第15話 芽生え

 小坂魅凪は揺り籠に揺られるような心地で、夢現の状態にあった。

(ああ、何やってるんだっけ、あたし……)

 記憶が曖昧になっている。落ち着いて順序だてて考える。

 ネットで知り合った、顔も知らない男たちに同乗し、人気のない河川敷まで来て、服を剥かれ、裸体を晒し――

(そっか……、男共に汚されて、お母さんと同じになったんだ……)

 意外と澄ました回想に、自分でも驚く。

 別に吹っ切っているわけでも、悟っているわけでもない。

 これは、ただの諦念だ。虚脱した精神が、思考の無意味さを知らしめているに過ぎない。

 母親への嫌悪を抱きながらも、その中に渦巻く自責と後悔の念に気付かないまま、魅凪は一定のリズムの揺れに幾許いくばくかの心地よさを感じていた。

 ゆっくりと目を開けてみる。

 暗い。そして、どこか不安定に思える体勢だった。

「あ、気付いた?」

 若い男の声だった。その顔は、おぼろにだが覚えている。

 しかし、魅凪は彼の名前を知らない。

 松井和也という名前を。


 和也はワンボックスの中から魅凪を助け出し、五メートルほど離れた場所に停めてあるバイクまで運んでいた。

 正直目のやり場に困っていたのだが、最低限の衣服の乱れを整えた上での行動だった。

 魅凪が薄っすらと目を開けた。

「あ、気付いた?」

 和也は彼女の顔を覗き込むように声をかけた。

 なにせ、体勢がざらに言う『お姫様抱っこ』というやつだ。自然とそうなってしまう。

 その事実に気付いた魅凪は、

「な、なにして――」

「あ、暴れんなっ」

 じたばた暴れ、和也が姿勢を崩すまいと粘る。すぐに魅凪を下ろしたが、彼女はすぐさま飛び退き、和也を警戒する。

 と、そこで魅凪は自分の格好に気付く。

 ボタンを引き千切られたワイシャツに、皺だらけの上着とスカート。大いに乱れた服装に、思わず己が身を抱えた。

「何があった、なんて聞かないけどさ…」

 その様子を見た和也は、バイクに跨った。

「もうだいぶ暗くなったし、送ってくよ」

 予備のヘルメットを、魅凪に差し出した。

「ねぇ――」

 魅凪はヘルメットを見て、ワンボックスを振り返る。中から男たちが出てくる様子はない。

「もしかして、あんた――」

「あんまり、危ないことすんなよ」

 機先を制し、和也は告げる。

「とりあえず、自由が丘の駅でいい?」

「…………ん」

 魅凪はヘルメットを被り、異様に大きなバイクに跨った。躊躇いがちに、和也の背中に手を回す。

「しっかり掴まってて」

 そう言われ、思い切って和也の背中に密着し、腰に手を回した。

 ゆっくりと、バイクが走り出していく。


 環八通りを北上する大型バイクは、夜闇を切り裂くように颯爽と走っている。

和也の背に体を密着させ、後部シートに座る魅凪はヘルメット越しに顔を埋めた。

 今体を預けている男。そこから感じる温もりは、不思議と心地よい。ワンボックスの男たちから触られたときはあんなにも不快だったのに。

 これまでも、親切に声をかけてくれた人はいた。

 でも、手を差し伸べてくれた人はほとんどいない。

――「あんまり、危ないことするなよ」

 『コイツ』は、助けてくれた。実際に、手を差し伸べてくれた。

(案外、いいやつかな……)

 外見からは想像していなかった、がっしりとした体躯に感心しつつ、魅凪は体を預けた。


 和也は頭の中に地図を描きながら、夜の国道を走っているのだが、

(背中の感触が……)

 少女の体が密着しているため、いろいろと気になる。気が散ってしょうがない。

 互いに無言だが、まるで温もりを交換して会話をしているような錯覚に陥る。

(女の子に密着されるなんて、からな……)

 そんな嬉し恥ずかしな状態を一五分ほど続けていると、背中の魅凪が腰に回した腕で腹を軽く叩いた。

「ここ」

 バイクを停めると、そこには大きなマンションがあった。

 魅凪はバイクから降りてヘルメットを返す。ヘルメットを受け取る代わりに、和也はメモを渡した。

「なに?」

 そこには、電話番号とメールアドレスが書かれていた。和也の携帯電話のものだ。

「なにかあったら、かけなよ」

 そう告げた矢先、魅凪はそのメモを破り捨てた。

「あ、ちょ――」

 和也、かなりショックである。

 が、魅凪は自身の携帯電話を取り出し、いくつかの操作をした後に突き出した。

「ライン」

 やや目を逸らしながら、ぼそりと呟く。

「いちいち入れるのが面倒だし」

 和也はポカンとしながらも、すぐに自身の携帯電話を取り出し、互いの番号を交換し合った。

「松井……和也……」

 登録された名前を、少女の声が紡ぐ。

 その様子を間近で見ていた和也は気恥ずかしさを感じ、同じように視線を外した。

 沈黙が訪れた。互いに何を語ればいいのかわからずにいる状態だ。

「あの、さ……」

 躊躇いながら、魅凪は呟く。

「一応……、ありがと。助かった……」

「あ……、うん」

 短い会話があっても、すぐに途切れてしまう。さっきまで余裕綽々だったはずの和也だったが、魅凪の緊張やら躊躇いやらが移ってしまったようだった。

「じゃ、じゃあ、また」

 和也はこの場の空気に戸惑いながら、逃げるようにバイクを走らせた。

「松井…和也…、か……」

 その後ろ姿を見送りながら、再び魅凪の唇は名前を紡いだ。


(なんでこんなに緊張してるんだよ俺)

 和也はバイクを走らせながら、先ほどまでの魅凪との遣り取りを思い起こしていた。

(まさか、ホレた?)

 そんな態度を取ってしまった自分を、そう評価した。

 いや、それだけならいい。

(それとも、同情とか罪滅ぼしとか、そういう感情の類なのか…?)

 里平の娘。

 優樹から告げられた言葉の意味を反芻しながら、和也は考えた。

 直接手を下したわけではないが、里平が死んだのは、和也を含めたMESの作戦が原因の一つであることは間違いない。事実、一歩間違えば、殺していたのは和也かもしれなかった。現に、里平に銃口を向けたこともあったのだから。

――どこかで見たことがある。

 当たり前だ。半年前に船内で見た、里平一家の写真。その中に、今よりも幼い魅凪が写っていた。

――なぜか気になる。

 当たり前だ。少なくとも、和也は里平の死に自責の念を抱いている。里平を許しているわけではないが、彼の死によって魅凪に悪影響が出ているとするならば、それは和也のせいであり、償わなければならないことなのだ。

 しかし、同時にそんな義務感だけで彼女に接したいとも思わない。

 上から見下ろすのではなく、横に立って向き合いたい。

 和也はそう願っている。

 そして、和也は気付いていない。

 その気持ちを要約すれば、小坂魅凪のことが好きだということに。


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