第10話 車内では—―

「くそっ!」

 和也は河川敷のサイクリングロードから、MAZ―2A1に跨りながら周囲を見回した。

 しかし、魅凪の姿は見当たらない。『バイク乗り入れ禁止』の注意札を無視し、土手を走り続けたものの、一向にそれらしい車を発見できずにいた。

 方向だけしかわからない。どこかの建物に入ったのかもしれないし、もしかしたら見当違いの場所を探しているのかもしれない(その可能性が一番高い)。

「……ん?」

 それから五分ほど走らせただろうか。かなり川に近い場所に、一台の黒いワンボックスが停車しているのを見つけた。ここから二〇〇メートルといったところか。ナンバーは暗くてわからない。

 しかし、車体がぐらぐらと揺れている。中に人がいるようだ。

 その揺れが、不吉な予感を想起させる。自ずと車内での淫行が頭に浮かんだ。

「―――っ」

 薄暗い空の下、和也は逸る気持ちでバイクごと土手の坂を降りて、車へと急いだ。


 土手を降りきったところで改めて車を見ると、車体の揺れは止まっていた。

 事を終えた後だろうか。

 焦りながら、存在をアピールするように、和也は敢えてアクセルを噴かした。

 が、反応はない。声も聞こえない。

 車の後ろ五メートルくらいのところでバイクを停め、ワンボックスへと駆け寄る。もし魅凪が辱めを受けているとしたら、それを止めなければならない。もし全てが終わった後ならば、慰めなければならない。そして、どちらにしろ魅凪を弄んだ奴らを只ではおかない。

 息を切らしながら、和也はワンボックス側面に到着する。手は既にスライドドアにかけられている。

「大丈夫かっ!」

 勢い良くドアを開けた。

 ゴトリ、と何か大きなものが足元に転がってきた。

「うっ」

 あまりの光景に、和也は口元を押さえた。

 男の上半身が転がっていた。ちょうどへそ辺りで上下に分断され、断面からは中身の詰まった腸と外周を覆う黄色い脂肪が見えている。驚愕に歪んだ表情は、自身の惨状すら死に際に確認できなかった証であろうか。

 ドアのすぐ内側には、膝下にズボンとブリーフをひっかけた、下半身丸出しの死体が転がっていた。しかも二つ。もうひとつの上半身は、反対側の開け放たれているドア、その向こう側にあるようだった。運転席と助手席のシートの裏側や天井は、大量の返り血で赤く染まっていた。天井からは、未だにねちゃりと血が張り付き、ポタポタと滴っている。

 さらに視線を奥へと向ける。

 車内は後部シートを倒してスペースを確保している。行為に及ぶための空間だ。

 その中央で、魅凪は仰向けに倒れていた。

 ブレザーは端に丸められ、ワイシャツはボタンを引き千切られていた。その下の水色のブラジャーはフロントホックが外され、仰向けでもわかる大きさの乳房を曝けている。下半身はスカートが意味を為さない状態で捲れ上がり、水色のショーツはギリギリ局部を隠してはいたものの、半端に脱がされた状態だった。

 血だらけの車内にあって、魅凪の体には返り血らしきものは奇跡的にほとんどついていない。彼女の様子からも、中で淫行が繰り広げられていたであろうことは容易に想像できたが、そういった視覚効果や残り香は、全て惨状と血の匂いで上書きされている。

 魅凪のすぐ隣には、もう一人太った男が倒れていた。喉を握り潰され、自分の胸の肉に顔面を埋めるほど、文字通り皮一枚で繋がっている状態だった。とても人間業ではない。両断された男二人もそうだ。断面が綺麗過ぎる。かなり鋭利な刃物で一瞬にして切断されたとしか思えない。こんなこと、普通の人間に可能なはずがない。

「ふん、まだひとり残っていたか」

「―――っ!?」

 和也は突然の野太い声に驚き、顔を上げた。

 筋骨隆々の男が、向かい側のドアの向こうに立っていた。天井のせいで、顔は見えない。

 和也はバッと車から離れ、車体前方へと体をずらす。すると、男の全景をはっきりと捉えられた。

 身長は一九〇センチを軽く超えているだろう。体にぴっちりの黒いタンクトップを着て腕を組んでおり、丸太のように太い巨腕の持ち主だ。太腿も同様で、プロレスかアメフトの選手だと言われれば、納得してしまうはずだ。がっしりと太い首の上に載っている頭部は強面の、角ばった顔つきで、髪は角刈り。薄く開けられた双眸は、威圧感を放ち続けている。

「貴様も婦女暴行に加担する気か」

「そんな風に見えるのかよ」

 和也も威圧し返そうとするが、シュワルツェネッガーみたいな大男に迫力では勝てない。

「あまりその娘に関わらない方がいい。そういう警告だと思え」

 その言い回しに、既視感を覚えた。

「SFT……」

「気付くのが遅いな」

 男は表情を変えなかったが、声からは嘲弄が聞き取れた。

「じゃあ、この三人もお前が…」

「それを知ることは、お前にとって価値はない―――――オープンアウトッ!」

 男の体の輪郭が一瞬歪んだ。

 しかし、次の瞬間、その全身に纏う衣服が弾け、筋肉に覆われた裸体が露わとなった。それからすぐに、衣服と入れ替わりに青い甲冑が全身を包んだ。

「名乗り忘れたな」

 甲冑を纏った男は野太い声をヘルムの中で響かせながら告げる。

「俺の名はガラハッド。ここから立ち去るなら覚えておけ。ここで戦うつもりなら――」

 ガラハッドと名乗った男はファイティングポーズを取った。

「覚える必要はない。どうせここで死ぬのだからな」

 戦意高揚状態のガラハッドに対し、和也はベルトとカードを取り出す。

「戦う気満々でよく言うよ―――――ターンアップッ!」

『Turn up, complete. Schwert form 1.03 start up.』

 和也の体に青い装甲が装着された。高速機動に特化したシュベルトフォルムだが、手にしているのは刃が波打っているフランベルジュ型ではなく、刃渡り六〇センチの双剣だった。

 装甲化されている他社戦力が急増しているため、生身に対して使用される兵装から、対装甲兵装へと転換が進んでいる結果だ。

「〝銀〟にはならないのか?」

 戦闘態勢を整えた和也へ、野太い声が問いかける。〝銀〟とは、間違いなくハイラントフォルムのことだ。

「パーシヴァルとは〝銀〟で戦っていたはずだが」

「あんたの実力が見合えば、出してやるよ」

 和也は跳躍してワンボックスを跳び越え、改めてガラハッドと対峙した。

「双剣か」

 ガラハッドは視線をゼロの手に握られた二本の剣を見やる。巨大な握り拳を開き、

「アイギス」

 両腕に、楯が現れた。

 手持ち式の細長い楯で、肘から手の先までを隠すくらいの、自動車の初心者マークともハートマークとも取れる形状だ。手先へと伸びる鋭角を見るに、ナイフかスパイクのような使い方も予想できる。

 ガラハッドは左半身で左腕の楯を正面に翳し、右腕を腰溜めに引き絞る。

 和也は腰を落とし、腕を斜め横に広げ、河川敷の柔らかい地面を踏みしめる。

 片や武器を持っていながら徒手空拳の構え。

 片や双剣を猛禽のように広げ、飛び掛る機を狙っている。

「先に来い。それが合図だ」

 野太く響くバスボイスに、和也は心の中で「舐めるなよ」と毒つく。

 一陣の風が吹く。

 否。それは疾風の如く駆け出したゼロ――和也の踏み込みと攻撃の初動だった。左右別々の軌道を描く双剣は、容赦なくガラハッドへと迫る。腰・首・肩と、甲冑の比較的脆弱な可動部分を正確に切り裂こうと二本のテンションソードⅢが舞う。

 しかし、その流麗な剣の舞踏はガラハッドの両腕、そのシールドに阻まれる。まるで動きが読まれているかのように、的確に次撃を迎撃されてしまう。

 スピードのせいではない。少なくとも運動性はゼロの方が上だ。だが、読まれている。

(使うしかないか……)

 早々に、和也は銀色のカードに手をかけた。

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