第9話 家族

「は~~、しんどっ」

 店の控室で、和也は椅子に座ってぐったりとしていた。

「お疲れ」

 午前二時を回り、閉店後の片づけを終えたところで、颯人はやとからスポーツドリンクのペットボトルを渡される。

「あ、ども」

 一気に中身をあおると、容量の半分ほどを飲み下して息をく。

「結構、客商売って大変なんですね。あんなの、いつも起きるんですか?」

 ペットボトル片手に見上げる和也に、颯人は自分の分の炭酸水のキャップを開けながら答える。

「まぁ、たまにな」

 先の女性客の振る舞いや剣幕、そして村田の対応を見ていて、和也はげんなりだが、颯人は慣れているのかいつものことと流しているようだった。

「客商売だからね、いろんな人が来る。『お客様』は大事にするが、そこから逸脱すれば、それは他の『お客様』の邪魔をする『害悪』だから」

「いや、その割り切りがすごいっていうか、ああいうクレーマーみたいな人って本当にいるんだなって」

 あんなのテレビのドキュメンタリーでしか見たことがなかった和也にとって、ああいう上から目線で自分の気に入らないことを主張する人の姿はあまりに強烈に映ったのだ。

「本来、クレーマーっていうのは自分たちの不足している部分を指摘して、サービスを良くしてくれる存在なんだけどな。あんなのはもう、モンスターだよ」

 颯人の表情は、迷惑客への怒りというよりも、呆れと言う方が正しいかもしれない。

「ホント、その度に黙れって言いたくなるけどね」

「そんな人に、村田さんは毅然と向かっていくんですね」

「父さんは手慣れてるからね」

 どこか、颯人の表情が緩んだ気がする。

 父さん――村田に向かってそう呼びかける親し気な声音が、和也に久方ぶりの寂しさを呼び起こす。

 両親が交通事故で死んだのは何年前だったか。

 高校卒業を目前にした、家族揃っての和也の卒業祝い。その往路での衝撃を、今でも覚えている。

 衝撃後、後部座席に座っていた和也が見たものは、前部シートが全て潰れていた光景だ。

 飲酒運転のトラックだった。

 周囲に集まった人が、後部ドアを抉じ開けて、和也を引っ張り出した。

――「父さん!母さん!」

 まだ、自分の叫び声を覚えている。

――「待って!まだ隣に――」

 続けて叫んだ言葉、

(……え?)

 それを思い出しかけて、和也は違和感を覚えた。

 運転席の父と助手席の母。この座席は間違いない。ならば、後部座席に誰が乗っていた?

 自分はなのに、なぜそこで隣なんて気にしていたのだ?


「和也?」

「—―っ」


 颯人に肩を叩かれて、和也は我に返る。

「大丈夫か?顔色悪いけど」

「え?ああ、だいじょぶ、だいじょぶ」

 訝し気な視線を向けられたが、和也は頭を抱えながらも問題ないと返す。

 それは颯人に対してなのか、それとも自分に言い聞かせたものなのか。

「初日で疲れただろ。もう帰れよ。明日は三時からな」

「あ、うん、わかった」

 妙な気持ち悪さを抱えながら、和也は家に帰ることにした。


 そして、真っ暗になった駅に着いて、気づく。

「俺、どうやって帰ればいいんだ?」

 和也は初めて、終電後の駅の姿を見ることになった。

 仕方なくタクシーを探して帰宅することにしたのだが、二万円超えの料金に更に驚愕したのだった。



 翌日――

『――ということで、今回のTelFテルフ介入は、付近の白金ビルで試験中だった実験機の搬出中に、異常を検知。非常事態として現場判断で対処したものであります。通常、このような事態には弊社は対応しないというのが鉄則ではありますが、人命がかかった、急を要する事態であることを総合的に判断した結果――』

 店内のテレビから流れているMTT-エンジニアリング&システムの記者会見をBGMに、和也は黙々と野菜の下ごしらえを進める。

「でけぇ会社ってのも大変だぁなぁ」

 テレビの音を拾ってか、隣の村田が寸胴鍋の中身を確認しながら呟くが、和也は反応しない。というより、できない。

 全て自分の後始末だと思うと、胃がキリキリと痛んだ。

 同席している記者が次々と質問している。

 警察に通報はしたのか。

 無関係な人間を危険に晒したのではないか。

 質問がひとつ出る度に、和也の体が強張る。

「ありゃぁ、なんか隠してんだろうなぁ」

 村田が何の気なしに呟く科白せりふが、余計に和也の内心に刺さる。

「まぁ、こういうのはちょっとするとチンコロで汚ねぇのが出てくるんだろうが…」

「……」

 ボケッと聞いていたせいか下ネタと解釈してしまった和也は右手の包丁に意識を戻す。斜めに切ったキュウリが途中から厚さ不揃いになってしまった。

「そういえば、颯人のやつ、遅いな」

 村田が時計を見上げた。

 時刻は午後三時二〇分。和也が店に着いて三〇分が経過しているが、まだ颯人と顔を合わせていない。いつもは村田に次いで出勤するそうなので、珍しいことだそうだ。

「俺、見てきます」

 和也は包丁を置いて、キュウリを寄せてから店を飛び出した。


 予感があった。

 颯人は今、戦っている。

 SFT社の、装甲化強化人間メタリックパワードとして。


 

 

 原宿近くの運動公園、その陸上競技場は、幾重ものシートに覆われていた。

 タータングラウンドの張替えや照明器具の交換作業という名目で重機が運び込まれているが、それを機にこの場を利用しようと、二社間の間で予定が組まれていた。

 グラウンドの中央で、二十代のスーツ姿の男二人が対峙している。

「どうも、初めまして」

 身長一八〇半ばのがっしりとした体躯の男――森田巡もりたじゅんが、向かい合うもう一人の男――樋川颯人ひかわはやとへ不敵な笑みを浮かべる。

「そういうのいいんで。あんまり時間ないんで、さっさと終わらせません?」

 颯人は時間を気にして、腕時計を見やる。

「釣れないね、まったく」

 巡がベルトを取り出し、さっと腰に巻き付ける。

「ターンアップ」

 バックルのスリットにカードを滑らせる。

『Turn up. Complete. MRT-System, starting up.』

 電子音が応え、巡の体が緑色の重装甲に包まれる。

「オープン、アウト」

 対して、颯人が右腕を振り上げながら囁くと、黒い西洋甲冑が現れてその身を包む。黄色いラインが刻まれ、振り上げていた右手には金属質な弓が現れて握られる。

 巡は左右の前腕に装備された、全長一.五メートルの四砲身ガトリングガンを構え、颯人は弓の弦を軽く引く。

 互いの距離は一〇メートル。近接格闘にはやや遠く、射撃戦にはやや近い、そんな微妙な距離感だが、両者は自分の距離に持っていくための行動にすぐさま入る。

 キィィィン、と甲高いモーター音が鳴る。

 巡はロボットのように重厚な装甲を跳躍させ、後方へ距離を取る。上下左右に揺れながらも、しっかりと照準を敵である弓騎士へ固定したまま。


 ドガガガガガガガガガガガガ―――――――――――――


 毎分三〇〇〇発で発射される一四.五×一一四ミリ弾が、黒い甲冑へと迫る。

 恐らく、掠めるだけで体勢を崩し、命中すればその箇所が消し飛ぶほどの銃弾。

 雨霰あめあられと襲い掛かるその中を、弓騎士は横に駆けながら回避する。

 巡が装着するMRT-6〝サーベラス〟は二.五メートルの重厚な巨体を横に振りながら、ガトリングガンの射線を弓騎士に張り付かせる。通常なら既に血煙と化すはずの猛追を、颯人こと黒の弓騎士――トリスタンは軽快な疾走で円運動に入り、紙一重で蛇のようなしつこさで付け回す照準から逃れている。騎士を捉えられなかった大口径銃弾が、芝を舞い上げ、トラックの合成ゴムタータンを弾き飛ばしていく。

 巡は自身がぐるりとその場で回っていると気付きながらも、射撃姿勢を崩さない。サーベラスの光学センサ越しに、敵騎士が徐々に距離を詰めていることがわかる。

 彼我の距離は七メートルまで近づいている。

(弓兵だと思ったが、近づいてくるとはな)

 転送給弾方式のため弾切れを気にする必要はないが、近接格闘クロスレンジはサーベラスにとって不得意な距離だ。逆に離れてくれれば、制圧能力に優れたサーベラスの独擅場どくせんじょうなのだが、それを理解した上での行動なのか、敵騎士の戦闘レンジが近接寄りなのか。

(だが、甘い)

 そんな動きなど予想できていると、巡はほくそ笑む。すでに搭載AIが敵騎士の動きを一二八通り、その各迎撃パターンを六四通り演算している。

 トリスタンが前転跳躍により一気に円運動を加速させる。

 九〇度反転、その勢いを内向させ、一息でサーベラスの目前三メートルまで肉薄する。その手の弓を、引き絞りながら。


「これで…!」

「甘い…!」


 弦から指を放す騎士と、AIが選定した武装を起動させる電子戦機。

 起動はサーベラスの方が早い。

 両脹脛ふくらはぎに搭載されているミサイルケースのひとつが口を開ける。炸薬により強制射出されるが、厳密にはそれはミサイルではない。

 飛び出したと同時に弾頭が割れ、中から無数の鉄針が現れた。

 M18H1 指向性近接迎撃システム〝ファリーナ〟――サーベラスの近接戦闘能力を補うための迎撃システムであり、加害範囲は一.五メートル先から六〇度の円錐状に広がる。

 当然、今の位置関係であればトリスタンはその範囲に丸まる収まっている。


 だが――

 ドンッ――!!と空間全体を揺るがすような爆音が炸裂する。

 発生源は、トリスタンの大きな弓だ。

 それは姿形のない衝撃波として騎士の前方から球状に広がっていき、無数の鉄針を迎撃。その運動エネルギーを相殺してしまう。

 現象を単純に落とし込めば、向かい風に煽られて勢いを失ったということになる。

 巡は驚くが、搭載AIは至って冷静に、演算された予想結果から最も近いパターンと最適解を導き出し、対策を取った。

 予想エネルギーと自重を考慮し、全身の関節を一時的にロックし、かかとのフットロックを下ろして地面に食い込ませる。暴風と衝撃波による転倒を防止する措置だ。

 光学・電磁波・赤外線センサをはじめ、六種のセンサが黒い弓騎士を、今も捉え続けている。


(やるねぇ)

 トリスタンは迎撃の体勢からサーベラスの後ろへと駆け抜けた。一番強固な正面装甲は狙わない。対装甲戦術の基本だ。

 狙うべきは頭部か胴体。その中でも回避しにくい体の中心を狙うのは鉄則中の鉄則だ。

 風のようにすり抜け、巨体の後ろに回り込むと同時に反転。右足を横に、芝生を抉りながらブレーキをかけ、緑の装甲を狙う。


(甘いな)

 だが、そんな騎士の動きすら、すでに予測していた戦闘パターンのひとつに過ぎない。

 サーベラスの背面装甲が、展開されていた。

 厳密には、三メートル近くある砲身が、砲口から臨界と思しき白い光を、トリスタンの顔面近くで漏らしていた。


(しまった…!)

 トリスタンの眼前の砲口は、既に発射準備を終えているようにも見える。

 後ろを向きながらの粒子砲撃など馬鹿げた攻撃だが、このままではよくて頭が、最悪全身が消し飛ぶことだろう。

 回避が先か、迎撃を優先すべきか。

 ただ、迎撃しても、砲撃と同時になるだろう。勝算は、運が良ければ相打ち、というのが関の山だろう。

(マズッたな……)

 颯人はその時、自分の死を覚悟した。


(獲った!)

 その時、巡は勝利を確信した。

 AIの読み勝ちだ。所詮脳筋の強化人間パワードではここまでだ。

 そう思った瞬間――


「樋川さん!」

 陸上競技場に第三者の男の声が上がった。


(なに…?)

 背中の粒子砲が、正確にはサーベラスのAIが、巡が下そうとした発砲命令を取りやめた。


『Firing Lock. Friendly forces in the line of fire.(火器凍結。射線上に友軍あり)』


 HMDヘッドマウントディスプレイに表示された文字に、我が目を疑った。

 表示には『発砲をロック。射線上に友軍あり』。

 全身の関節ロックとフットロックを解除し、すぐさま振り返る。

 

 黒い弓騎士は、既に遠くへ走り抜けていた。

 第三者の邪魔が入ったのならば、今回はここまで、ということなのだろう。

 だが、問題はその『第三者』が誰かということだ。

 後部光学センサが捉えていた映像を確認する。


『軍需部_開発部門_第一開発室 松井和也』


 AIが記録画像と社員録を照合し、邪魔者の正体を巡へと伝えた。

「松井、和也……、江東の装着者か」

 舌打ちしながら、巡は装着を解除する。


 もう午後四時を回る。

 帰社して報告すれば定時を迎えられるはずだ。

「有名な、問題児か」

 再度舌打ちして、巡は白金ビルへと足を向けた。

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