第10話 誘い(いざない)

 午後八時、和也のスマホが震えた。

 丁度ミズキの席にフィレステーキを置いた直後のことだ。てっきり気のせいだと思っていたのだが、控室に戻って確認すると、画面には不在着信の表示が五分置きに並んでいた。


 8:00 武藤さん

 7:55 武藤さん

 7:50 武藤さん

 7:45 武藤さん

 7:40 武藤さん

 7:31 竜胆寺主査

 7:30 武藤さん


 途中に挟まれた竜胆寺からの着信がなんだか恐い。

 このままだと八時五分に再度優樹ゆうきからの着信があるだろうと察し、折り返す。

「…………あ、武藤さん、すみません、電話……」

『いや、夜分すまないね』

 いつも通り、投げやりとも無関心とも取れる優樹の声音が返ってきた。

『松井君さ、今日の一五時から一六時の間、どこにいた?』

「……え、え~と、どうだったかな~」

 どうせそのことだろうと思って身構えていたが、全然構えられていなかった。明らかに何か隠していますという動揺が、電話越しに伝わってしまわないか気が気でない。

 あの運動公園での戦闘の後、颯人はやととは話せていない。そんな時間はなかったし、少し避けられているようにも思えた。

 なぜあんなことをしてしまったのか、わからない。

 別に直接戦闘に介入したわけでも、ましてや颯人を助けようとしたわけでもない。ただあの場に居合わせ、思わず声を上げてしまった。

 いや、それはただの言い訳だ。

 あの時和也が居合わせなければ、控室の扉を隔てた向こうで女性相手に話題を振っている颯人の姿は、きっとなかっただろうから。

 和也は、颯人の危機をただ黙って見ていることができずに、思わず声をかけてしまった。それが全てだ。

「たしか、三時過ぎなら新宿にいたはずです」

 嘘は言っていない。その後がヤバイのだが。

『新宿?らしくないね』

「そ、そうですか…?」

『新宿のどのへん?』

「……東口の方の、繁華街です」

『歌舞伎町?本当にらしくない』

「い、いや、知り合いの手伝いで……」

 一言喋る度にボロが出そうで怖い。

 できればこのままアリバイ証明ができればいいと願ったが――

『で、一六時は?』

 そんな儚い願いは呆気なく打ち砕かれた。

「あ、あのですね……」

 黙ってはいけない。何か話さないとと和也は焦るが、その感情が言葉に出てしまう。 それを、優樹は聞き逃さない。

『松井』

 声のトーンが若干下がる。

『誤魔化すな。事実を述べろ。お前はどこにいて、何をしていた』

「俺は……」

『MESは裏切り者を許さない』

「……っ」

 和也は思い出す。

 嘗てTDDに所属して、里平と共に離反したTelFテルフ装着者、永山忠嗣ながやまただつぐ。最強のTelFテルフと呼ばれたヌアダを纏う、彼のなれの果てを。

 直接彼を屠ったのはSFTの装甲化強化人間メタリックパワードだが、MESから追われ続け、疲弊した男の姿を和也はまだ覚えている。

 優樹や秀平、他のTelFテルフが和也を殺すために追い立てる様を想像し、思わず唇を引き結ぶ。

『そう緊張することはないよ』

 その緊張の空気を、優樹は電話口で緩めた。

『松井君にはまだ頑張ってもらいたいというのが本音だ。だから、上に報告するために、まずはその材料が欲しい。事実と異なる報告をしても信憑性がない。だから、本人の口から、事実関係を確認したい。これは松井君を罰するためのものではなく、逆に守るためのものだ。だから、正直に答えてほしい』

「……俺は……」

 結果、和也は僅かに思い悩みながらも、電話越しに事情を説明した。

 謹慎中に颯人と出会い、そこからなし崩し的に彼の務めるホストクラブを手伝い、偶然にも颯人とTelfテルフとの戦闘を目撃して思わず声を上げてしまったと。

『状況は理解した』

 三分ほど喋り続けた和也に、優樹は微かな溜息と共に返した。

『謹慎の真意としては不本意だが、表面上の意味では特段罰する中身じゃない。白金の森田さんには詫びを入れる必要があるが……』

 それは、和也に向けたものなのか、自分の思考の整理のために口にしたものなのか。

『両者何事もなかったから、現場レベルの話で終わりそうだ。よかったね、少なくとも、森田さんのところの娘さんを泣かせずに済んでるから』

 そこで、通話が切れた。

 和也はほっと息をつく。

 なんとか乗り切ったという安心感に脱力しそうになり、最後の『森田さんの娘さん』という言葉に思考を引き戻される。

 森田さん、というのは先の戦闘で颯人と戦っていたTelfテルフの装着者のことだろう。

 MES白金ビルで開発された機体とその装着者。

 もし自分が介入した結果、颯人があの緑の装甲のTelfテルフを破っていたら――装着者を殺していたら、その娘である少女はきっと、颯人を恨み、事情を知れば和也のことも同じく恨むのだろうかと想像する。

 いや、恨むではない。その前に、悲しむのだろう。

 娘だけではない。その家族も同じ感情を抱き、苛まれ、『普通』から遠ざけ、突き落とすのだろう。

 TelFテルフ装着者なんて仕事をしているのだから、いつ訪れてもおかしくない運命であることは間違いない。ただ、自分がその起因となるならば、そんなことに関わりたくないし、考えたくもない。

「おーい、カズヤ、いるかー?」

 村田からドア越しに声をかけられた。

 モヤモヤを抱えたまま、和也は慌てて店内へと戻った。



 その日の営業を終えてホッと息を吐いた時、

「和也君」 

 颯人からの呼びかけに、和也は顔を向けた。

 不自然な会話のなさによる気まずさから、ずっと鬱々としていたため、和也の心にまず湧いたのは嬉しさだった。

 おかしな状況だ。

 颯人はライバル企業SFT社の強化人間パワード――つまり『敵』だ。

 本来ならば、互いに命を削り合う関係のはずの二人。

 それが、今は同じ店で働き、少し会話がなかっただけで気に病んでいる。

 そう感じているのは颯人も同じようで、どこかバツが悪そうに、何かを口にしようとして言い淀み、覚悟を決めたように、言葉を継ぐ。

「ちょっと、いいかな」

「……は、はいっ」

 歓喜と緊張が入り混じって噛んでしまったが、和也は頷いた。

「あ、ハヤテさんサボりっスかー」

 店の外に出ようとする二人に、唇を尖らせるミズキだったが、

「悪い、ユキと父さんとで頼むよ」

 そう言い残し、颯人は和也を連れて路地の中へと入っていった。


「なぜ、あの時俺を助けた?」

 明かりの乏しい路地の一角で、開口一番、颯人は表情硬く尋ねた。

「別に、助けようとしたんじゃないんだ。ただ――」

 和也は躊躇いながら、運動公園での颯人とTelFテルフの戦闘、その時の感情を呼び起こしていく。

 ただ、心配だったのだ。

 颯人がいないことを、帰ってこないことを望まない人間がいることを。

 その死を悲しむ人間――村田やそこで働くホストたちを見て、知ってしまったら。

 颯人の死という結末を恐れ、敵かどうか以前に、『死んでほしくない人』と和也が認めた結果、思わず声を上げてしまったのだ。

「心配だったんだ……」

 唇を引き結ぶ和也の、沈痛な表情に、颯人の表情がより硬くなる。

「ただ、それだけだ」

 思いつめたような和也の告白、感情の吐露に、颯人はふっと一息、

「やっぱり、思った通りのバカみたいだ」

「なっ」

 一瞬にして表情が崩れた颯人と、彼の緊張からの失笑に思わず驚きのち憤慨という複雑な表情を見せる和也。

「バカってひどくないですか」

 和也はジト目で非難の声を上げるが、

「いや、褒めてるんだよ」

 颯人は実に朗らかに、笑みを向けていた。

「そんな和也君ならば、信じられる」

 明かりの減った繁華街、それでも雑居ビルのせいで狭く見える漆黒の夜空を見上げながら、

「俺に、協力してくれない?」

 颯人は言葉を継ぐ。

「どういう、ことですか……?」

 さっきまでの崩れた表情を一転させ、和也は怪訝に眉を寄せた。

「潰すんだよ、この狂った業界を」

「……え?」

 和也は思わず聞き返す。

 朗らかな表情と声音が、その内容と嚙み合わない。

「この、暴力に満ちた、SFTも、KDI、CTVも。そして、最後はMESも」

 顔は笑っているのに、口にしているのは突拍子もない、和也にとっては非現実的な妄言に聞こえてしまう。

「だからさ――」

 和也の目を、颯人の自信に満ちた目が捉えた。

「俺に、協力してくれない?」

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