#23 悲嘆

 大学生の始まりは、桜の舞い散るが如くの葉っぱが青く成り、蝉もうるさい頃の時期に決まった。

 端的に説明するとしたら中途で編入試験を受けて、そこで受かったと言ったところだ。

 自分の人生は薔薇色というところではないが、なんとも言えない色になっていたのはいうまでもない。施設に入れられていた頃が懐かしいぐらいに自分の人生を謳歌している……そんな気がしていた。

 始まりは退屈な講義から、蝉も鳴り止む頃までフル単で取っていたので、バイトの時間も遅いものにしていた。しかし、夏の夜といえども油断はできないところが日本というものの難しところだと思う。普通に風が吹けば肌寒いし、半袖かアウターを着てか迷ってしまうほどには外気はこちらを強く攻撃してくる。





 人生の中で失敗はつきものだが、俺は結構な自信があった。

 あの親から生まれ落ちたことが人生最大の失敗だというのはご愛嬌、それなりのミスをしている。人間は機械ではないし、そんな簡単な構造で作られている生物ではない。

 何かにつまずけば当然凹むし、誰だってそうだろう?

「悲嘆していたって始まらない!」……確かにそうだ。こんなところで躓いてなんかいられないだろう。しかし、人間というのは弱くて脆い部分が確かに存在しているのだ。欲が出てきて仕舞えば何にだって慣れてしまう化け物だ。

 誰かを糾弾し、捻じ曲げて押し殺す。全ては不満を持って生きている。

 そんな中でも花がある。山があり谷がある。そんな人生こそ素晴らしいではないか。凹凸のない人生など存在しえないのだ。個人の意見になってしまうが、それがこの世界の仕組みになっている。この世界の常識になっている。





 大学2年生の頃、ある女を助けた。単位が足りずに困っていてなんとかしなくてはと体がtsきうごかされていた。「授業に参加しない奴が悪いんだ、自業自得だよ」そんな意見も存在しうるだろう。しかし、困っている人間を助けずにはいられなかった。俺が俺であるために必要な存在証明になっていたのだ。救うことは悪くない。何も悪くない。偽善であるだろうが、教授に掛け合い、なんとかレポートを10枚提出して、事なきを得た。


「ありがとう、ほんっとうにありがとう!」


 頭を下げられまくったが、自分は当然のことをしたまでだと踵を返すことなく去っていく。

 大学中で噂になっていたが、自分には関係のないことだと思っていた。孤高気取りの馬鹿たれではない。何度も言うが当然の行動をとったに過ぎないと言うことだ。

 自分は自分であるために、自己同一性の行動原理は自分の範囲内でのみ起こす。簡単だろう?こんな簡単に人を救える。

 時には悪者扱いする人間も出てくる。


「なんであいつだけ」


「俺が落ちたのに、どうしてなんだよ!」


 マイナスな面も確かにあるにはある。自分はどうしてその女を助けたか。

 悲嘆していたからだ。人生に悲嘆し死のうと思っていたからだ。何も死ぬことはない。こんな自分でさえ生きていたのだから。

 言っている人間にはそれがわかるか。死のうとしている人間の気持ちなんて理解せずにモノを言うんじゃない。

 生きているからこその悩みで躓きで気付きだ。死んでしまったらそれすらない。そんなことは俺には耐えられなかった。思考してみんな生きている。野生のけもののように本能で餌を求めて奪い合い殺し合っているわけではない。考えてその人生の過程で得た気づきをもとに行動しているケモノだ。けだものでは決してない。





 大学3年の春、その救った女は死んだ。死んだんだ死んだんだよ。散々陰口を裏で言われて、心を抉るくらいに罵倒され冷やかされ、言葉の刃物によって殺された。自殺なんかじゃない。言葉の刃物を突き立てられたんだ。

 全員が敵に見えた。悲嘆し嘆き悲しみ怒り狂い、全てを破壊したくなった。全てがぶち壊れて仕舞えばいい、お前たちは全員敵だ。倒すべき俺の敵だ。

 そう思うと行動は早かった。大学を駆け回り主犯の在処をかぎ出し、見つけて警察に突き出した。


「お咎めはなしだ。帰ってくれ」


 それだけで終わってしまった。それだけだったんだ。

 あいつらはのうのうと生きてあの女は死んでしまった。

 信じられないくらいの絶望に陥り、人生に悲嘆をした。こんな人生などどうでもいいか。そう思えるぐらいに俺はあの女のことが好きだったんだ。直向きに頑張って、なんとかバイトで生活を凌いで、やりくりして体調を崩して講義を休み続けることになってしまった。こんなことが見過ごされていいはずがない。されてはいけないんだ。

 大学四年生の冬に、コンクリートミキサー車が突っ込むのが見えた。

 あの女はどこか俺の好きだったあいつに似ていた。

 だから助けるってわけじゃない。訳じゃないが、間に合えって思った。間に合って欲しいと願った。そうしたら急に力が湧いてきて、悲嘆していた自分の心が解凍されて景色が灰色から色彩の戻ってきた視界に移り変わった。

 これこそが人生じゃないか、これこそが素晴らしい力を発揮するものじゃないか!





 間に合った俺は血を吐き出して横たわり、空を眺めていた。冬の寒い時期だったから路面が凍結していてブレーキが言うことを聞いていなかったのだろう。

 俺は女のほくそ笑む笑顔を見逃して、たどり着いたのが何もない虚無の世界。あの女神がいる神界というやつだろう、そこに飛ばされていた。

 俺はなんのためにこいつを助けた?何をするために助けた?そうだ、命が大事だったからだ。救える命があるんだったら、俺の命を犠牲にしてなんとかなると思ったからだ。

 それがこのざまだ。無意味にも女神を助けて、命を犠牲に……どうにかなっちゃいそうだった。思わず弱音を吐いて死んでしまいたかった。魂の状態だったが、いつでも死ねると思ってしまった。

 しかし、犯罪の横行する異世界に飛ばされそうになって、あの女が脳裏をよぎった。悲しむ顔なんて見たくない。

 俺の届く範囲で救ってみせると、俺はここで誓ったんだ。

 悲嘆だけのあの空白の一年間は終わりを告げることになる。

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