第2話 権力者の遊び

 そんな馬鹿みたいな会話が都内でされているのと同時刻。

 新潟県佐渡市の赤泊あかどまり港から北西三五〇キロ地点、いわゆる大和堆やまとたいと呼ばれる海域に、一隻の大型クルーザーが浮かんでいた。

 社名が印字されているわけでもなく、ただの個人所有に思えるが、その実態は違う。記録用の望遠カメラを全長二〇メートルの船体四方向に備え、二〇〇メートル先の光景を克明に捉えていた。

 対象に近づかないのには理由がある。

 巻き込まれないためだ。


「뭐야 저⁉」「도망쳐라!」

 木造の船体が、すぐ横に着弾した砲弾で揺れた。乗っている人間は急な出来事に慌てふためき、小さな船上で右往左往している。とても身ぎれいとは呼べない彼らが乗っている船は、よくこんな沖合まで出てこられたと呆れてしまうほどの、小さくボロボロの船体である。それが二隻、波に揺られている。

 それを高度五〇メートルから見下ろす人型があった。

 後方に伸びる二本のブレードが左右に一基ずつ配されたHMDヘッドマウントディスプレイとヘッドギア。背中にある身の丈程の二本の太い砲身は、脇下から前面に向けられている。

 加えて、背部からは暗緑色の前縁パーツから翼が出ているのだが、それは鳥のような羽毛ではなく、透明な緑色をした結晶体――緑のステンドグラスという印象で、縦に引き伸ばされた菱形のパーツが九つ、それらが寄り合わさって、それぞれの片翼を作り上げている。

 SIS-Y7 ティアマット。

 MESが高機動重火力制圧機として開発した最新鋭のTermination of low Fighter。その装着者である石田秀平いしだしゅうへいは、眼下で右往左往している人間を見てわらう。

 背中から伸びる砲身のひとつを、再度照準する。

 三五ミリ榴弾砲〝シャマリー〟から吐き出された装弾筒付翼安定徹甲弾A P F S D Sが、船首を撃ち抜き、船体が前後に大きく揺れる。合わせて悲鳴も上がる。

「さて、そろそろいいかね……」

 秀平は両手の短銃身ライフルを直下に構える。

 下の人間が何やら騒いでいるのが見えるが、関係ない。秀平は愉悦の表情を浮かべながら、無力な存在に向けてトリガーを引く。

 バラララララララララララララ――――――!!

 九×三五ミリ弾が直下のボロ船を、人間ごと蜂の巣にする。

 左右の突撃銃からの発砲音、木造船体の破断音、船上の悲鳴の三重奏が、大海原に奏でられる。

 攻撃は上空からの一方通行。

 それも当然だ。相手は非武装の漁船なのだから。

 やつらを蹂躙しろと、そういう要望オーダーを受けているのだから。

「こちとら何日も船の上でお預け食らってたんだ」

 安全地帯からの一方的な蹂躙に、秀平の鬱憤うっぷんが乗る。

 思い返せば一週間前、竜胆寺から「新潟出張だ。楽しんで来い」と言われ、蟹でも食べられるかな、と気楽に思っていた。だが、同行した上司から、まさかの新潟駅ではなく燕三条つばめさんじょうで新幹線下車を告げられ、電車を乗り継ぎ寺泊てらどまりへ。どこだここはと思っていると、海辺にはなんかいいかんじに海鮮系の市場やら店舗が並んでいたのでこれはこれでありか、と前向きになる。だが、当然そんな海鮮を楽しむ暇などなく、港に停泊していた大型クルーザーに放り込まれ、何時間も延々と海上を進み、やっと佐渡の赤泊あかどまりに着いたと思ったら簡単な補給を済ませてすぐに出航。そこから三日間、ずっと海上待機であった。

 クルーザーはそれなりの広さはあったがプライベートなどあってないようなもので、おまけに船長もその助手もクルーは全員男だ。秀平にはこの男だらけの密室が耐え難かった。

 その苦難の日々に終止符を打つことができる。

「じゃ、そろそろ――」

『もういいぞ』

 HMDヘッドマウントディスプレイのイヤホン越しに聞こえる上司の声に、秀平の動きが止まる。

 声の主は今もクルーザーの船内で双眼鏡片手に状況を見守る長身の上司――主査の相澤だ。引き締まった体躯はさもスポーツマンといった風体だが、TelF装着者ではない。あくまで一般会社員なのだが、秀平は相澤に頭が上がらない。

「え?でもまだ――」

 ボロ船の上には、まだうつ伏せでうめく男が数人いる。拡大ズームして見ても、最低三ケ所は撃たれている。どういう理由でこんなことをしているのかはわからないが、秀平の鬱憤うっぷんはほとんど晴れているし、どちらかというと不憫ふびんにすら思えてきたくらいだ。陸地が見えない海のど真ん中、放っておけば勝手に失血死するだろうが、ひと思いにトドメを刺すのが優しさだと思う。自分で撃っておいてなんだが。

『お客さんからの要望オーダーだ、黙って従え』

 相澤は相澤で、不承不承という色を滲ませながら命令を下す。

 日本海の荒波に呑まれそうになっているボロ船は、拳銃弾と直径だけは同じだが倍以上の重量(エネルギー)を持つ特製徹甲AP弾数十発を受けて、今にも崩壊しそうだ。元来の脆さも手伝って、揺れる度に痛々しい軋みを上げている。沈没まで、そう時間はかからないだろう。

「わかりましたけど。だいたい、誰なんですか、そんなことウチに依頼してくる客って」

 命令に従い、両腕の構えを解く。ただ眼下の阿鼻叫喚を睥睨へいげいしながら、秀平は疑問を口にする。

 MESがこんな兵器開発をしていることは、世間には知られていない。厳密には、兵器を開発していることは知られているが、市井しせいに隠れて企業間の血生臭いが行われていることは秘匿されている。

 人里離れた山中や廃工場に限った話ではない。都内の立入禁止中の運動公園、工事中のビルの一フロア、時に診察時間を過ぎた病院の駐車場など、日常と非日常の境界線は紙一重であり、意外にも身近に実施試験は行われているのだ。

 まるでその事情を全て知っている人間からの依頼というニュアンスに、秀平は口元を歪ませる。彼の嫌いな金持ちや権力者という存在が思い浮かぶ(もっとも、嫌い、というよりは羨望による嫉妬というのが正しいが)。

『いいから黙って戻ってこい、装着者モルモット

「……了解です」

 納得できないまま、秀平はクルーザーに向かって飛翔する。

 視界の端で、何を言っているかわからない言語で天を仰ぐ男たち。ティアマットの高感度センサが鮮明に拾ってくる断末魔。

(ま、俺の命じゃないしな)

 それでも「自分には関係ない」と割り切ってしまえるのが石田秀平のいいところだ。そんな精神構造でないと、こんな仕事はやっていられない。人の命などどうでもいいくらいの気概がないと、とてもではないが精神がもたないだろう。そうでないメンタルの人間が同僚に一人いるが、それこそ秀平が気にすることではない。

 ボロ船が沈んでいく。

 サメはいないだろうが、長時間海水に浸かるだけで人間は低体温症で命を落とす。ましてや重傷者だ。手負いの遭難者が日本海のど真ん中で助かる方法などない。

 秀平がクルーザーに降り立つ頃には、ボロ船は海上から消え、痕跡はいくつか上がる気泡のみ。それすらも、波に呑まれて消し去られた。




 そんな光景を、暖かな室内でワイングラス片手に眺める者がいた。

 現場から七〇〇キロ離れた都内の一等地、自宅のホームシアターでくつろぐのは六十代後半の、厳つく皺の多い男だ。ソファーに老体を預け、一二〇インチで収まるかどうかという大画面で、ボロ切れを着てボロ船の上でわめく汚い男たちを見て愉快そうに笑っている。

「へ、ざまぁみろってんだ」

 さも痛快といったふうに、男は口角を上げる。

「高い金出した甲斐があったってもんだ」

 上空でパワードスーツを纏う男が一発撃つ度に海面が唸り、船を大きく揺らす。船上で右往左往して情けない顔を晒す汚い顔を見て、ニヤニヤ顔がさらに強くなる。

 パワードスーツが二丁のライフルを向けて乱射すると、「おおっ」と前のめりに画面に寄る。画面の向こうでは船体ごと蜂の巣にされる男たちが血飛沫ちしぶきを上げている。

「人ん家の庭先EEZで迷惑かける盗人のクズどもが」

 忌々し気に、心の内を吐き捨てる。

「クズの国のクズらしく、惨たらしく死ね」

 いくら手を打っても止まらない、迷惑な国の、迷惑な国民の、迷惑な行為。

 身である男は、私財を投げうって鬱憤うっぷん晴らしを行い、その結果に満足している。決して人に聞かれてはならない暴言を吐き出しながら、嬉々として他人の苦痛と悲嘆を楽しむ。

「お、いいぞいいぞ、苦しみもがいて死ね!楽には殺さねぇぞ」

 船と共に沈んでいく異国の男たちを、スポーツ中継と同じような気分で眺めながら野次を飛ばす。

「いやー、いいモン見れたな」

 グラスのワインを一気に飲み干し、男は途端に笑顔になる。

「これで二千万か…。いい買い物だな」

 そこへ、若い男が歩み寄る。

朝生あさう先生、そろそろお時間です」

「お、もうそんな時間か」

 上機嫌に、朝生と呼ばれた男が振り返る。

「答弁書は?」

「すでに出来上がっています。移動中にでもご確認ください」

「いやだよ、酔っちまうじゃねぇか」

 今しがたワインを口にしていた者のセリフではないが、若い男は気にした様子もない。

「野党の連中には好き勝手言わしとけ。力のねえやつが大臣に逆らうんじゃねぇ、ってな」

 男はソファーから腰を上げて、防音室から出ていく。

 いつもは鬱陶しい仕事だが、今日だけは気分よく仕事ができそうだ。

 そう思いながら、早々に着替えを済ませて黒塗りの高級車に乗り込んだ。

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