第3話 見舞い先は、魅凪かな
五反田駅から歩いて数分の関東第一病院へ、和也は入っていく。このひと月の日課のようなものだ。
午後五時四〇分。面会時間は過ぎているが、本人は構わず目当ての病室へ向かう。
「や、元気?」
とても見舞客が病人にかける言葉ではないが、和也が気にする様子はない。
「元気って……」
雑誌を閉じてベッド脇に置きながら、ベッドの上の少女は気の強そうな切れ長の眼で和也を睨む。やや茶色がかった長い髪の高校生の少女はため息を交えて言う。
「それ、入院してる人に言うセリフじゃないでしょ」
睨む、というよりはジト目というのが正しいかもしれない。
「まぁまぁ、
丸椅子を引き出して座る和也は、調子よく見舞い相手の小坂魅凪をなだめようとするが、当の魅凪の言うことは当然と言えば当然だ。一ヶ月前、魅凪がここに世話になることになった原因――傷を負わせたのは和也自身なのだから。
「なによ、あんたがあたしのお腹を貫いたんじゃない」
「いや、だからこうしてずっと通ってるわけじゃん」
別に痴情のもつれではない。文字通り長刀で魅凪の腹を和也が貫いたことは事実だ。魅凪はSFT社の
魅凪は復讐のために戦っていたわけだが、結局は和也との距離感に悩みながらも友人以上の関係に収まっている。
「悪いとは思ってるし、魅凪をひとりにすると寂しいかと思って来てるんじゃん」
「む……」
魅凪はどこか複雑だ。
気に食わないというか、嬉しくはあるのだがそれを素直に受け入れるのは癇に障るというか。
そんな気分を誤魔化すために、魅凪はサイドテーブルに置いてあるテレビのリモコンを手に取って電源を入れる。普段テレビなど見ないが、何か音を出して気を紛らわしたかった。
『江戸川の河川敷に来ております』
夕方のニュースで特集が組まれていた。画面の中では男性アナウンサーが河川敷を歩いている。
『こちら市川側になりますが、あ、
なんでも江戸川の河口付近で
「また中国人か」
その画面を見て、和也がぼそりと呟く。
迷惑外国人という話題をよく耳にしているが、こうしてメディアに取り上げられると視覚効果というか刷り込まれるというか、余計に印象が悪くなる気がする。現に、テレビの中では『知らなかった』『なんで自分だけ注意されるのか』『他もみんなやっている』と、自分は悪くないと、殻を捨てている人たちからは開き直る発言ばかりが出てくる。そういう発言ばかりをピックアップしているのかもしれないが、悪印象をかなり強く感じてしまう。
「迷惑だよな、ホント」
「まぁね」
魅凪も頷く。
テレビはスタジオに切り替わり、コメンテーターが対策やら文化の違いなどを語り出す。魅凪のバツの悪い時間稼ぎとして点けたテレビだが、社会問題だと話題が弾まない。せめてスイーツ特集だったり可愛い動物コーナーでもやってくれればいいのだが、そうそう狙った展開にはならなかった。
「さて、と」
和也はそんな空気を察したのかただの偶然か、椅子から立ち上がった。
「また来るよ」
「はいはい」
朗らかに笑いながら、和也は病室を出る。素っ気なく返事をする魅凪だが、しょうがない風を装いながらも微かに口角が上がっている。
和也がいなくなった途端に、音が消えた。
実際は、テレビの音は流れているが、魅凪の中の
(和也のばぁか…)
和也からすればとばっちりなのだが、こればかりは魅凪の心情なのでどうしようもない。なまじほぼ毎日来るものだから、魅凪の中で存在感が大きく、いなくなったときの喪失感がより大きくなる。
「ミ~ナギさ~ん」
そこへ、
病室のスライドドアから、遠慮がちに顔を覗かせ、控えめに魅凪に呼びかけたのは、十代前半の少女だ。
「カナちゃんか。入りなよ」
「うんっ」
魅凪が入室を促すと、人懐っこい笑顔を浮かべて少女が入ってくる。肩にかかるほどのさらさらの髪を揺らしながら、先ほどまで和也が座ってた椅子に腰かけた。
「むむ…!」
途端に少女は眉根を寄せた。
「どうしたの?」
「微かな温もり…、これは、噂のミナギちゃんのカレシがさっきまで来てたね」
鋭い。探偵になれると思う(探偵の仕事がどんなものか知らないが)。
魅凪はこの二週間よく病室に顔を出す少女に少しだが感心する。
「ねぇ、ミナギさんのカレシってどんな人?」
「別に、カレシってわけじゃ……」
「違うの?毎日来てるのに?」
だが、中身はやはり年頃の少女だと思い直す。恋に恋する、というやつなのだろう。魅凪も人のことを言えないが。
「きっとミナギさんのこと好きなんだよ、その人」
「…そうかな?」
「好きじゃない人のお見舞いなんて毎日来ないよ」
「ただ気を遣われてるだけかも。怪我の責任とか感じて」
「え?DV?」
そんな言葉よく知ってるな、と別方向に感心した。
「ちょっと色々あったの。別にあたしは恨むとかそういうの全然ないんだけど、必要ないことまで背負い込んでるのよ」
「は~~、オトナの事情だね」
「そ、オトナは大変なのよ」
年の差はせいぜい三つかそこらのはずだが、そんな細かいことを気にせず、二人は笑い合う。
魅凪とこの少女――カナとの出会いは偶然だった。
二週間前、トイレの帰りに廊下でぶつかってしまい、何気ない会話が始まった。
ただそれだけの話だったのだが、カナが割と人懐っこく魅凪と距離を詰めてきたため、嫌悪するわけでもなかったのでそのまま入院仲間として毎日のように接していた。
(ほんと、いきなり距離詰めてくるのは
だから仲良くしているわけではないのだが、自分に懐いてくれる年下の少女は、まるで妹でもできたかのように感じられた。一人っ子なので余計だ。今も、丸椅子に座るカナの頭とお尻に犬の耳と尻尾が見えるくらいだ。もちろん、尻尾をブンブン振っている。
「いいよね、ミナギさんは。毎日来てくれる人がいて。わたしなんか、お兄ちゃんがぱったり来なくなっちゃうし」
「ああ、お兄ちゃんいるって言ってたもんね」
カナの身の上も既に耳にしている。両親は交通事故で他界し、社会人になったばかりの兄一人しか身寄りがないという。
父を亡くした魅凪にとって、共感しやすい境遇だったのかもしれない。魅凪の母はまだ健在だが、一、二週間に一度、短時間顔見せする程度なので、娘が心配じゃないのかと疑いたくなる。
「もう、お兄ちゃん、わたしのことどうでもよくなっちゃったのかな」
「そんなことないでしょ」
珍しくしょげているカナに、魅凪は頭を撫でる。
「こーんな可愛い妹ちゃんをほっとくわけないじゃん」
「だといいなー」
撫でられて目を細めながら、カナは遠い目をする。
(ほんと、こんないい子にこんな顔させるなんて、顔見たら蹴っ飛ばしてやる)
顔も知らないカナの薄情な兄に微かな怒りを滲ませながら、魅凪は何気なく点けっぱなしのテレビに視線を向ける。
動物ハプニングのコーナーが始まったので、二人して「かわいい」と騒ぎ、それを聞きつけた看護師に注意されて、その日の女子会はお開きになった。
病院からの帰り、駅へと向かう和也は、なんとなく遠回りしながら歩いていた。
(傷は大丈夫みたいだし、退院までもうちょっとかな…?)
当時は助からないと思っていた、魅凪の腹部を貫いた剣の一撃だったが、
少なくとも、そう見える。
もう二週間前には院内を自力で歩いていたし、傷自体はもう問題ないのだろう。
問題があるとすれば、その処遇かもしれない。
魅凪はSFT社の人間だ。勤務している、という意味ではなく、SFTの所有物、という言い方が正しい。外科的処置で人間の限界を突破した
和也には難しいことはわからないが、魅凪には幸せになってほしいと思っている。
嘗て、客船の中で対峙した、裏切り者の里平。その娘である魅凪。
少なくとも里平は娘の幸せを願い、自身の無力さを嘆いていた。そんな里平は死亡したが、直接和也が手を下したわけではない。
それでも、幾許かの責任を、和也は感じている。
(俺は……)
そうして思考に
周囲が騒がしくなる。午後六時台の五反田周辺だ。表通りではないが、会社帰りの社会人も付近を歩いており、散乱したガラス片から落下物を連想して周囲のビルを見上げている。
和也も同じように視線を上に向ける。
ビルの五階だろうか。窓ガラスが歪に割れ、その内側で取っ組み合いになっている様子が見て取れる。
「おいおい…!」
こんなもの、見て見ぬふりをするわけにいかない。
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