第30話 天使の降臨

 傷口にガーゼを当て、包帯を巻く。きつめに圧迫して包帯を固定し、室内で発見したタオルケットを魅凪にかけ、和也はまずはひと段落、と息を吐いた。

 優樹に言われた通り、定期的に脈拍と体温の測定を行って、措置前とほぼ同じ数値であることを確認する。タオルケットをかけたことで、生地が上下していることから微かでも呼吸していることを視覚的に知ることができた。

 外からは銃撃の音が耳に届く。片腕を失った優樹と、使用武器に大きな制限がかかっている大介。この二人に、二〇体にも及ぶ生物兵器バイオウェポンが迫っている。厳しい戦いになるはずだ。

 何もできない自分が口惜しい。

 和也は中央演算装置であるベルトを取り出し、赤く点滅しているランプを見る。

「くそっ」

 今情報カルテを通しても、データを読み込んではくれないだろう。謂わばラジエーターの効いていない自動車と同じような状態だ。

 小さな窓から外を見る。

 アトラスがガトリングガンから銃弾をばらまき、メサルティムが弾切れになった突撃銃を投げ捨て、ポンプアクション式ショットガンを呼び出している。

 和也は自分の無力感に苛まれながら、魅凪の許へ歩み寄り、彼女の手を握ることしかできなかった。


 銃弾をばら撒き、迫り来る狼の群れを迎撃している優樹は、HMD内の表示にいくらか意識を割いていた。

電子崩壊炉エレクトロンディケイダーの出力が落ちてきている……。相転移限界が近いか……)

 稼働限界時間が刻一刻と迫っていた。

 原因は二つ。ひとつはアトラス装着時間が長すぎることだ。コンデンサーカートリッジの電磁パルスのせいで、手持ちの情報カルテは全てその機能が死んでいる。そのため、一度装着を解除してしまうと、新しいカルテを手に入れない限り再装着できなくなっているのだった。ガラハッド戦からこれまでずっとTelF展開状態なので、その分電力を大きく使っていた。

 もうひとつは、ガトリングガンの使用だ。アトラスは大きなTelFであるが、携行できる弾薬には限度がある。特に連射能力を求められた左腕装備の四砲身ガトリングガンは、内蔵数だけではものの数秒で全弾撃ち尽くしてしまう。だから、このガトリングガンは転送給弾方式、つまりHRNシステムを応用した補給システムを採用しているのだ。ただし、物質の転送には一定量の電力を消費する。つまり、アトラスは電力を消費して実弾を発射しているのである。

 今アトラスに残されている武装は角とガトリングガンのみ。その状況下でガトリングガンの利用頻度が上がるということは、即ち機体電力の大きな消費を意味するのだ。

 これまで優樹が始末した生物兵器バイオウェポンは、狼3頭だけだ。大介と合わせても、まだ三分の一程度しか倒していない。

(まずい、よな……)

 心中で愚痴を零しながら、ドラミングして突進してくる、スパイクを各所に生やしたゴリラに意識を向けた。

 ウイングスラスター展開。背部ブースター点火。一気に距離を詰める。

 ゴリラが岩をも砕きそうな拳を振り上げるが、それよりも早く、アトラスの角――赤熱した炎熱衝角〝ウルカヌスⅡ〟が激突の勢いをもってゴリラの胸部を貫いた。

 瞬時に角を引き抜き、絶命したゴリラを蹴り飛ばす。瞬時に振り返ると、眼前には口を開けた狼が飛び掛ってきていた。

「ちぃっ」

 優樹は瞬時に左腕を振るい、ガトリングガンを照準する。

 狼は自分に向けられた銃身に喰いついた。フレームが軋んでいる。どれだけ顎の力が強いのだろうか。

 構わず、優樹はガトリングガンを起動した。砲身がモーターにより回転する。

 その瞬間、噛み付かれたことで銃身が歪んだのか、発射と同時に爆発が起り、狼の頭部が吹っ飛んだ。果たして、ガトリングガン全基も無惨に歪み、使用不能になった。

 更に、ピピピ、という電子音が耳に届く。

「いったい、なんだって――」

 優樹は言葉を詰まらせた。

 動体反応多数、感有り。距離約六〇〇メートル、方位○三○、数一〇以上。距離約六〇〇メートル、方位二○○、数一〇以上。

 アトラスの貧弱な電子機器でも感知できるほどの、荒々しい猛獣の行軍が迫っているという凶報が齎されたのだ。

 複数確認された、コンテナの落下音。確認できただけで三つの轟音がしたが、つまり現状の二倍の戦力が、増援として到来しようとしているということだ。

「いよいよ、まずくなってきたな……」

 そう優樹が呟いていたころ、大介も窮地に陥っていた。

(ちっ……)

 現在大介が使用できるのは、通常口径の銃器や刀剣だけだ。しかも、一度に複数の兵装を喚び出すことができない。リミットリリースの影響により、メサルティムの機能の半分近くが死んでいるのである。更に、脳に過負荷がかかっていたせいか、恒常的な頭痛と不定期に陥る意識の混濁という、戦場において致命的な症状が現れているのだ。

 それでも飛び掛る狼をショットガンで撃ち落し、口内に剣を突き立てるなどして対処しているのだが、これはほぼ無意識下の反射行動と言っても過言ではない。

 メサルティムの本領は、複数の兵装を流動的に運用し、随時適切な攻撃を間断なく繰り出すことにある。そこに、通常歩兵では運用しづらい大口径弾を始めとした重量武装を、TelFという強化外骨格によって使用できるというメリットが加わる。

 だが、今のメサルティムは同時に複数の兵装を喚び出すことができず、強力な火器を喚び出すこともできない。これでは、大介は目のいい兵士程度の価値しかない。

(次の武器……ああくそっ、検索が…!)

 おまけに兵装を選択するにも余計に時間がかかっていた。CPU演算能力の低下と、大介自身の疲弊が原因である。

 これまで、場当たり的に兵装を喚び出しては対処してきたが、全て後手後手だ。対処が一呼吸ずつ遅れてずれていき、いつ喉笛を食い千切られてもおかしくない。

 目前には、今にも飛び掛ってきそうな狼が2頭。更にその奥からは、鋭利な角を持つさいが、猛突進を開始している。

 大介は弾切れになったM4A2アサルトカービンを投げ捨て、兵装リストの中から手ごろな突撃銃を選択する。

 が、しかし。

『ERROR』

(あ……)

 HMDに表示された無慈悲な赤文字が、大介の脳裏に『死』の文字を浮かばせる。

 兵装の選択を間違えた。たった一行のズレ。選択しようとしたのはSIG 550。対して、実際に選択してしまったのは一つ下に表示されていたOSV-96。片や5.56ミリ弾を使用するアサルトライフル、片や12.7ミリ弾を使用する対物ライフルである。スロット数は、ギリギリ2スロット。今は演算能力不足で喚び出すことのできない武器だった。しかも、そのエラーのせいで、システムが一時的にフリーズし、兵装選択シークエンスが硬直した。

 既に、狼は地を蹴り、大介の眼前に迫っていた。その距離、一メートル。コンマ数秒後には、二頭の狼に喰いつかれていることだろう。止めとばかりに、犀による蹂躙が待ち受けるはずだ。

(終わったな…)

 大介は死を明確に悟った。

 伏せろ!

 そんな声が、どこからか聞こえた。恐らく優樹だろうが、その言葉には、すでに意味はない。兵装再選択は、まだできない。いつできるかもわからない。しかし、仮に飛び掛る狼をやり過ごしたところで、数秒後にはその狼たちの切り返しによって、同じ結果が齎されるはずなのだ。

 だから、諦めた。

 自分は殺す側と殺される側、両方に足をつけている。決して一方的な存在ではない。

 それを、大介はこれまでの戦場生活で学んでいた。だからこそ、今自分は「奪われる」と、理性が認めていた。

(祈る神でも決めておけばよかったな……。バカバカしい)

 そんな、最後に思い浮かんだ思考に、自身で失笑を漏らす。

 神など信じてこなかった。グノーシス主義ではないが、いるとするならば、神なんてものはとんだイカレ野郎に違いない。でなければ、こんな混沌の世界など存在しないはずだ。

(やっぱり、神なんていない。いるんなら、寧ろお前は悪魔だろう)

 死に際に改めて、大介は心いっぱいに、神を罵倒した。

 このとき、大介は気付いていなかった。

 なぜ、優樹はわざわざ伏せろ、などと口にしたのか。

 そして、この獣たちの宴とも呼べそうな戦場に迫る影が、メサルティムの自動全周囲探査に感知されていることを。

 ドン――ドン――!!

   ビチャ――ベチャ――!!

 だから、いきなり目の前の狼が頭部を破裂させ、飛び上がった勢いのまま鋼の胴体で体当たりするだけになった理由も、

ドゴゥン――ドゴゥン――!!

  ドゥバジャン――ベギゴン――!!

 犀の巨体が胴体を失って血肉をばら撒いている理由も、わからなかった。

 神の悪戯か。

 違う。神はこんな風に手を下さない。これは人間の仕業だ。

 だとすれば――

「あれ、は……」

 天から、天使が舞い降りた。

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