第29話 延長戦
和也は呆然と、腹を貫かれた漆黒の騎士を見下ろしていた。
『System overflow. Forcibly release.(システムオーバーフロー。強制解除)』
制限時間を経過し、強制解除されたゼロ。しかし、和也は息を荒くしながら、警戒心を解くことなくランスロットを観察し続けた。
「やった……?」
ランスロットは動かない。これまで野獣のように獰猛な攻撃を繰り返してきた騎士は、その狂気を衰えさせ、ただ地に臥すだけだ。黒いオーラも消えている。その結果、細かい傷が大量に刻まれた甲冑表面が明らかになった。歴戦の勇士を思わせる外装だが、勇猛さを象徴する棺桶を連想させた。
「やった、んだよ…な……?」
ホラー映画のように、いきなり立ち上がって襲い掛かってくるんじゃないか。背を見せた瞬間、あの黒剣が背中に突き刺さるんじゃないか。そんな不安が鎌首をもたげるが、それも杞憂となった。
墓標のように騎士の腹に刺さった黒剣は、その表面を粒子化させ、霧散した。
そして、甲冑にも同じ現象が起きる。
紺色の甲冑は、大量の粒子を立ち上らせながら、次第に中身を露出させていく。
所々に肌色が見え隠れする。意外と細い腕や肌理の細かい肌が、狂戦士の印象を狂わせている。腰は細く、しかしその下は丸みを帯び、なだらかな曲線美を見せている。逆に上にいくにつれ、曲線は大きく盛り上がり、豊満なバストが現れた。
「……っ」
和也は息を詰まらせた。
それは、甲冑の下が女であったこと―――ではない。
全裸の女と腹にある大きな裂傷、そこから流れる鮮血のコラボレーションに嫌な鳥肌が立った―――わけでもない。
兜の部分が消え、中から現れた肩までかかるであろう髪、その容貌を見た瞬間、
「う…そ、だろ……」
息を詰まらせるだけでなく、絶望を感じていた。
悔恨。なぜ気付かなかった?
「なん、で……」
侮蔑。なんで俺は気付かなかった?
「くっ……そぉ……!」
焦燥。どうして、俺はこんなことを……?
複数の感情が脳内で渦巻き、いくつもの思考が浮かんでは沈みを繰り返す。自分が今何を見て、何を感じ、何をしようとしているのか。
何をすべきか、それがまったくわからない。
だから、兜から現れたランスロットの素顔を見て、肢体を一通り見回し、また顔を見て、眼前の事実を思い知らされる。
だが、納得できない。なんでこんなことになっているのか。
なぜ、彼女がこんなところで、こんな姿でいるのか。
「なんで、だよ……、魅凪……」
よろめくように、一歩を踏み出す。
「なんで、魅凪がこんなところにいるんだよ……」
この競技会が終わったら、告白すると息巻いていた。好きだと告げようとしていた相手。気が強くて、でも時折すごく『少女』を見せる、目を離せない存在。それを指摘して怒らせた姿にすら、魅力を感じていた。
そんな、和也が愛する小坂魅凪が今、ぬるい南風に裸体を撫でられ、腹に大きな傷を負って倒れ、命の灯を消そうとしている。
「魅凪……」
少女の顔は、びっしょりと濡れている。汗なのか、涙なのか。それとも涎なのか。顔に張り付く髪の毛が、痛々しく映る。目が閉じられているのが、見た目の印象としては救いだった。さっきまで見せていたランスロットの狂気。それを魅凪が発している姿など見たくもないし、想像できなかったからだ。
「み……な、ぎ…………」
魅凪の前で膝をつき、和也は頭を垂れるように、顔を覗き込む。
何を思って、彼女は戦ってきたのか。何が、彼女をここまで駆り立てたのか。
わかっている。里平だ。彼の死が、彼女をここまで追い詰めたのだ。
魅凪はゼロが和也だと知っていたのだろうか。
わからない。それ以前に、関係ない。
「みなぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ―――――――――――!!!!」
松井和也が小坂魅凪を殺した。その事実が変わることはないのだから。
和也の悲痛な叫びは優樹と大介を呼ぶ
赤い装甲を纏う巨人と、暗色の軽装甲の二人は、裸の少女を前に泣き喚く和也を発見し、近づいていく。
「そいつが、ランスロット…?」
だるそうに、右手で頭を押さえながら大介が口にすると、和也は「……はい」と蚊の鳴くような声を返す。
「小坂、魅凪……」
くぐもった優樹の声が、地に臥す少女の名を紡ぐ。
「やっぱり、か…」
続いた言葉に、和也が反応し、
「――武藤さん」
鬼面を向けた。
「知ってたんですか。魅凪のこと」
それはとても静かで、怒りを押し留めつつも漏れ出しているような声音だった。
「だとしたら?」
対して、優樹は相変わらず静かな反応だった。
「知ってて、俺と魅凪を戦わせたんですか?」
『向き不向きがある』と、適材適所を理由にランスロットと対峙させたのは、紛れもない優樹だ。もしランスロットの正体が魅凪だとわかっていたならば、それはつまり魅凪に対する和也の気持ちを知った上で、二人を戦わせた――殺し合わせたことになる。
「最も高い可能性、そういう位置付けだ」
遠回しな言い方をするな。和也は内心で憤激しつつ、努めて感情を抑えるように続ける。
「そんなに見物でしたか?好きな女の子をこの手で殺した男の喚き声は…!」
「確かに、これを見ているスポンサーは喜んだかもね」
「――っ!!」
和也は怒りに任せ、優樹――アトラスに掴みかかる。
しかし、そこは生身とTelFの違いが如実に現れ、逆に腕を捻り上げられる形になった。
「なんで、なんでいつも武藤さんは……」
和也は腕を捻り上げられて宙吊りになりながら、視線だけはアトラスの頭部、その奥にあるはずの、感情のない顔を睨んだ。
「いつも、そんな風に……」
涙を浮かべながら、歯を食いしばり、呻く。
「平気な顔して、人を嘲うんですか…!」
相変わらず、それに対する回答は簡潔かつ明瞭で、
「嘲っているつもりはない。ただの事実関係の提示だ。他意はない」
ただ淡々とした調子が返ってくるのみだ。
「そうやって、莫迦にしてるって言ってるんだ!」
和也の激昂は、しかし優樹には届かない。
ウゥゥゥゥ~~~~~~~~~~~~~
その緊迫した状況の中、サイレンの音が鳴り響いた。
『只今を、もちまして、競技会を、終了、いたします』
開会の時と同様の、無感情で平坦な声が、凄惨な舞台の終了を告げた。
それを受け、和也はアトラスの手から開放されたが、睨むことはやめなかった。
そんな和也の様子に、優樹はひとつ溜息を吐き、
「そんなことより、やるべきことがあるんじゃないの?」
あたかも呆れた様子で告げた。
「……どういうことですか」
和也は思わせぶりな態度に不満を覚えながらも、渋々言葉を返す。
「止血とか、体の保温とか」
「………え?」
何を言っているのか、和也には理解できなかった。
「小坂魅凪、死なせたくないんじゃないの?」
その言葉で、和也はようやく優樹の意図を理解し、倒れている魅凪に駆け寄った。
彼女の胸に耳を押し付ける。
「やわらか……じゃないっ!かなり弱いけど、心臓、動いてる!?」
一瞬乳房の感触に我を忘れたが、微かな鼓動を確認できた。心拍数にして、二〇前後程度であるが、動いていることに変わりはない。呼吸も、ほんの微かではあるものの、弱々しくも行っている。
「えーっと、あっと、し、心臓マーッサージ――」
「落ち着け莫迦」
慌てて心臓マッサージをしようとする和也を、優樹は制止した。
「小坂魅凪は限りなく仮死状態に近い形で命を繋いでいると考えられる。今は最低限の酸素を、脳を始めとした主要臓器に供給している状態だろう。下手に外的刺激を与えるのは得策じゃない。それ以前に、微細動の確認や心拍数の確認を怠って変な措置をするな。お前の間違った応急処置で、彼女を殺すことになるぞ」
まずは止血と保温だと、優樹はとある一点を指差した。それは、古びた平屋だった。
「民家……、救急箱とか、毛布とか、ですか?」
「ああ。一時間もすれば、迎えが来る。それまでに適切な処置をして、後は強化人間の生命力ってやつを頼りにするしかない」
和也は着ているシャツを脱いで、魅凪の背中と腹に押し付けた。すぐに血が滲むものの、傷口を圧迫しながら抱え上げた。衛生面が気にかかったが、それを配慮する物的・精神的余裕はない。地面に寝かせるよりはいいだろうとの判断だ。
簡素な造りであるものの、中は意外にも衛生的だった。生活臭が残っている。
和也は優樹から指示を受け、こなしていく。
布団を敷いて、魅凪を寝かせる。水道水の確認。救急箱を探し当て、ガーゼと消毒液、包帯を取り出し、タンスからはバスタオルを引っ張り出した。
「――――説明は以上だ。一人でやれるな?」
「はい。っていうか、手伝ってくださいよ、非常時なんだから」
延々と応急処置方法を告げる優樹に、和也は本音を漏らす。それは、さっきから壁に寄りかかっている大介に対しても同じだった。
優樹は片腕を失っていて不便かもしれないが、何かの確認や軽いものの運搬くらいはできるだろう。大介だって、口数少なく、時折思い出したように周囲を見回しているだけだ。だいたい、どうして二人はまだTelF装着状態でいるのだろうか。
「彼女は、君に任せた。俺にはまだ、仕事が残ってるからね」
「……来た」
優樹が外を見ながら告げ、大介は億劫そうに壁から背を離した。
「来たって、…………ヘリ?」
バラバラバラバラと、微かだが音がする。
ヘリコプターのローター、そのフェザリング音だ。
「このターボシャフトエンジン……、それに、この感じはタンデムローターか…」
「恐らく、全部で三機以上……」
大介は呟き、それに優樹も続く。
「迎え、ですか?それにしては早いような……」
和也が暢気に語っていると、優樹と大介は揃って外へ飛び出した。
慌てて和也も外に出ると、
ドォォォォォォォォン――――――――――――――!!
ダダァァァァァァァァァァァン――――――――――――――!!
バガァァァァァァァァァァァァン――――――――――――――!!
次々と響く轟音。そして、少しずつ小さくなっていく、ヘリのローター音。
「松井、ゼロは?」
唐突な優樹からの問いに、和也は一呼吸遅れ、「……強制解除されましたけど」と答えた。
「やっぱりね。近藤さん、メサルティムは?」
「二スロット以上の兵装が呼び出せない。リミットリリースの弊害だろう。本当なら、横になって休みたいくらいだ」
「俺も、パルスでカルテがやられてます。肩は弾切れで、衝角と
それぞれの機体ステータスを確認し、優樹と大介はセルフチェックに入る。
「どういうことですか」
未だ状況がわからず、優樹たちの行動の意味もわからない和也は、
「さっきの音、なんだかわかるか?」
「え…?」
優樹の問いかけに、不安を覚えた。
その不安そうな顔を見つつ、優樹は告げる。
「
「え…?」
言っている意味が、わからなかった。
CTVは兵器部門において、
通常、
それが、今行われているというのである。
「なっ…だって、もう競技会は終了しているんでしょう!?」
そう、さっきアナウンスしたではないか。競技会は終了したと。三日間の予定が二四時間にも満たない短時間で終わったことで、スケジュールが狂ったとか、そういった問題があるならば、まだわかる。しかし、ここに来て新たな戦力の投下?そもそも、外部からの補給はルール違反ではなかたのか。
「ああ、競技会、はね」
意味深に、優樹は告げた。
「だから、今から『通常営業』に戻るんだろう。この青ヶ島で。現地共同実地試験をな」
和也は言葉を失った。
優樹が言ったことは詭弁だ。つまり、CTVは勝者であるMESのTelFを、疲弊している今というタイミングを狙って殲滅しようとしているということではないか。
「あいつらは『スポンサー』の評価とか、気にしてないんですか?こんなことしたら評価が下がって――」
「競技終了に伴ってもうカメラが止まってるか、もしくはエンディングセレモニー代わりにされたか。どちらにしろ、それを考える意味はない」
来るぞ、と大介の声を受け、三人が視線を合わせ、彼方を見やる。
一〇〇メートルほど先だろうか。無数の黒いものがこちらに迫りつつあった。
「
その数、二〇。対して、損傷しているTelFが二機。普段なら問題ないはずの数だが、疲弊しきった二人で相手をするにはあまりに酷な戦力比であった。
「松井君は、中で小坂魅凪を看ていろ。TelFが出せないならば戦力にならない」
「で、でも…!」
「問題ない。これも想定内だ」
優樹は和也を宅内に押し込み、戸を閉めた。
「想定内、ねぇ」
大介は溜息を吐きつつ、隣の赤い巨体を横目に言う。
「それって、こんな状況下でも策があるって意味なのか。それとも、ただこの状況下に置かれることがわかっていただけなのか……」
「半々、かな」
先ほどまでと違い、曖昧な返事だった。
「ここまで事態が予想できたのなら、MESも追加戦力の投入するのが妥当だと思うが?」
「ええ、それが問題なんですよ。間に合えばいいな、とは思ってますが」
「到着が、か?」
「いえ。開発が」
ここに来て、また試作機、もしくは実験機かと、今度は心中で大きな溜息を吐いた。
「……商魂逞しいね。涙が出そうだ」
「民間なんて、そんなもんですよ、近藤さん」
二人が会話している間に、
装甲化された狼や、全身にスパイクを装備したゴリラ。全長十メートルに及ぶ、金属の鱗に覆われた大蛇。鋭利な巨剣を思わせる角を持つサイなどなど。
「あれって、ワシントン条約とかに抵触しないんんですかね?」
「さぁね。売れそうな皮とか角なんかはないみたいだし、興味もないな」
こんな状況下でも、どこか二人は余裕そうに見える。ただ見えるだけで、本当は心中穏やかではないのだが、パニックを起こすほど、二人の精神構造は正常ではないのも事実。
「これって、追加報酬とかもらえないのかね」
アサルトライフルを呼び出し、構える大介。
「竜胆寺筆頭主査を通して、上に
四砲身ガトリングガンを翳す優樹。
「じゃ、そのためにも」
「お仕事お仕事」
五〇メートル先の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます