第3話 無双騎士
和也と女子高校生との遣り取りから一時間後――
「はぁ、はぁ、はぁ、…………」
NK-1〝オフィウクス〟の装着者である中井は、品川区内の廃ビルが立ち並ぶ一角、そのビル内にいた。今は日の光があまり当たらない薄暗い室内で、柱の陰に身を潜め、『ヤツ』が来るのを待っていた。
二十メートル四方の室内には、四十センチ四方の四角い柱が点在し、その陰に中井はいる。その耳には、階段を昇る音が届いていた。コツコツ、という感じではない。もっと重みのある、どこか響くような重低音だ。
足音が止まる。『ヤツ』が、この階に到達し、室内に進入した。
身長一六五センチの、小太りの中年男性だった。頭頂部の髪の毛から頭皮を覗かせ、眼鏡をかけている。服装は
中年男性は室内をぐるりと見回す。中井は体がはみ出さないよう、左肩を柱に押し付けて立っている。自身の荒い呼吸を抑えるものの、心臓の鼓動さえ大きく感じるほど、緊張に身を強張らせていた。
オフィウクスの装甲はグレーで、その背中や肩、大腿部にはごつごつした複雑な多角形の追加装甲が装着されている。ゴーグル型
中井はついこの間装着者になったばかりの新人装着者である。装着者になったことによる報酬を風俗のハシゴに使ってしまうような人間だが、実は装着時にシステムからのフィードバックの影響を受け難いという、希少な特異体質の持ち主でもある。尤も、その希少な特徴も、今は初陣による余計な恐怖と緊張という負の影響を与えてしまっているわけだが。
ゴゥン――!!
「―――っ!?」
暴風の如く、中井の隠れる柱に衝突する何か。その破片から、オフィス用のスチール机であることがわかった。思わず声を上げそうになるが、どうにか堪えた。
相手の正体は、予想がついている。
T-600J。KDIが製造した機械でできた兵士、
KDIの軍事面での得意分野は元々自律機械であった。昔は重装甲・重火力の小型履帯車両を造っていたが、最近は人口密集地での奇襲や偵察を目的とした、人間と見分けが難しいほどの製品を造り始めていた。開発当初は気持ち悪いマネキンのようなものであったが、ここ二年ほどでは直接肌に触れなければわからないほど、人間の見た目に近いものが出来上がっている。
足音が近づいてくる。
捕獲されれば、まず勝ち目はない。どこぞの家電や自動車メーカーが造っている二足歩行ロボットと違い、最近の機兵士は五十メートルを四秒台で走り、乗用車に衝突しても戦闘を続けられる。出力四〇〇キロワットの小型水素バッテリーの生み出す力は、人間など容易に引き裂くことができる。
中井は近づいてくる気配を感じながら、攻勢に出ることを決意した。
T-600Jは日本人をモデルに製作されたが、その中身はT-600シリーズ共通だ。暗視装置は標準装備され、電子兵装も並のTelF以上にある。集音装置も優秀で、現在の中井の位置も、バレている可能性が高い。
中井が柱から飛び出した。同時にT-600Jも反応する。
「スレイブ!」
中井の命令に呼応し、肩と背中の追加装甲が分離し、空中で互いを組み合い、形を成す。
SUB-Blockシステム。Schwert und Bestie(剣と獣)の名を持つ、多目的制御ユニットシステムである。数パターンの組み合わせがあるブロックは、自律偵察からオフィウクスの武装に至るまで、様々な用途を果たす。
今回組み上がったのは、二頭の小さな獣だった。大きさは猫くらいで、歪な金属で構成された姿は『猫』というよりは『抽象画』という印象だ。
その二頭が、T-600Jへ飛び掛った。機兵士は腕に喰らいつく『猫』を振り払おうと、体を捩り、腕を振り回す。
中井はそれを機にT-600Jへと駆け出す。手首に装備された薄い直方体、その先端が開き、長さ一五センチほどのナイフが現れた。ナイフが高音の唸りを上げる。よく見ると、刃が細かく振動している。
オフィウクスの固定武装である、両腕に装備されたモーターブレードである。小型チェーンソーだと思えば分かりやすい。
その切っ先を、合成樹脂製の肩へと突き立てた。右腕ブレードが機兵士の左肩に突き刺さり、その肩から先を切断した。さらに左腕ブレードを展開し、残った右肩へと突き出す。
が、『猫』を振り払いながらT-600Jは体を捻り、刺突をかわした。更に、噛り付く『猫』を無視し、オフィウクスの肩部装甲に掴みかかった。
「っぐぅ――」
金属が軋む音と共に、中井の肩も軋みを上げる。腕力だけで言えば、機兵士はTelFのそれを凌駕する。このままでは、間違いなく肩を握り潰され、腕ごと引っこ抜かれるだろう。
「――っ、スレイブ!」
機兵士に取り付いていた『猫』を呼び戻す。二頭は中井の許へ戻るとバラバラに分解する。そして、オフィウクスの大腿部追加装甲が分離して宙に浮き、『猫』だったブロックたちと結合を始めた。
それは、身の丈に近い、肉厚の両手剣だった。ただし、刃の部分は細かい刃が
中井は右手でその『モーターバスターソード』を握り、横薙ぎに振るう。チェーンが回り、甲高い音を立てる
「うぅあぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――!!!!!」
強靭な装甲殻が邪魔をするが、中井は構わず剣を押し付ける。本来両手で扱うべき質量を片手で保持している苦しさもあるが、左腕は肩を握られているために満足に動かせない。それどころか、今にも装甲が
そして遂に、機械の体が両断された。
さらに剣を振り上げ、肩を握っている機兵士の腕を切断し、肩を掴む手を振り払って、どうにか肩を握り潰される恐怖から開放された。
しかし、安心し切った心に、警鐘が鳴り響く。
床にガシャン、と落ちた機械の上半身と、未だ立ち尽くす下半身。そこから不気味な駆動音が、微かではあるがしていた。同時に、急場で叩き込まれた知識がフラッシュバックする。
――『機兵士は戦闘の続行が不可能と判断された場合、その動力である水素バッテリーを暴走させ、敵への情報漏洩を防ぎ、且つ損害を与える目的で自爆する』
中井は窓へと駆けていた。窓を割って階下へとダイブ。そこは地上1一五メートルの位置にあったが、それを気にすることなく飛び出した。
一瞬遅れて、中井のいた五階フロアに轟音が響き渡り、窓ガラスが全て吹っ飛んだ。
そして着地。
「うわ~」
廃ビルを見上げると、五階の窓からもうもうと黒煙が上がっていた。その窓自体もフレームごと吹っ飛び、周囲に砕け散ったガラスや金属片がばら撒かれている。
「これじゃ人が来ちゃうな」
この現地共同実地試験は、一般大衆の目に極力触れない、というのが各社間との協定で定められている。そのため、迅速に撤退する必要があるのだが――。
カシャン――――
金属音が、中井の耳に届いた。
カシャン――カシャン――カシャン――
一定のリズムを刻む音が、徐々に近づいてくる。
「ん――?」
中井は近づいてくるものの正体を見て、首を傾げた。
それは、闇を纏った騎士だった。
暗いオーラを漂わせる、甲冑を纏う騎士の姿。全身を覆い隠しているプレートアーマーは、黒に近い紺色。ヘルムからは同じく紺の、長髪のように伸びる一条の帯状布が揺れている。それが、幽鬼のように歩みを進めているのである。
「誰だよ、お前は」
正体を質すが、返答はない。しかし、近づくにつれて外観がある程度詳細になる。
(TelF……?いや、
動きに人間臭さがある。少なくとも
『…ム、………ス……』
鎧騎士から、何事かが呟かれた。しかし、小さすぎて聞き取ることができない。
『エム……エ…、……テ…フ……!』
次第に、声が大きくなる。鎧の中で反響している、くぐもった声が。
彼我の距離は、十メートルほど。中井は剣になったブロックを構え直す。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――――――――――――――――—――――――――――――――!!!!!!!!!!!!』
空に向かい咆哮が上げられた。男か女か、年齢の推定すらできない、野獣のように喉の奥から吐き出される、人語に表し難いものだ。なぜか、中井の体がビリビリと震え、本能的に足を一歩退いてしまう。
騎士が駆け出した。
「オイ待て、協定――」
中井はこの場からすぐ離れるべきだと、誰かが来たら面倒なことになると伝えようとするが、相手は一切お構いなし。騎士はすでに中井まで後一歩という場所まで踏み込んでいた。
「くっ、この――!」
中井は刃が高速回転するモーターバスターソードを下から上に、逆袈裟に振り上げた。
が、それよりも早く、騎士は中井の間合いに入り込んでいた。中井の顔面を鷲掴みにし、地面に押し倒す。衝撃によって視界が霞み、耳にはキーンという音しか感覚できない。
騎士は起き上がると同時、剣を握るオフィウクス右手首を握る。そして、ぴょんと跳ねる。体を右に捻り、回転のまま自身の右膝を、オフィウクス右肘関節に逆関節で叩き付けた。勢いは叩き付けただけでは止まらず、許容負荷を超えた捻りと衝撃によって、装着者の腕ごと肘から先が千切れた。
「が――、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――!!!!」
右腕を引き千切られ、中井は苦痛による絶叫を上げた。
それを聞いても騎士の動きは止まらない。
千切れた腕を投げ捨て、モーターバスターソードを逆手に握り、振り上げる。
「や、やべで――」
その後の光景を想像し、苦悶に喉を枯らせる中井。無論、騎士が聞き入れることはない。
剣が振り下ろされた。
腹部装甲に切っ先が衝突する。だがそれも一瞬で、すぐに装甲を突き破って、刹那に表皮と腹筋を回転刃が食い破り、ハラワタを蹂躙する。
「ぼが、ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――!!!!!!!」
ズタズタに引き裂かれる臓腑。腸だけでなく、横隔膜も裂かれ、肝臓と胃まで巻き込んで、腹の中が
中井にとって不運だったのは、常人ならば息絶えている状態において、『中途半端に強化された体』のせいで意識が保たれてしまっていることだった。オフィウクスの演算機も損害報告のウィンドウをHMDにいくつも映し出しながら、装甲内部に仕込まれた小型アンプルを注射し、意識が途絶えることを許そうとはしない。
出血がひどくても意識を失えず、呼吸をしようにも裂かれた横隔膜は痙攣するばかりで肺が呼吸を行わない。
下半身がビクン、と大きく跳ねた。背骨を轢き潰し、回転刃により脊髄が背骨ごと撒き散らされた。
騎士はモーターバスターソードを手放した。しかし、それは攻撃の終了を意味しない。
騎士の手には、虚空から現れた、精巧な造りの漆黒の両刃剣が握られていた。
騎士は先ほどと同様、剣を逆手に持ち、直下へと突き立てた。その先にあるのは、血塗れの臓物を口に含んでいる、恐怖と苦痛に歪んだ中井の顔だった。
その漆黒の剣先。それが、中井が捉えた最後の光景だった。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――!!!!!』
魔獣の咆哮が、天を突いた。
SFT社製
コードネーム『ランスロット』、その初陣だった。
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