#X2 文書

 X月X日


 久々の外の空気に体の奥から込み上げてくる感覚が心地良い。

 これは素晴らしい研究の後の私へのご褒美ということなのだろう。

 誰かが見守ってくれているというが、それは正しい。

 さるお方の支援は受けられなくなったが、それでも研究の成果はどんどんと上がっていく。さるお方も私の力は必要十分値に達し切り捨てたと見ていい……。しかしそれは早計と言わざるを得ないだろう。

 悲しいが私の研究はついぞ理解されることなどなかったというのだ。

 さるお方にはこの研究に何を求めているのかは私にも判らないが、それでも何かを追い求めて活動するというのは悪くないものなのだろうね。そんなこともあると割り切って仕舞えば良いが、自分では踏ん切りがつかず何かをしていないと落ち着かない気分も研究者としてはある。

 求められ認められることだけに価値を置いていたあの時とは違い、心地よさなど研究の果てにはないものなのだが、誰かの礎となることも古いものとしての務めというものか。

 若い時には甚だ理解できなかったあの感覚が私を理解の境地へと立たせる。

 そんなものに費やしている暇があるのなら研究をしろというのは私の言だったが、それも誤りであるとも言えるのだな。

 奮い立たせるのは、偉人の叡智なるものか、それとも私の中に眠っている邪神の欠片が作用しているのかは判らないが、それでも何かに縋ろうとこうして研究を続けている。

 滑稽に思えるだろう。

 人間の足掻きなど、それほど差して足らないものだというのに、今は狂人であるからと言って体力や気力すらも減らない。

 これでは私は人間ではなく、ただの狂人に成り果てたというのだな。

 ならば狂人らしく、最後は狂気的に振る舞おうではないか。

 狂気的に狂気を振りまいて、その存在に忘れられないようにすれば良いのではないか。

 この研究施設はここを追ってくるものに潰される。

 この日記すらも残らないのかもしれないが、誰かの心には有りたい。

 そう思えるだけでも、まだ人間らしい私なのかもしれない。

 そう考えると狂人とはなんだ?

 狂人は人間と作りは然程さほど変わらない。それであるのならば、人間と作りが変わらない狂人の存在意義とはなんだ。

 さるお方をただ漠然と守るだけの存在だったというのか。

 さるお方の元から離れた今、そう言った思考も制限されていない。

 さるお方の元で研究を進めていたことがあるから解る。

 そういう知覚さえできなかった私はただの木偶人形、操り人形に過ぎなかったというのに、何故さるお方はこの思考を許したのか、いまだに掴めないでいる。

 それは人間らしい感情を取り戻した私に対しての絶望ある手向けの花なのだろうか。

 こう今も思考しているうちに、頭が縛り付けられるような強い感覚がない以上、そう思って構わないだろう。

 研究者然としていた私にとって、その思考の縛りは良いものでは決してなかった。

 思考することによって研究を遂行してこその研究者なのだ。

 それを考えると、さるお方のものを忠告を無視してまでも研究を進めている私は差し詰め研究馬鹿なのだろう。

 考えただけでもただの滑稽の踊り子。

 あの恐ろしくも悍ましい研究をしていた頃の私とは違う。

 あれを最高のおもちゃと宣うのは人間ではなく狂人の方の私なのだな。

 理解してしまうと、何故が思考がクリアになって人間に近くなる。

 そうであるならば、人間の感情など欲しいものではなかった。人間の感情は研究にとっては邪魔なものだ。それを排除して、研究を進めたのはさるお方だ。

 …………なるほど、だからさるお方はこの研究者たちを縛り付け、私も思考を縛り付けられた。

 途中から、私のみ思考の縛りを受けて他者からのそしりを受けたのは、まさに当然の帰結だったとも言える。

 そんな感情は人間には存在せず、ただ恐ろしい怖いだけの感情になってしまうのだから。

 だからペアを狂人にしようと邪神の欠片を投与してまで、私は理解者を増やそうとした。

 研究者失格だな。

 そんな事を今更になって気づくなど、遅すぎるにも程がある。

 間違いを犯してきたことは数知れず、ただ茫然と罪科が残されただけになった私は用済みなのだ。

 切り捨てられて、その先に研究を重ねてようやく完成した狂人の絡繰ですら、あのさるお方の怨敵である彼女には効かないだろう。

 新たな研究施設が開発されたと聞いたが、私の方はダミーに使われたという事だ。

 ならば、彼女に出来ることは最後の思考の縛りである彼女を止めることのみになってしまった。

 明日が私の最後の日、もう彼女は目前まで迫ってきているという情報は一応受けた。

 それならば、彼女と全力の死闘を繰り広げて華々しくもない惨めな死に方を選ぼう。

 それこそが、私に与えられた最後の使命なのであればこそ、怖くもなく悲しくもない。

 心の底では恐怖心というものが打ち勝ってしまうが、邪神の欠片の影響を受けて討ち滅ぼせと叫喚を重ねる邪神がうねる。おどろおどろしい狂気の茶会の始まりだという事だ。

 茶など持ってもてなすことすらできず、思考の縛りのせいで彼女と強制的に戦闘は行われる。

 最後にあの彼女と戦えて光栄に思うべきだろう。

 原初保有者オリジンホルダーに倒されるのであれば文句も言うまい。

 さるお方に言ってやりたい気持ちもあるが、こうやって文章という形でしか残せないのが悔しいが……これも研究者としての意地ではある。

 文しか書けない凡才以下だった私が、こんな研究をして名を悪い方向に上げてしまったのだから、仕方のないものだ。

 あの時、デスイーターに酷い事を言ってしまった。

 あの時、あのピエロには実験台になってもらってしまった。

 罪の精算など到底できないだろう。地獄で閻魔様への片道切符を持たされている私だ。

 精算など到底できはしまい。

 彼女に向ける言葉は、待っていた……とかになるのかも知れないな。

 待ち望んでいるのやも知れない。この呪縛から解き放ってほしいという身勝手な思いが体から込み上げてくるが、これ以上の思考は難しいらしい。

 意識が朦朧としてきた、なんでここで終わってしまうんだ。彼女が近づいてきたからか。











 嗚呼ああ、思考が薄れていく。

 邪神の権限が不完全ながら近づいてきている。

 本当に、本当に会話できないのが残念でならない。

 彼女がどんな研究の成果をもたらしてくれるのか、私はこの目にすることができないのだから、悲しい哉表情ひとつ変えることができない。

 終わりが始まりになる。

 始まりが終わりになる。

 その一時まで、思考が明瞭であってほしかった…………。

 お遊びはここまでだ。

 さぁ、あいつを殺すとしよう。

 うむ?私らしくない文章だな。

 この明瞭に満ち満ちたこの私らしくない文だ。ここに捨ててしまおう。

 唾棄すべき原初保有者を借り尽くすことにしよう。

 この絡繰人形パペットを使ってな……!

 この文で満足のいく男ではないだろう。

 華々しくなど散らせるものか。

 私が邪悪に染め上げて地獄でも苦しんで仕舞えば良い。

 邪神を見る時、こちらも覗いているのだから……。

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