エピローグ  ~失ったもの~

 競技会終了から、すでに一週間が経過している。

 関東第一病院の一室で、和也はベッドに横たわる少女を見下ろしていた。

 小坂魅凪。MES造反者・里平の娘であり、和也が守りたいと想う存在。そして、これまで何人ものTelF装着者を葬ってきた狂気の騎士・ランスロットでもある。

 だが、彼女の顔からはそんな血生臭い雰囲気は感じられない。安らかな寝顔だった。

 眠っている、という表現は、厳密には正しくない。昏睡状態というのが正しいのだが、歳相応、もしくは少し幼く見える容貌が、すぐにでも目を覚ますのではないか、と思わせている。

「早く、目ぇ覚ませよな」

 言葉は少し乱暴だが、和也の顔には微笑が浮かんでいる。

 青ヶ島からヘリで離れた後、魅凪はすぐに病院に搬送された。それ以降、一度も目を覚まさないのだが、医者の話では、命に別状はないとのこと。衰弱が激しすぎることが原因の一つと言っていたが、他にも強化された身体ということも原因に挙げられている。採血やMRI等の検査も同時に進められ、詳しいことは待てとも、竜胆寺から言われた。

「俺、お前に伝えたいことがあるんだ」

 ずっと寝込んでいるくせに、顔色はよく、寝息も規則正しい。一抹の不安はあるものの、魅凪の覚醒は楽観的に予感している。

「だから、早く目を覚ませよ。今度さ、地元で祭りがあるから、一緒に、さ」

 そう言い残し、和也は退室した。

 朝一番に魅凪の顔を見に行き、いくらか語りかけてから帰る。

いつもの日課になりつつある見舞い、その一シーンであった。


「それにしても、よく続ける気になりましたね、石田さん」

 MES江東ビルの一室で、優樹は竜胆寺と昨今の事柄について会話を繰り広げていた。

「死にたくなければ来いと言ったら、青い顔して来たぞ」

 コーヒーカップを手に、竜胆寺はクスクス笑って応えている。

「で、なんて説明したんですか?」

「なに、ただ『新型を着ろ』と言っただけだ。イエスなら左手、ノーなら右手だともな」

 当時、竜胆寺は左手に情報カルテ、右手にグロック19を構えてそう告げていた。すでに秀平には選択肢なしの状態であった。

「あとは六時間の突貫訓練で最低限使えるようにしたつもりだったが、まあまあの戦果だったな」

「慣熟なしであそこまでやれるってのは、機体が素晴らしいのか、石田さんがすごいのか」

 半ば呆れながら、優樹は続ける。

「そういえば、HDCフェザーは難航していたでしょう?エネルギーの質量化と質量のエネルギー化が安定しなくて、何度も崩壊現象で実験室が吹っ飛んだじゃないですか」

「わたしの実力とひらめきの為せる業だ」

「斥力場の生成だって、最終的にはカオス理論の演算に行き詰ったはずでしたよね?HRNシステムみたいに二乗の項以降を切り捨てるやり方じゃ時間経過ごとにベクトルが――」

「わたしの実力とひらめきの為せる業だ」

「………わかりました」

 暗に「お前は知らなくてもいい」というメッセージだと受け取った優樹は、この話題を打ち切った。この超技術の裏にはどんな欠陥が潜んでいるのかと、秀平に同情する。

「それより、腕の調子はどうだ?」

「問題はありませんよ。以前よりも強度が出たみたいですね。金がかかってそうで」

「安心しろ。全部経費で落としてる」

「接続時の激痛だけは、改善されてないのが残念ですけど」

「ま、わたしはお前が涙流して泣き叫んでるところが見られて面白かったがな」

 竜胆寺が大げさに笑い、優樹は悪趣味だな、と嘆息した。

「そろそろ、行きますね」

 優樹は時計を確認し、足早に部屋を出て行く。

「おや、関東病院か?」

「ええ。松井君の彼女の見舞いにでも」


 優樹は関東第一病院の受付で、訪問者名と訪問理由を手書きしていた。

 ここでは受付を介さなければ、どこに行くこともできない。もし無許可で通過しようとしても、ガードマンがやってきて止められてしまう。面会の場合、面会相手の名前や見舞い品の有無まで書かねばならず、面倒といえば面倒なルールである。しかし、訳ありな人間が多く入院している場所なので、それも致し方ない。

 優樹はノートに必要事項を書き込み終え、ノートを受付に返そうとした。

「あ――」

 ところが、手を滑らせ、ノートを落としてしまった。バラバラとページが捲られながら、床に落ちていく。義手と神経の整合フィッティングが不十分だなと思いながら、ノートを拾い上げる。

 と、記載内容に『松井和也』『小坂魅凪』の名前を見つけ、優樹は手を止めた。

 最近は毎日来ているという話を聞いていたので、別段不思議なことではない。ただ、なんとなく目に留まったので見ていただけだ。二人の名前がセットで書かれた部分がちらほらと見える。

「あの――?」

「あ、失礼しました」

 受付の女性から不審と声をかけられ、優樹はノートを返す。

 そして、小坂魅凪の病室まで足を向け――ようとして、歩みを止めた。

(何だ?何かが引っかかる……)

 どこか、心につっかかりがあるような気がしてならない。だが、その正体がわからない。

 最近の出来事を簡単に振り返ってみる。

 競技会では、人的・物的被害がほとんどない状態で終了している。損害は優樹の右腕と、強電磁パルスにより破損したアトラスの情報カルテくらいのもので(これだけで数千万の金が飛んでいるのだが)、メサルティムには新たな課題が見つかったし、スポンサーからの印象でもTelFの素晴らしさを誇示できた。松井和也は半年前に恋人の小島榛名を失ったときと違い(本人の記憶にはないが)、関係を持っている小坂魅凪を失わずに済んでいる。組織内で窮地に立たされた(と本人は思っていた)石田秀平は、新型TelFの装着者として返り咲いている。

 世間一般から見ても、特段悲劇が起こっている様子はない。

(ガラじゃないけど、ハッピーエンドとまではいかなくても、ベターエンド、くらいには言える程度……)

 そう思って、再び足を前に出そうとするが、

(……待て)

 優樹は急いで振り返り、受付に向かった。

「見舞い客のデータベースを閲覧させてほしい」

「あの、流石に秘匿情報なので…」

「軍需部関連の話になる。被検体D303Sに関しての接触情報が必要だ」

 これはD303S――小坂魅凪に不用意な接触者の存在が疑われると言い換えられる科白だ。それを調査するのは兵器開発部ではなく運用部の仕事だが、そのあたりの関係を厳密に理解していない受付嬢は優樹の言と、提示された社員証から、データの開示をした。

 優樹は受付に据えつけられた端末を操作し、面会リストを表示し、ソートさせる。検索項目は『松井和也』だ。

 膨大なデータは、やがて十数行に減った。

 一番最近のデータは、つい二時間ほど前のものだ。相手は『小坂魅凪』。

 その一つ前は、昨日の面会開始時間直後のもので、相手は『小坂魅凪』。

 さらに一つ前は、さらに前日の面会開始時間直後。相手は『小坂魅凪』。

 競技会終了から、ずっと訪問者『松井和也』、面会先『小坂魅凪』だった。

 和也の滞在時間は三十分前後。移動時間を考えると、二十分強といったところか。

 そこから、十数秒の思考の末、優樹はぼそりと呟いた。

「何かを失わずにはいられないんだね、松井君」

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