#26 嫌悪

 再び旅路に着くと、私はフゥッと息を吐く。溜め息は幸せが逃げる気がするからあまりしないが、それでもまだまだ長い道のりの半分も行っていないなんて、少しはため息をついてしまうのも仕方のないことだと自分に言い聞かせる。

 そんなものは捨て置いてしまえ、なんて性格でもないしそう言う人格でもない。

 いって仕舞えば自分の中での気持ちを整理するための癖のようなものだ。やめようやめようと思っているがやめられないのは仕方のないことだろうか……?

 いきなりカーニバルが始まる……始まっている?なんで急にサーカス団が出てきたんだよ?この世界割とおかしすぎるだろ。可笑しなお菓子の家なのか、ここは。

 踊り子たちが一斉に踊り出す。自分も踊りたい気持ちになり、なんとか自分を押さえつけるが言うことを聞かない。

 自分の体にかかっている呪いをオリジンで跳ね返して、私は私だと言い聞かせる。

 こんなことをしたくなるのは自分のせいじゃない。誰か呪いをかけている奴がいる。誰だ、誰なんだ。

 このサーカスの中のどこかにいるやつは、私をどうやら貶めようとしているみたいだ。昔懐かしサーカスという鳥籠の中で。


 こんなことをしでかすのは狂人のやつの一人に相違ないだろう。奴らは人の心に漬け込む習性がある。

 高い精神力でもって跳ね返したが、自分が精神力の弱い人間だったら一緒に踊り出し、死ぬまで踊らされ続けただろう。


「ほひほひほほ!残念な方だ!この踊りをなぜ良いと思えないのでしょう?我々はただ踊り狂ってるだけでございます!さぁ、見てください!この踊り子たちを!洗礼された無駄のない動き……実にwonderful!!これは冷めない夢の始まりにございますれば、我々恐悦至極の至りにございます!」


 狂った道化師ピエロがどこからともなく顔を出す。暗闇の中に潜み自分の体を隠しながら出てくる道化師は、決してこの世のものとは思えない怖気がした。悪寒とでもいうべきものだろうか、こいつのことを心底嫌悪したくてたまらない気持ちに駆られる。

 これはあいつに植え付けられた出鱈目真っ赤な嘘だ。こんなことには屈しない。屈さずとも、あいつを倒すことができるからだ。


「私は私だ、洗脳しようとも意味はない。今まで向かってきた奴らがどうであったであれ、私にはその技は通用しないぞ」


「ほひほひひゃひゃひゃ!抵抗力の強い方だぁ。こんなに耐えられたのは初めてかもしれませんねぇ…………計算が狂った!狂ったではないか!!あいつがあいつがあいつがいるからいるから?いるからなんだあいつのせいだ!!あいつが全ての計算を狂わすハーモニーを崩し整列の人の輪を乱す!!乱して見出して……見せましょう⭐︎」


 狂っている。既に心はどこにも在らず、自身の理論武装という名の結界に閉じこもっている道化師はそこにいた。


「紹介が遅れました……我こそはデスジョーカー!!のハーモニーを奏で、死のハーモニーを奏でるものっ!見参いたしましたぁ……!」


 言われなくてもわかっている。お前は狂人であり、本物の狂人であることが。人造ではなく心で突き動かされているやつなんだと肌で感じずとも心で感じる。

 こいつはそういう奴なんだ。心が狂いに狂って磁場で方位磁針が乱れるみたいに荒れ狂う。

 激情のハーモニーを奏でているそいつは、デスジョーカーというわけなのか。


「お前、ここの踊り子たちはなんなんだ。一体どこから用意した!」


「おやおやおやおやおやおやおやおやおやぁ?それを聞いてしまいますかそうですか聞いてしまいますよねあなたならきっとそうだと思っていました……我が町から村からそこら辺からかき集めて快く、心良く踊ってくださると愚申ぐしんしてきたのでぇ、連れてきてしまいましたぁ!いやぁなかなかなかなかなかなかなかなかなかなか味わえないものでしたよぉ!あの絶望に染まる顔に声!ひゃほひゃほほほほ!あれはさいっこうに効く解毒薬でございますぅ!」


「解毒薬だとぉ……!人間のいの……!」


 こいつは狂人だ、そんなことに耳を貸すはずがないし、自分でもわかりきっていることだろう。

 こいつは自分を邪悪なものだと気づいておらず、自分の思うがままに人を傷つけているのだとわかるこの口走ったような声……!

 今も踊らされている彼ら彼女らの中には白目をむいて倒れることすら許されず、ただ平然とそこにあるだけのように動かされている。

 傀儡師は傀儡を自分の手指を器用に使って操るように、奴が後ろから糸を引いて意図的に行っているこの残虐行為。最早一考の余地は無し、こいつを前例で叩き潰す!


「(悲しみを連鎖させぬように、心の燈指針となって導き光れ!)《灯台主導者シャイン・ロード》!!」


 洗脳が解かれようとするよりも早く、奴が手綱を握りしめて、寄り返す。

 ……早い…………早すぎる!

 傀儡師の才能も持ち合わせていると見て間違い無いだろう。あの自信の乱れぬ動きは間違いなく何度もやってきた動きで、これまでの人間をこのようにして扱った。許せない……許せないよなぁ!


「おっととっととっとととととと!それはさせませんさせませんよネズミさぁん……我のハーモニーの調和が乱れるではないかどうしてくれるのだこのクソ馬鹿たれがぁぁあああ!!なぜどうして我々の邪魔をしようとするこんなにも素敵で可憐で美しい世界が広がっているというのにお前お前お前はそれを崩そうとする悪人だ悪人なんだなんだかんだなんだかんだ!?」


 何を言っているのか理解もできない。理解する価値すらもない。こいつは邪悪の塊ただそれだけを理解して本気で叩きのめす。

 しかしどうにも一般人がいるという点が尾を引き心の隙間に入り込んでくる感触がある。

 こんな気持ちになりながら戦うなど、真っ平御免だ。御免被る。だからこそ、早くあの人たちを解放しないと救えなくなってしまう。その前に助け出さないと……!


「こんな芸術作品もあるのです!!デスデスデズデスデスデス!」


 人の体が弾け飛んだ。

 意図も容易く弾け飛んだ。糸で引かれた人肉があたりに散らばり激しく匂いがひどくなるのを感じる。異臭が立ち込めてあたり一体に重い空気がのしかかる。

 あの……クズ野郎…………。


「貴方が!攻撃を!しなくても!しても!あまり結果は!変わりません!全て私の手で華々しく散っていき!醜い豚から芸術作品へとなり変わる!それが我々の芸術!そうこれこそが死のハーモニー…………ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいい!演技:《死乃踊子デス・ソーサラー》」


「このクソッタレがぁ!」


 踊りは途切れることはない。骨になっても踊っている哀れなそれは、悲しげな音を立ててケタケタと頬骨を動かして笑っている。嗤わされている。こんな奴が、こんな奴に命を貶される胸糞悪さが込み上げてきて、むかついて吐きそうで苦しくて息が詰まりそうだ。

 骨はこちらの様子をおもんぱかることなく激しく容赦のない攻撃を仕掛けてくる。

 なんでなんだよ、なんで罪もない人間がこんな目に遭うんだ、なんでこんなやつにいいように好き勝手されなきゃならないんだ!

 骨の攻撃を防ぎ、あとで絶対に墓石を立てて埋葬すると心に誓い、あの道化師に向かって攻撃を仕掛ける。

 空を切り、手足も切ってもなお、攻撃をやめない。手足が切られたと同時に再生をして、指を引き裂かれようとも肉を切らせて骨を断つが如く、即座に再生していくこの体は、最早人間の私ではなく、魔人の私だ!

 顔面に一発クリーンヒットして顔面が一回転周り骨のダンサーの攻撃がピタリと止む。

 踊り狂っていた骨は静かにケタケタと微笑んでいる。

 静寂とは言い難い骨の音に、苦しいほどに場の空気をもっと重たいものにする効果が出ていた。

 あいつはまだ気を失っていない。倒せていない、許せない許せるはずがない!救える気持ちもない!やるせ無い思いばかりが込み上げてきて、この悪魔を討ち滅ぼさんと心の底から込み上げてくる。

 ズタズタになった肌を魔力で超速で再生させると、あの怨敵を見据える。


「ほほほひゃひゃひゃ…………我の顔面に一つのパンチで優勢になったおつもりですかぁ?」


 道化師はそういうと自分の手で頭を元に戻してその場を一歩も動かずに再生してみせる。

 なんでもありなのか、この生命体は……!


「さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ!ダンスを続けましょう!酷く非道くなっていくこの踊りに対してどれぐらいまで抵抗をするのかされるのか、我とても興味深いです……なんでお前に殴られなきゃいけないんだなんで私の顔が一回転しなきゃいけないんだおかしいおかしいだろお前なんでそれで生きてんだよそれで生きてなくてなんだっていうんだよ本当にお前の存在ってムカつくよなぁムカつくよなぁ!我だけでは心許ないので、ダンサー達には着いていて頂きますが、よろしいでしょうか?いえ!返事は入りませんとも!このダンサーたちが欲しいんでしょうそうでしょう!さぁ…………shall we dance?」


 狂った狂ったダンスは終わりを告げることなく、次の試合の幕開けだ。

 ゴングはとっくに鳴り響いていて、賽の目はもう戻すことはできない。

 覆水盆に返らず……亡くなってしまった命はもう取り戻せないんだ。

 あいつを私はただただ倒すだけではなく、苦痛でもってその答えに応じるとしよう。

 嫌悪すべき悪との戦いの火蓋は切って下されている。

 すぐにでも拍手歓声が飛び交いそうな状態になっていた。

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