第7話 敵であるはずなのに
状況は最悪だ。
目の前には強力な敵――
この場で戦うということはないだろう。ここにはまだ世間の目がある。四社間協定に従うならばこんな場所でいきなりドンパチは起きないだろうが、そんな楽観に自分の命はかけられない。
「どうした?移動するぞ」
男は
当然、この誘いに応じることは、即死に繋がる。
「いや、俺は……」
「何?まさか怖気づいたとか?」
あからさまな挑発。こんなものに乗るわけにはいかない。
「いや、俺は……」
「まさか、TelF装着できません、とか馬鹿なこと言わないだろう?」
今度は突拍子もない冗談を笑いながら口にする。
「あ、…う、いや……」
「…………え?」
明らかに変な動揺を見せる和也に、男が逆に驚いて言葉を失った。
「……まさか、マジ……?」
「…………、」
とうとう、和也は何も返せなくなった。
男は察した。これは本当に、演技でもなんでもないのだと。
「いや~マジかマジか、笑うわ~」
新宿・歌舞伎町にあるチェーンの喫茶店の中で、弓騎士の男は膝をバンバン叩きながら大笑いしていた。
お昼直前の時間帯だが、平日ということもあり、席の埋まり方は六割程度といった具合の混雑だ。その店内で、二人席の片方に爆笑中の男が、対面に和也が座っている。
なぜこんなことになったのか、和也にもわからない。
五反田から新宿まで移動して、東口からまっすぐ歌舞伎町まで歩いていき、ビルの二階へと誘導されたのだ。立場が弱いのは和也の方なので、下手に逆らうわけにもいかず、従順になった結果だった。
「ってかさ、昨日の件で謹慎食らって暇だから街に出てきたって、しかも俺と鉢合わせとか、いや~、面白いよ」
対面に座る男はかなりご満悦のようだ。散々ハラハラさせられた挙句、笑いものにされてしまった和也からすると堪ったものではないが。
「悪かったな、どうせ俺はバカだよ」
和也は視線を逸らし、周囲の客を見るでもなく店内を見回す。とても平和な光景だ。とても自分を含め、物騒な人間が二人混じっている空間とは思えない。
「まぁまぁ、拗ねるなって。ほら、コーヒー冷めるからさ」
言いながら、男は白いカップに注がれたブレンドコーヒーを口にする。和也も倣ってコーヒーを口にする。相手はブラックだが、和也は砂糖とミルク入りだ。
「もったいないね。こういうところで飲むコーヒーくらい、ブラックで飲んだら?」
「うるさいな、いいだろ別に」
もう和也の中で危機感は消え去っていた。からかわれていることがわかっているので、真剣に警戒をしていた自分に情けなさを覚えてしまう。
「どうせお前も俺の事バカにしたいんだろ。他人を助けるお人よしだなんだって」
和也は一口含んだ後に眉根を寄せ、スティックシュガーをもう一本開封した。
「ハハハ、バカにはしないよ。むしろ好感が持てるくらいだ」
男は破顔のままブラックコーヒーを啜る。
「いいじゃないか。自分の守りたいものを守ればいいし、やりたいようにやればいい。どうせ就業規則とかそういうのにも書いていない、組織内の道理の話だろう?少なくとも君個人を世間は敵視していない。最終的に非難されるとしても、それは会社の方だよ」
思わず、砂糖を入れた手が止まる。
昨日の、
「ん?どうしたよ?」
「……てっきり、否定されると思った」
この業界自体が頭がおかしい、常識からズレているのだと思っていたのに。
「いいんじゃねぇの、別に。俺だって、SFTに体預けてるわけだけど、一から十まで全部律儀に言うこと聞いてやってるわけじゃないし。誰だって譲れないものくらいあるでしょ。和也君だって、訳アリでMESにいるんじゃないの?」
言われてみれば、確かにそうだ。誰が好き好んでこんな仕事をするものか。
だって、ここで自分が戦わなければ――
(……あれ?)
そういえば、なぜ自分は戦っているのだろうか。
何か使命感があったことは覚えている。
しかし、それが何だったのかは思い出せない。
(何か、大事なことがあったはずなのに……)
「ま、いいさ。細かい事情なんか」
必死に思い出そうとする和也の表情を、他人に話したくない事情と察し、男は話題を変える。
「和也君は、今日、というか、しばらく暇だろ?」
「暇っていうか、まぁ、……暇だけど」
認めたくなかったが、今朝の数時間だけでもじっとしていることが苦痛だったので、事実を強く否定できなかった。
「じゃあさ、ちょっと手伝ってよ」
「手伝いって、俺はベルトもカードもないって――」
「あー、違う違う。そういうバトる話じゃなくってさ」
男はカップを煽って最後に残ったコーヒーを飲み干す。
「俺の、家業」
「は?家業って…」
ますますわからない。こいつはSFT社の人間ではなかったのか。それとも実家の、という意味か。
「SFTとか関係なくてさ」
和也の疑問を察して、補足される。
「俺の家の、商売だよ。給料は出すからさ」
ますますわからない。
いや、言っている意味はわかるのだが、展開のされ方というか、なんというか。つい数十分前まで「殺し合いを始めよう」的な会話をしていたはずなのに。
「あなたは――」
「ああ、そういえば、まだ名乗ってなかったね。君は業界じゃ有名人だから、勝手に知り合いのつもりでいたよ」
和也からすればこんな業界で有名になるなんて大変不本意だが、数々のSFT・KDI・CTVの相手をして全て撃破しているのは事実だ。特に先月の合同競技会では各社に強く印象付けられたようで、
「
ずっと手に持っていたカップをソーサーに置き、代わりに伝票を手に取る。
「あくまで本職はホストだよ」
「……え?」
相当間抜けな顔になっていることだろう和也の返事を待たずに、颯人は伝票を持って会計へと向かった。
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