第1話 MES平常運転

 四社による競技会から一ヶ月後、MES江東ビルの一室にて—――

身体検査スキャニング終了だ。お疲れさん」

 不自然なほどの真っ黒なショートカットにノンフレームの眼鏡をかけた妙齢の女性 —――MES軍需部開発部門第一開発室筆頭主査である竜胆寺巳那深りんどうじみなみが、白衣のポケットに手を突っ込んだまま振り返った。

「毎度思うんですけど、これ何の意味があるんですか?」

 彼女の声に応えたのは、同じくMES所属の松井和也まついかずやだ。如何にも利発そうな短髪と、どこか幼さを残す顔立ちの十九歳は、げんなりとした様子で竜胆寺を見やる。

「Telf《テルフ》の影響を確かめているに決まっているだろう。システムからの干渉を受けて装着者の精神は変異する。このフィードバックの影響は各機システムと装着者個人で差が出るからそいつのデータ取るんだと、君がMESここに来てから月に一度以上の頻度で説明しているがまだ聞くかこの鳥頭め」

「……すみません」

 逆に竜胆寺がげんなりとした表情を和也へと向け、向けられた当人はバツが悪そうに視線を逸らす。小難しいことが大嫌いな和也はこういうことをすぐに頭から追いやってしまう。自分の体に関わることだというのに。

「お疲れ様でした~…」

 これ以上居心地の悪い場所にいたくない和也はいそいそとこの場から去る。

「まったく、これだからバカは───」

 竜胆寺はため息をつき、

「扱いやすくていい」

 ニヤリと笑う。

「いいんですか、堂々とそんなこと口にして」

 和也と入れ替わるようにして、二十代半ばの白衣の男が入ってくる。

 如何にも人生諦めてますよと言いたげな気怠さを隠しもせず、白衣のポケットに手を突っ込んだ男はドアの側に立ったまま竜胆寺を見やる。

「なんだ武藤、打ち合わせにはまだ早いだろう」

 竜胆寺は手近な椅子にどかっと腰掛け、部下でありTelf装着者の男──武藤優樹むとうゆうきに対してスケジュールを確認する。

「えぇ、会議まではまだ三十分以上あります。早めに来たのは先にこいつのことで」

 優樹は自分の腕を顔の前に掲げ、握り拳を作る。

 何かを手にしているわけではない。見せたいのは、だ。

、設定でもいじりました?」

 自分の腕について、竜胆寺に問いかける。

 優樹の両腕は義手だ。嘗てMES内の一部署であるTDD、その室長である里平という男が競合他社であるSFTに離反。それに追従したTelF装着者との戦闘で、至近距離からの荷電粒子砲を浴びた優樹は両肩から先を消失した。

 装着している義肢は神経接続されて本人の思うがままに動き、応答速度も申し分ないので日常生活どころか戦闘にも支障がない。表面はシリコンの外装の上に有機材料の人工皮膚を被せているため、よほどしっかりと感触を確かめなければ義肢であるとは気づかないだろう。

 その義肢について、優樹は竜胆寺に相談――もとい、クレームを入れに来た。

「アクチュエータの設定どうなってるんですか?仕様だと最大一〇〇キロかそこらの握力だったはずが、どう考えてもおかしな握力になってますよ」

「ああ、競技会の後でお前が壊した腕をつけ直しただろう。新素材を試してみたんだが、どこまで耐えられるか試してみたくてな。許せ」

 わかってはいたが、竜胆寺の辞書に詫びるという言葉は載っていないらしい。

 優樹は呆れてため息をつく。

「そんなことだろうと思いました。やるならせめて本人に告知してください。危うく整備の浅沼さんの左手を粉砕骨折させるとこでしたよ」

 転んだ同僚の手を取った瞬間、「うぎゃぁっ!!」と、とんでもない悲鳴が上がったので何かと思ったら、まさかの手を押さえて悶絶である。優樹自身もかなりビビった。というか、周りの注目を浴び過ぎて居場所がなくなり、こうしてにどういうことかと問い詰めに来たのだ。

「設定変更は左だけだ。右手を変更していないのはせめてもの良心だ。感謝しろ」

「良心があるならこのピーキーな三〇〇キロ越え握力なんとかしてください。日常生活に支障をきたします」

「なんだ、武藤はナニするとき左手派か」

「(頭カチ割るぞこのマッド)」

「何か言ったか」

「頭カチ割るぞこのマッド」

「おいおい、そこは『なんでもありません』だろう。世渡り下手だな貴様」

「竜胆寺さん人のこと言えないでしょう。いいから戻してください」

「はいはい」

 大層面倒くさそうな声音で竜胆寺はスマホを取り出してなにやら弄っている。

「はい完了」

 どうやら無線接続で設定変更可能なようだ。実に呆気ない。逆に言えば、バカみたいな設定もほんの十秒かそこらでできてしまうということだ。竜胆寺マッドサイエンティストの気分次第で自分の握力がオランウータン並みになるとか怖すぎる。

 優樹は更に文句を言いたいことこの上ないわけだが、どうせ言っても無駄なことはわかっているのでこれ以上追及することをやめた。

 代わりに本業の話を始める。

「さっきの松井の身体検査スキャニング結果、出ました。システム干渉率一二.二%。もうアスリートの競技中トランス状態に毛が生えた程度ですよ、これじゃ」

 先の和也の検査結果、その詳細な数値を口にする。

 TelFで戦闘が可能なのは、このシステムからのフィードバックがあるからだ。そうでなければ、少なくとも競合他社のひとつであるSFT社の強化人間パワードとの戦闘などできない。アレは生身の人間であり、互いの『商品』をぶつけ合う共同実地試験では、刀剣や銃器で強化人間パワードを肉塊に変えているのだ。軍人だってPTSDに病む人間が多いというのに、民間人であるTelF装着者なら尚更だ。

「詳細は共有サーバに今日の日付で入れてますので、確認お願いします」

「はいはい承知っと」

「ええ、ではよろしくお願いします」

 これで用事は済んだのだが、優樹は「そういえば」と思い出し、ドアノブに伸ばしかけた手を止めた。

「そういえば、昨日から石田さん見ないですけど、何かありました?スケジューラには『新潟出張』って書いてありましたが」

 TelF装着者の主業務は共同実地試験での兵装試験である。それ以外にも自社試験場でのテストもあるが、基本は『現場仕事』だ。優樹は特例として研究職も兼ねているが、同僚装着者である石田秀平いしだしゅうへいは、和也と同じくもっぱら装着者専任だ。この前のような島嶼部とうしょぶでの競技会でもない限り、出張などほとんどない。まず前提として、その地域に競合相手がいなければならず、当然そこには別のMES装着者がいることが多い。わざわざ都内から出向く必要もない。

「ああ、ちょっと大人の事情だ」

 竜胆寺はわらいながら答える。

「実地試験以外にも、ちょっとを知っているからの、個人的な要望があってね。まぁ、なんというか、PR活動みたいなものさ」

 いまいち要領を得ない回答だったが、優樹は納得することにした。この会社がおかしいことなど、今に始まった話ではないのだから。

「今頃、日本海の大自然を楽しんでいるんじゃないか?優雅な船旅だよ」

 くすくすと笑う竜胆寺を見て、優樹は「絶対優雅じゃないな」と秀平に同情した。この筆頭主査殿がこういう言い回しをするときは、大抵面倒なことが多いのだから。

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