですよ。叔父上」


「っ──!」


 案の定、と言うべきでしょう。ゆっくりと扉が開かれ、気まずげに姿を見せたのは、剣聖と謳われるファムヘルツ公爵閣下。

 ロータス・ファムヘルツ。不運にも当機の婚約者とされてしまったお方。


「俺の立場は変わりません。戦争が小康状態になった今だからこそ、エリーゼの所属をはっきりさせておく必要がある」


「ええ。承知しています」


 ロータスさまも同意に頷きました。

 まだ四十代を迎えたばかりだと聞きましたが、長年の心労ですっかり白くなってしまった頭髪と貫禄が合わさって、殿下と並ぶと祖父と孫のようにも見えます。


「すまないね、エリーゼ。君の考えは理解したけれど、今のままでは婚約破棄を認めることはできない」


「…………」


 当機も、分かっています。

 代案も何も提示せず、私的な理由で拒絶したところで認められるはずがないのです。


 それでも動かざるを得なかった。

 機械人形ふぜいが何を、と言われるでしょうが、当機を突き動かしたのは、内から湧いてくる衝動でした。


「エリーゼ、行こう」


「……はい。お手を煩わせてしまって、申し訳ありません」


 アタッシュケースを手にして立ち上がります。目覚めたときから常に携えていたケースの重みは、多少なりとも当機の心を落ち着けてくれました。


「エリーゼ」


 屋敷の廊下で、当機の隣を歩くロータスさまが口を開きます。


「私は君との再婚を重荷になど思っていない。そのことは分かってほしい」


「……はい」


 やがて、ロータスさまは手を差し出してくださいます。

 けれど、当機にその手を取る資格はないように思われて。どうしても受け取ることができませんでした。



 ■



 当機がアルフォンス殿下によって遺跡から発掘されたのは、遡ること二年前。


 当機が所属することとなる聖アスリア王国は、南方のエール連邦との戦争状態にありました。


 戦局は劣勢そのもの。

 数多の加護を授ける大聖女を擁し、個人武力に優れる聖アスリア王国ですが、エール連邦が誇る物量に押され、敗戦を重ねていたそうです。


 このままでは敗北は確実。

 その状況をひっくり返すきっかけとなったのが、剣聖ロータス・ファムヘルツと戦闘用ガイノイドである当機。


 戦場に配属された当機たちは、共に連邦の兵を殺し、戦局を逆転させ──いつの間にか、英雄と呼ばれるようになっていました。


 一人を殺せば人殺し。百万人を殺せば英雄。

 ええ、まさにその通りだと実感します。人殺しの機械人形にすぎない当機の所属が、国内の政治問題となってしまったのですから。


 当機を発掘したのはアルフォンス殿下です。

 けれど、アルフォンス殿下は王家が私的な──それも突出した武力を持つのは望ましくないとして、当機の所有権を放棄。


 当機もその判断は正しいと考えます。王家が力を持ちすぎれば、待っているのは王家の堕落と、諸侯あるいは民の反乱でしょう。

 ただし、その代償として当機の所属は宙に浮き、誰が当機を所有するのか、という案件で諍いが起きかけました。


 その争いを収めるため、取られた手段が当機とロータスさまの婚姻。

 ファムヘルツ公爵家は、人殺しの機械を後妻に迎えよ、と命じられてしまったのです。



 ■



 ファムヘルツの屋敷に戻り、あてがわれた私室に入って、そう時間を置かず。


「エリーゼ! エリーゼ! エリぃゼぇええええ!」


 実に元気な女性の声が廊下から響いてきました。


「お、お嬢さま! もう少し慎みを持って──」


「ええい、うるさいうるさいうるさーい! 私に慎みを求めるなんて百年は早いのよ! そんなものイスカに食べさせておきなさい! エリーゼ、入るわよ!」


 バタン、と壊れてしまいそうなほどの勢いで扉が開け放たれました。

 姿を見せたのは、まだ成人を迎えたばかりの女性。ご両親譲りの金の髪と緑の瞳が美しい、ロータスさまの御息女。


「シュクレさま……」


「もう、シュクレでいい、って何度も言っているでしょう? それよりエリーゼ。アルフォンス殿下に直談判したってのは本当?」


「はい。事実です」


 一体どこから耳に入ったのか──とは、考えるだけ無駄でしょう。

 シュクレさまは最年少で大聖女の護衛官を務める俊英。その立場もあって、実に耳が早いのです。


当機わたしが後妻に収まるなど、あり得ません。機械人形を妻に迎え入れたなど、時が経てば必ずや醜聞に──」


「そんなの関係ない!」


 びり、と聴覚器官が痺れるほどの声量で、シュクレさまは断言しました。

 緑の瞳を吊り上げて、確固たる意志を露わにシュクレさまは言葉を継いでいきます。


「エリーゼは英雄で、格好良くて、優しくて、私の憧れで……機械だなんてそんなこと関係ない! エリーゼにはちゃんと心があるんだから!」


 シュクレさまは当機のそばにやってくると、両手を包むように握ってきます。

 温かな、長年の鍛錬で筋張った手のひら。戦場に立っているというのに、柔らかなままの当機の手とはかけ離れた人間らしさには、どうしても羨ましさを覚えてしまいます。


「陰口を叩く奴がいれば、それ以上の名声を得て見返してやればいい。ファムヘルツはね、みんなそうやって生きているの」


「シュクレさま……。けれど、当機わたしが人形であることは否定しようのない事実であって、こればかりはどうしようも──」


「ああもう! エリーゼの分からず屋!」


「ひゃひっ!?」


 ぐいと、ほっぺたを掴まれました。痛くはありませんが、言葉が言葉になりません。


「いい? エリーゼを迎えるのはね、お父さまが得た栄誉でもあるのよ? 古代文明の遺産を手中に収めた例なんてどの国の歴史を遡ってもないんだから」


 頬が解放されます。やたらと人体再現度の高い当機のことです。きっと、掴まれていた部位は赤くなっていることでしょう。


「……そう、ですね」


「なによ。その納得してない顔」


 若くして武官の最高峰に任ぜられてるだけはあり、シュクレさまの視線は凛々しく、強いものです。

 促されるように、当機は胸の内を白状していました。


当機わたしには、記憶も知識も残っていないのです。そんなものが、遺産を名乗る価値があるのでしょうか」



 ■



 古代文明。

 かつての名も残っていない、けれど現在とは比較にもならない技術を誇った文明が、この大陸にはかつてあったそうです。

 その証拠とされているのは、各地に点在する遺跡と、そこから発掘される品々。


 大半は壊れていて使い物にならず、現在とは異なる系統の技術が使われているようで修理もままならない。

 けれど出土品を研究すればするほど、かつての高いレベルが垣間見れる。それが大陸で共通する見解です。


 当機は遺跡から発掘された、現状では世界でただ一つ稼働する機械人形ガイノイド


 アルフォンス殿下が当機に対して本当に望んでいたのは、古代文明が誇った技術に対する知識でしょう。

 しかし、当機には何の知識も記憶も残っていなかった。識別名称すら失っていた当機にできることは、人殺しだけでした。


 そんな機械にシュクレさまが仰るような価値がありましょうか。

 

 仮に、アルフォンス殿下のような研究者が再び、当機のような機械人形を見つけ、その機械人形が在りし日の記憶を留めていた場合──当機の価値は消滅します。

 

 世界で唯一のガイノイド。

 その価値すら失われれば、当機を惜しむ声もなくなり、待っているのは分解の未来でしょう。


 それが一年後か、十年後か、百年後か。

 タイムリミットがやってくる時は分かりません。同時に、当機が稼働を停止する刻限も判然としません。


 当機が長く、人の寿命を超えて稼働したとしましょう。

 タイムリミットがやってきたその時、当機の知る人々がいなくなったファムヘルツ家は選択します。価値がなくなった当機を研究のために差し出すという選択を。


 ……その未来を見たくない。捨てられたくない。


 それが、当機が婚姻破棄を望む、醜い私情の一つです。


 ■


 ──こんな部屋に篭ってるから気が滅入るのよ。ちょっと外に出てきたら?


 と言われ、シュクレさまからお使いを頼まれました。

 向かう先は聖アスリア王国の叡智が集まる研究機関、識院しきいん。その魔導研究部門です。


「……相変わらず、凄まじい」


 何度か足を運んだ場所ですが、訪れるたびに圧倒されてしまいます。


 塔の壁を埋め尽くさんと立ち並ぶ本棚。それでも足りないとばかりに溢れる蔵書。そこらで侃侃諤諤と交わされる議論。


 静謐とはほど遠い熱気が渦巻いています。研究者にとってここは、当機たち武人の戦場と同じような場所なのでしょう。


「おや。そこに見えるは英雄殿ではありませんか。相変わらずお美しい」


 ふと、声がかけられました。

 宮中とは違い、ここでは当機を揶揄する声は聞こえません。その代わり、研究対象として見做されることは大いにありますが。


 美しいというのも、機械美を指してのことでしょう。振り返ると、そこには当機が訪ねてきた青年がいました。


「……イスカさま。からかいはほどほどになさってください」


 背後に立っていたのは、ロータスさまのもう一人の御子息。シュクレさまの双子の兄である、イスカ・ファムヘルツ子爵でした。


「いいや、義母かあさまが美しいのは事実ですよ。その薄紫の瞳など、どれだけの娘たちが憧れていることか」


当機わたしは造られたものですから。それと、まだ母になったわけでは──」


「おや、失敬。確かに『まだ』正式な婚姻関係ではありませんでしたね」


 失言を悟ったところで手遅れでした。これでは、ロータスさまとの婚姻を自ら認めているようなもの。


「……聞かなかったことにしてください」


「おや、残念。まあエリーゼを困らせるのは本意ではありませんからね。

 ──こんなところで立ち話もなんですし、俺の研究室へどうぞ。散らかってますが」


 イスカさまに先導され、識院の奥へと足を踏み入れます。

 

 イスカさまは歴代最短という華々しい記録を打ち立てて、識院の養成機関を卒業されたそうです。

 その名声は妹であるシュクレさまに負けず劣らず。今や識院の主要研究者として活動なさっています。


「いやはや、恥ずかしい。エリーゼが来ると聞いていたら、多少なりとも片付けていたのですが」


「お気になさらず。押しかけたのは当機わたしですから。シュクレさまから、お弁当です」


 提げていたバスケットからサンドイッチを取り出します。

 案の定、帰ってきていなかったここ数日はろくなものを食べていなかったようで、イスカさまの目が輝きました。


「ありがたい。感謝していただきます」


「それでは、当機わたしはこれにて──」


 ガッと、手首を掴まれました。振りほどくのは簡単ですが、関係性が強引な拒絶を許してくれません。


「待ってください。エリーゼ、一つ尋ねたいのですが、父上との婚約破棄を望んでいるというのは事実ですか?」


「……ええ」


 隠したところで無駄なのは分かりきっています。

 頷けば、イスカさまは不思議そうに小首を傾げていました。


「なぜ、ですか? 貴女を守るにはこれが最善だというのに」


「……当機わたしのためにファムヘルツ家を犠牲にするわけにはいきませんから」


「当主は元より、次期ファムヘルツ公も認めています。それでも?」


「ええ」


 ファムヘルツ家の方々は、みな優しい。

 彼らが当機を受け入れてくれることは知っています。だからこそ、彼らに迷惑を掛けたくなくて、当機は今回の決定が受け入れ難いのです。


 ふう、と困ったようにため息を落としたイスカさまは、真っ直ぐに視線を合わせ、口を開きます。


「神の約束。それが貴女の名前の意味です。父上は貴女に、それだけの祝福を与えると神に約束した、と俺は受け取っています」


「…………」


 目覚めた当機には記憶がなく、識別名称も失っていました。

 今のエリーゼという呼び名は、ロータスさまが付けてくださったもの。当機にとって、特別なもの。


「……これは、あくまで独り言ですが」


 当機が俯いている間に、イスカさまはそんなことを言い出していました。


 これは独り言であり、当機がたまたま耳にしてしまっただけ。そんな免罪符を元にイスカさまが告げた言葉は、当機にとって衝撃的なものでした。


「当初は、貴女のことはファムヘルツ家の養子として迎える予定だったんです。それが婚姻という形になったのは、父上の意向だと小耳に挟みました」


「──え?」



 ■



 ロータスさまは、遺跡探索に明け暮れ、放蕩王子と呼ばれていたアルフォンス殿下の数少ない理解者でした。

 ゆえに、発掘されたばかりの当機と引き合わされた最初の一人でもあったのです。


「彼女が、遺跡からの出土品?」


「ええ、信じられませんよね。けれど事実、彼女は機械人形です」


 困惑を露わに、殿下とロータスさまは囁き合います。

 当機の容姿や肌触りは、当機自身が客観的に見ても人間の女性そのものです。かつて当機を造った方は、何を思っていたのか知りたいくらい。


「──はい。当機わたしは人ではありません。当機わたしは戦うために製造された戦闘用ガイノイド、と認識しております」


 当機には何もありませんでした。

 記憶はまっさら。識別名称すら分からない。所持していたのは鍵が開かず、何をしても傷つかないアタッシュケースのみ。


 そんな当機にただ一つ残されていたのが、己は戦うために造られたものである、という確信でした。


 当機の名乗りに、さらに困惑するロータスさまに向けて、アルフォンス殿下は言い放ちます。


「とまあ、叔父上をお呼び立てしたのはこの通り、彼女の性能テストをしていただきたくて」


「……テスト、とは」


「言葉の通りですよ。彼女は古代文明の時代に造られた、戦闘用の機械。ならば、この国で屈指の強者である叔父上の他に適任者はいないと考えました」


 アルフォンス殿下の要求に、ロータスさまは頭が痛そうな仕草をして、ため息をつきます。

 けれど目覚めたばかりで、情緒というものを把握できていなかった当機は追い討ちをかけるのです。


「ご要望とあらば、当機わたしはいくらでも刃を振るいましょう。それが当機わたしの存在意義、と推定します」



 そんな経緯で行われた手合わせが、当機とロータスさまの初対面でした。

 幸いにも、当機の実力は剣聖と謳われるお方に認められ、当機はロータスさまと共に戦場へ赴くことになりました。


 戦場には二つの攻防があります。

 魔法で行われる遠距離戦と、実際に兵の命をやり取りする近接戦と。


 魔法は人の命を奪えません。聖女と呼ばれる特殊な女性が付与する加護が、魔法から身体を守るからです。

 魔法は加護を削り、剣や銃で武装する兵が命を奪い合う。それが現代の戦争でした。


 ロータスさまは公爵という身の上でありながら、自らの実力と、イスカさまという後継者がいらっしゃることを口実に、自ら戦場に立っていました。

 とはいえ、国として公爵を放置しておけるはずもありません。当機がロータスさまと同じ戦場に立っていたのは、微力ながら彼の方の護衛も兼ねていたのです。


 エリーゼと。名前をつけていただいたのは、戦場を渡る束の間の時間のことでした。


「……エリーゼ、というのはどうだろう」


「…………?」


 唐突な言葉だったものだから、きょとんと、当機は首を傾げるだけでした。

 ロータスさまはその仕草で言葉足らずに気付いたように、普段よりも少し早口に付け足します。


「ずっと考えていた。いつまでも君、と呼ぶのでは不便だから、何か名前があった方がいいだろうと」


「名前……当機わたしに、ですか?」


「ああ。人殺しが渡すものでよければ、受け取ってくれるだろうか」


 エリーゼ。

 ロータスさまが与えてくれた名は、とても温かな響きを持っていて。

 当機にとって、この世で何よりも大切な宝となったのです。



 ■



「ロータスさま! ロータスさま、いらっしゃいますか!?」


「え、エリーゼさま? 一体どうなさったのですか?」


 ファムヘルツの屋敷に戻った当機を迎えたのは、面食らったように困惑する侍女の声でした。

 その声に、思いのほか動転してしまっていたことを自覚して、どうにか落ち着こうと呼吸を深くします。


「……申し訳ありません。ロータスさまを探しているのですが、どちらにいらっしゃるかご存知ですか?」


「ええ。御当主さまなら、今は中庭におられるはずですが──」


「感謝致します」


 礼がそぞろになっている自覚はありましたが、逸る気持ちは抑えられませんでした。


 ほとんど駆けるような速度で中庭に向かいます。

 庭師によってよく手入れされた花園は、今よりも激しい戦火に見舞われていたころでも美しくて。

 アルフォンス殿下の同伴でこの屋敷を訪れていたときは、中庭を散策させていただくのが常でした。


「……エリーゼ? どうしたんだ、そんなに慌てて」


「ロータスさま……!」


 どこまでも人に近いこの身体は、緊張による鼓動の早まりすらも再現しています。

 あんなにも逸っていたのに、ロータスさまを前にすると、なかなか言葉が出てきません。

 すう、と息を吸って、へばりつくような喉の渇きを意識して、ようやく出した声は思うような形にならなくて。


「ロータスさま、その、あの……」


「ああ、どうした?」


 そんな無様も、ロータスさまは受け入れてくださいます。

 この二年、ずっと傍にいたお方の、穏やかな表情。それを見た当機の心は、自然と落ち着いていました。


「ロータスさまと、当機わたしの婚約のことです」


「……やはり、まだ破棄を望むか」


 心なしか、苦しげなロータスさまの声。

 識院で耳にした「独り言」は間違いではなかったのだと信じさせてくれるような声に、当機は背中を押されて、問います。


「ロータスさまが、当機わたしとの婚姻を望んでくださったというのは事実でしょうか」


「っ──! それを、どこで」


 ロータスさまの瞳に、明らかな動揺が浮かびました。

 やはり事実だったと確信して、当機の中に温かな感情が広がっていきます。


当機わたしは──当機わたしは、人殺しのために造られた人形です」


 だから当機は、婚約破棄を望みました。

 徹頭徹尾、戦うための道具を妻とするなど、不名誉極まりないはずだ、と。


当機わたしの価値は、いずれ失われます」


 だから当機は、婚約破棄を望みました。

 捨てられるのが怖いから。このファムヘルツ家に連なる方々に、不要と断じられたくなかったから。


当機わたしは、当機わたしは、当機わたしは──愛されるに足る価値があるような、モノでは」


 あれ?

 違う。当機はこんなことを言いにきたのではないのに。

 当機は、何を。


「エリーゼ、落ち着いてくれ」


「……ロータス、さま?」

 

 気が付けば、当機の瞳ははらはらと涙を流していました。

 ロータスさまは当機の涙を掬って、当機の身体を抱きすくめます。

 温かで、ひどく落ち着く体温でした。


「エリーゼ、すまない。私の無駄なプライドで、君を不安にさせた」


「ロータスさま」


「君が知った通りだ。元々は君を養子に迎えるという案を、私が婚姻という形に変えた」


「なぜ、ですか。どうしてそのようなことを」


「君と生きたいと思ったからだ」


 その、真っ直ぐな言葉は当機に随喜をもたらして。けれど、当機の口は、思ってもいないことを紡ぐのです。


当機わたしは、人形です」


「ああ、それが何か? 君には、心があるだろう」


当機わたしは、人殺しです」


「そんなこと、私だって同じだ」


当機わたしは、古代の知識を持ちません」


「そんなことで、誰かが君を非難したか?」


 当機の拒絶はすぐさま否定されます。

 否定に否定が重ねられて、当機が拒絶する必要はないのだと思い知らされて──。


「……ロータスさま。当機わたしは、貴方さまを愛してよいのでしょうか?」


 たかだか機械人形の身に、愛が許されるのか?


 結局のところ、当機が恐れていたのはその一点のみだったのかもしれません。

 ロータスさまは当機を抱きしめる力を強くして、言います。


「私は、君を愛している。それが答えだ」


 ──風が舞う。


 硝煙と血の臭いではなく、花々の香りに包まれて。

 当機は、許しを得たのです。

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戦闘用機械人形は婚約破棄を望む カブのどて煮 @mokusei_osmanthus

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