第11話 落ちた海獣

 同時刻――

「うぅ、っあぁ……」

 石田秀平は呻いていた。

 別に苦痛に耐えているわけではない。敢えて何に耐えているかといえば、快楽の波に流されすぎないように耐えている、というべきか。

 地下鉄三ノ輪駅近くのソープランドである。

 秀平にとって月に一度の楽しみであり、心の洗濯場でもあった。

 マットに仰向けになり、ローションに塗れた秀平の上には、もちろんのこと裸体を擦り付ける女性がいる。栗色の髪をした、秀平と同年代の女性で、秀平の体に押し当てることで背中のラインから飛び出るほどの巨乳をアピールしている。先月から入った新人らしいが、手つきもよく、『潜望鏡』も完璧だった。数々の風俗を制覇してきた秀平が『完璧』というのだから、相当なものだ。妖艶な雰囲気を醸し出し、一言一言が甘美な響きを齎してくれる。それに、この行為自体を楽しんでいるように見えた。

「へぇ、あのMTTにお勤めなんですか」

 行為を終えた後、女性は秀平との雑談に付き合っていた。適当な世間話だったが、秀平は自分の勤務先を聞いて感心している女性の様子を見て、優越感に浸っていた。MTTといえば、国内で誰もが知っている大企業だ。特に最近「上手くいっていない」と思っている秀平にとって、羨望や憧憬の類は渇望の対象なのであった。

「お勤めはどちらに?」

「江東の南の方ですよ」

「ちなみに、どういったお仕事を?」

「軍需関係、かな」

 そういった言葉の遣り取りの後、女性は付け足す。

「ターミネーションオブローファイター」

「え?」

「テルフっていうんでしょ?あれの試験をしてるんじゃないんですか?」

 違ったらごめんなさい。女性は秀平の顔を覗き込むように微笑んだ。

「なんで、それを……?」

 実地試験の内容が大っぴらに外部に漏れているとは思えない。TelF自体は自衛隊や米軍にも第一世代型が配備されており、一部はレスキューにも使用されている。よって、TelFを知っているからといって、企業の暗部までを知っているとは言えない。

 はずなのだが――。

 驚愕の表情を浮かべる秀平へ、確信を得たと言わんばかりに女性は口角を上げ、

「殺し合いでもいかが?」

 雰囲気も話し方も変わった。まるでお茶に誘うように、命の遣り取りを口にする。

 気付くと、女性の手には二メートルの槍を握っていた。見覚えのある槍だ。

「パーシヴァル……!」

「あら、ご存知?石田秀平さん」

 秀平は反射的に手荷物の入った籠へと飛び掛り、上着の中からベルトとカードを取り出した。

「そんなに焦らなくても、ここで殺そうなんて思わないから安心しなさい」

 女性――パーシヴァルは笑いながら告げた。

「ちょっと、場所変えましょうか」


 二人はタクシーに乗って南東へと移動していた。

「わたしはね、性交では感じられないのよ」

 パーシヴァルは後部座席の背もたれに体を預けながら、隣の秀平へと語る。

「SFTにいながらソープにいるのも、もしかしたら感じさせてくれる男がいるかも、なんて莫迦みたいなことを考えたから。尤も、まったくの無駄に終わりそうだし、そう思ってたけどね」

「何が目的だ?」

「単純よ」

 訝しげな表情の秀平に、パーシヴァルは微笑む。

「戦いなさい。そして、わたしを感じさせて」

「わけがわからない」

「あなたと体を重ねても、何も感じなかった。だから――」

 自身の股間に指を這わせながら、パーシヴァルは続ける。

「あなたと殺し合いをすることで、快楽を感じたいの」

 戦闘で性的快楽を得る。それがパーシヴァルを名乗る女の体質であり、欲求だった。

「ゼロとの戦いはよかったわ。奥がきゅって締まるカンジ。呼吸は荒くなる一方だし、ビンビンに起って、ダラダラ垂れてしょうがなかった」

 愉悦の表情を隠そうともしない。ただ、そのときの感想を思い出しながら語っている。

「あなたは、エクスタシーを与えてくれるのかしら?」

 最後は、妖艶から鋭利な視線へと変わった。

 隅田川の河川敷で、タクシーは停まった。パーシヴァルが一万円札を渡すと、運転手は空気を察してか、逃げるように去っていった。

「さて、ここならいいかしら?」

 パーシヴァルはすでに甲冑を身に纏い、右手に長槍レーヴァテインを握っている。

「ターンアップ」

 秀平はベルトを巻き、カードをスラッシュ。緑色の装甲を身に纏う。

 秀平が装着するSIS-2 ケイトスは、背中に二門の小口径榴弾砲、肩には二連装マイクロミサイルポッド、手持ちとして一六.七ミリ狙撃ライフルを装備している。つまり、中・遠距離支援仕様機であり、直接の戦闘には向いていない。

それに対してパーシヴァルは炎熱の槍レーヴァテインと、投擲用短槍ミスティルテインを装備している。近・中距離格闘型といったところだ。

 一番槍パーシヴァル支援砲撃ケイトス。本来ならば直接戦闘してはならず、現在の互いの距離である十メートルはあまりに近すぎる。

(この距離にならないために榴弾砲ディフダ狙撃銃メデューサで面制圧しなきゃならないってのに……!)

 唯一の中・近距離兵装として、二連装カービンライフル『C8―7SA1ルイテン』がある。上下コの字にくっつけた、短銃身化しただけのM4カービンなのだが、これは攻撃力不足が否めない。装弾されているのは五.五六ミリNATO弾。装甲化されている強化人間パワードに対しては心許ない。

 と、ここまで考えて秀平は大きく首を振る。

(気圧されるな。弱気になったら確実に負ける…!)

 もっと建設的に考えるべきだと、自身を叱咤する。

 ケイトスにあってパーシヴァルに無いものは何だ?それは射撃・砲撃力だ。ある程度の距離さえ取れれば、あの騎士は三〇ミリ榴弾と一六.七ミリの高速徹甲弾HVAP、更には(牽制程度の意味しかないだろうが)カービンライフルからの雨のような射撃に晒されることになる。要は、如何に距離を広げられるか。それが勝利への分技路と言える。

(百メートル……いや、五十メートルでいい。とにかく距離さえ開くことができれば……)

「作戦は立てられたかしら?」

 槍を弄びながら届く女の声に、秀平は身構える。

「……来い」

 本当は来て欲しくはないけどな、と心の中で呟きながら、秀平は言葉とは裏腹に、全力で後退した。

「あら、言った割に逃げちゃうの?」

 パーシヴァルは失笑するが、秀平にはそれに応える余裕などない。

 大きく後方へバックステップし、一足飛びで五メートルを稼ぐ。同時に二門の榴弾砲を展開し、発射。パーシヴァルはサイドステップで難なく回避するが、それでいい。地面に着弾し、土砂を巻き上げ、表層の乾燥した砂や土が煙幕として機能する。

 五十メートル離れたところで、両肩のマイクロミサイルを発射する。これも命中は期待しない。時速二〇〇キロ以上で進むミサイルを、パーシヴァルはミスティルテインの投擲で撃ち落す。それでいい。更に距離を二十メートル稼げた。

 後退中も、幾本かの槍が投擲されるが、煙幕のせいでほとんどは見当違いの場所へと飛んでいった。この間、パーシヴァルはケイトスの攻撃の回避に専念しているせいか、回避は横方向が中心で、距離を詰めようとはしてこない。秀平の思惑通りだった。

 すでに二人の距離は九十メートル近く開いている。秀平は後退を止め、足を止めた。

 カードをスラッシュ。

『Reload』

 榴弾砲、マイクロミサイルがカードの読み込みにより再装填リロードされた。ケイトスも細かくアップデートが進められ、情報カルテの読み込みだけで情報の物質化により自動補給が可能になっている。

 榴弾砲二門を展開。マイクロミサイルポッド展開。右手に狙撃銃、左手に二連装カービンライフルを保持。

 未だ晴れない煙幕。そこへ向けて、全門展開完了。

 ターゲット、煙幕内のパーシヴァル。

 正確な位置はわからない

 だからこその、飽和攻撃。面制圧は、ケイトスのお家芸だ。

「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――――――っ!!!!」

 三〇ミリ成形炸薬弾HEAT、一六.七ミリ高速徹甲弾HVAP、五.五六ミリ弾の雨。そしてマイクロミサイル。それらが十メートル四方の空間に吸い込まれ、煙幕内にあるものをことごとく蹂躙していく。ディフダの装弾数は左右各三発。メデューサはオートマチック狙撃ライフルなので、マガジンに一二発の一六.七×一〇五ミリ弾を内蔵している。ルイテンに至っては、二八〇発の銃弾が魚の背鰭せびれのように並んだマガジンに内蔵されている。

 二十秒もしないうちに、全ての兵装から銃弾・砲弾が吐き出された。

 だが、秀平は更にカードをスラッシュ。補給を済ませ、再びトリガーを引き絞る。

 HMDヘッドマウントディスプレイに表示された残弾が、再びみるみるうちに減っていく。

 二度目の全弾発射を経て、ケイトスは動きを止めた。

 これだけの攻撃ならば、真正面から戦車を狙っている場合を除き、装甲車クラスならばズタズタに引き裂かれ、原形を留めていないほどの損傷を受けているはずだ。

 何かしらの攻撃は受けているはずなのだ。まず無傷は有り得ない。最悪でも、体のどこかを庇って戦闘能力を大きく奪っているに違いない。

 煙はなかなか晴れてはくれなかった。榴弾による砲煙もさることながら、土煙も相当量上がっている。何より夜なのだ。赤外線カメラに切り替えているとはいえ、視界はかなり悪い。音響センサーも、度重なる銃砲撃によって一時的に機能不全に――

「―――っ!?」

 ボォン!と、

 背中で小さな爆発が起こり、秀平は激しい前転を繰り返した。それは爆発によるものではない。反射的な回避行動である。

『Main generator is broken.(メインジェネレータ破損)』

 HMDには損傷を表す赤い表示が異常を訴えかけている。

 続いて、ガクン、と体が重くなった。主動力が停止し、電力供給に支障が出ているのだ。ケイトスは大容量のバッテリーパックからの電力供給で各関節のアクチュエータを作動させ、パワーアシストしている。バックアップとして補助バッテリーが生きているが、容量・出力共にメインのそれとは比べ物にならないくらい低い。ケイトスが動かなくなることを防ぐために、アクチュエータの出力を三割にカットした状態で稼動させるのが精一杯だった。それも、容量を鑑みれば五分ともたない。

 だが、損害は動力だけに留まらない。

 右肩部アクチュエータにクラスBの損傷。アシスト出力半減。背部装甲第二装甲まで欠損。中央演算サーキットに異常発生。演算コアの一つを凍結。背部破損に伴い、右大腿部接続アクチュエータ、全シグナスロスト。機能停止。

 右足がまるで鉛のように重い。当然だ。今秀平は、右足全体に十キロの錘を下げている状態に等しい。全身、特にアクチュエータの死んだ右足が、文字通り足枷となっているのだった。

「あら、もう打ち止め?」

 飄々とした声音と共に、パーシヴァルがすぐ傍に立っていた。

「――っ!?」

「あら、別に不思議がることじゃないでしょ?わたしはただぐるっと回ってここまで来ただけよ?」

 どうして――、という秀平の疑問を表情から読み取ったパーシヴァル。秀平は瞬時に状況を理解した。

 彼女はただ河川敷を迂回し、土手を上がり、掃射による煙と暗さを利用して近づいたのだ。無我夢中で繰り返した攻撃は、自身の音響センサーを狂わせる結果となってしまい、とにかく撃ち尽くして殲滅するという妄執が、周囲への警戒を怠らせた。その事実に気付いたとき、秀平は忸怩じくじたる思いで自分をなじった。

 軽快な身のこなしが成せる業であることは事実であり、パーシヴァルの能力の高さを証明するものなのだが、秀平にとっては自身の無能さを証明していると思ってしまう。

 眼前に、レーヴァテインが突きつけられた。

「濡れもしなかったわ。正直がっかりよ」

 パーシヴァルは大きく腕を引き、炎熱槍を構える。

「さようなら、早漏クン」

 勢い良く、頭頂部を貫く形で槍が振り下ろされた。

 秀平は死への恐怖と自身の無力さを嘆きながら、奥歯を噛み締めた。

 しかし――

 槍が秀平を貫くことはなかった。

 ボン――ヒュゥゥゥン――ドォォォン!

 秀平の三メートル先で爆発が起こった。パーシヴァルは大きく飛び退き、秀平は爆風に為すがまま、さっきよりも激しく転がっていく。

(なに…が…?)

 秀平は余剰電力でどうにか暗視モードを維持し、周囲を見渡す。

「痴女風情が、随分とでかい口を叩く――」

 黒と群青の装甲が、闇夜の中に佇んでいた。夜間に目立つ色ではないのに、そこに存在しているということを、嫌でも感じさせる。

「来い。遊んでやる」

 威風堂々とした、近藤大介の声が、パーシヴァルへ届く。

「あら、面白そう」

 槍を持つ騎士は、土手の上に立つTelF――メサルティムへ、興味を移した。まるで、秀平には興味を失ったと言わんばかりに。

 いや、言外に語っていたのだろう。完全に秀平に背を向けた状態で、パーシヴァルは新たな敵に対峙しているのだから。メサルティム――大介も、秀平を助けようという気概はあまり見られない。爆風で吹っ飛ばされているし、それによるダメージもある。

 どうせその程度では死にはしないだろう。助かったんだから文句はあるまい。

 大介からの砲撃には、そういった意図が感じ取れた。

(くそっ…!)

 歯噛みせずにはいられなかった。秀平にはすでに攻撃手段がない。情報の物質化には電力を消費する。メインジェネレータが破壊された今では、撃ち尽くした銃弾を補充することすら叶わない。無力であるという事実が、重くのしかかる。

 メサルティムは七、八〇センチくらいの円筒を投げ捨てた。RPG-22。先ほどの攻撃はこの携行式対戦車ロケット発射機によるものなのだろう。

「あなたは、わたしを満足させてくれるかしら?」

「安心しろ――」

 甲冑の上から艶かしく腰のラインをなぞる『痴女』へ、メサルティムを装着した近藤大介は吐き捨てる。

「昇天させてやるよ」

 そして、大介は虚空より二本の円筒を出現させた。一メートルくらいの円筒で、それを両肩に担いだ。RPG-27だ。

「あら、RPGでは満足できないわよ?」

 パーシヴァルは対戦車火器を前にしても、その雰囲気を変えることはない。

「安心しろと言ったはずだ」

 大介は表情を変えず、HMDの中に表示された照準を見る。

「俺のは、かなり広いからな」

 尻餅をついた状態の秀平を置き去りにして、二人の激闘が開始された。

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