#18 現状

 寒気のするそこは、邪神の棲まう世界、いや見離されたものの集うところ。

 そこかしこに、自分の理解の外にいるものや、度し難い生物が湧き立つここにまたきてしまった。自分では言い表せない体の痒みが襲ってきて、自分の心を常に食い破ろうとしてくる。

 吐き気と恐怖でどうにかなりそうなのをなんとか抑えながら、自分はこんなところで負けやしないと意気込む。

 ネチョネチョした壁面は、この世のものざるもので、粘性の液が付着している……違う、そうじゃない。今は邪神だ。




 温度が2℃〜3℃低くなった気がする。

 寒気がひどいのだ。狂おしいほどに、暖房が欲しい気持ちに駆られる。それは意味のないものだとしても縋りたいと言う、人間の本能によるものだったのだろうか。

 自分ではわからないが、足も震えていただろう。この恐怖をシェアするには、ここに人を連れ込んでいくしかないと感じた。


「またあったな、邪神の欠片」


 また、相対してしまった。会いたくないものに会ってしまった絶望感と同時に届けられる不信感と恐怖感。死の象徴はそこにいた。

 邪神の欠片を取り込んで、魅入られたもののみがこの場所に来ることができる。

 この場所に入ること自体も難しいことだが、ここから帰ってくることも難しいところであろう。私はそれでも諦められない。私は生きてやるんだ……だから!


「は……やく、今回、のは、は……話、して…………くれ、よ」


 なんとか紡いだその声は、邪悪なる存在に届いた。


「そこまで育っておるとは、私も少々驚いた。俺は貴様がもう少し目的に向かってくれるように調整しなければな、と思っていたのだ。この空間で言葉を発せられる生物は限られてくる。例えばあそこに飛んでいる羽虫、あいつはシャッガイ。殺したら脳みそに寄生し出す生物なのだが、私のような存在になると、手の一振りだ。手の一振りで消し飛ばせる」


 絶望の一言だった。まさに邪神。あの強そうな生物を一撃で。それも脳に寄生する系の生物が、なに食わぬ顔で一瞬で。そんな恐怖が目の前にいる事自体が、身の毛をよだ立てさせられた。

 深い絶望の中でも、こいつは続けて話を続ける。


「貴様はいい素体のようだ。この攻撃を見てもまだ立ち向かってくる勇気があるとは、恐れ入る。今度の旅がいいものであるものだといいなぁ?」


 意地の汚い声。その声は女のようにも男のようにも、若いもののようにも年老いたもののようにも聞こえる。

 不明瞭な言葉の発声と共に繰り出される不安な言葉の数々に息ができなくなりながらも、なんとか意識を保って、その尋常ならざるものは言っている。

 次の旅はどんなものになるかなど、自分では想像できなかった。自分如きでは理解できなかった。

 許容できない何かが其処には存在している。ただ、単純に存在している。


「良い旅になることを願っているぞ、マリ・イグジット。そうだ、私の名前を教えておこう。

『這い寄りし邪神』である、フィアー・ディサポイートだ」


 恐怖・絶望の意味を持つその言葉は、神名を聞かされたとともに、吐き気と頭痛が襲ってくる。しかし、前よりは耐えられるのだ。何度も言うが、前よりは耐えられる。どうやら私の体はこいつのことを受け入れていると言うことになる。

 とんでもなく激しい悪寒がする。この存在を受け入れてしまったことに対してだ。





 場面が切り替わり、帝国など跡形もなく亡くなっている。あの喧騒はどこへ。あの活気あふれる街並みはどこへ。

 行っても野原、行っても森の底には、かつて存在した帝国など存在しないと、こちらを嘲笑っているようにも見える。初めから帝国など存在していなかったのだと気付かされる。

 兵どもが夢の跡、有名な言葉だが、それが似合う場所でもあった。

 私はのそのそと旅路へ向かう。艱難辛苦でも、私は前を向いて歩き続けるしかない。

 そんな旅は嫌ではなかったが、好きでもなかった。こんな気持ちをさせられるなら、最初からこんなことはしなくてよかったと思わされるのだ。

 どうしてもあの邪神の言葉が耳にまとわりつく。殺して欲しかった。どうにもならない現状を、この惨状を消して欲しかった。拭い去れないものとはこのことなのだと。

 なんだか、全てがどうでも良くなって、消えていった。消えていくはずの俺の命は転生して、考えが変わり、私となって新生を得た。

 これから先はどうなるのだろう。言い換えることができない。私は何にもなれない。

 苦痛と絶望を同時に請け負いながら、私は歩みを止めることはなかった。

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