Episode2

プロローグ

 綾瀬川河川敷で、永山忠嗣ただつぐは男と向き合っていた。

 河川敷といっても、コンクリートで囲まれた空間であり、とても子供が遊ぶような雰囲気の場所ではない。少し歩けばホームレスのテントが見えるくらいの場所である。

 川の色とコンクリートの色。

 そのほとんど灰色しかない空間に、男二人が立っていた。

「何の用だよ」

 忠嗣は焦燥した表情で、野良犬のように犬歯を剥き出しにして言った。

 衣服はお世辞にも清潔とは呼べないもので、ズボンの裾は擦り切れ、スニーカーは黒ずんでいた。

 半年前、忠嗣はMESの内部組織であるTDD所属のTelF装着者であった。TDD室長の里平の離反に賛同したまではよかったが、MESの追っ手に敗北し、里平も死亡した今、こうしてMESからの逃亡生活を続けている。

 他社に助けを求めたこともあったが、最強を名乗っていたはずがMESの若造に惨敗したという事実から、どこも手を引いてはくれなかった。

 忠嗣にはヌアダという、最強を誇っていたTelFを今も持っている。自分の手を汚せば、強盗でもして金を手に入れることは容易く、どこかのヤクザに取り入ることも可能だった。

 しかし、忠嗣はそれらに手を染めはしなかった。

 良心からの行動ではない。

 リストバンド型中央演算装置と情報カルテは装着に必要なデバイスなのだが、カルテの枚数には限りがある。しかも、ヌアダは一度の装着を五分以上続けることができず、装着が解除されそうになる度に、新たなカードを読み込ませる必要があるのだ。

 つまり、カードがなくなった瞬間、忠嗣は『普通より体が丈夫で少し強いだけ』の人間に成り下がってしまうのだ。力を見せ続けなければならない状態に身を置くことは、得策ではないと判断していた。

 これまで、何度か刺客が襲ってきたが、それを忠嗣は瞬殺してきた。無駄にカードを使いたくなかったからだ。

 今、手持ちのカードは五枚。三十分と戦えない状態なのだ。

「わかってるだろう?」

 男は静かに告げる。

「MESは裏切り者を許さない」

 何度となく聞いた科白せりふに、忠嗣は瞬時にカードをリストバンドに読み込ませた。

『Turn up. TDD-1N/G, start up.』

 金と黒の装甲に、右腕は異様な銀色。手には黄金の剣〝クラウソラス〟を握る、最高の攻撃力・防御力・運動性を誇るTelF、ヌアダである。

 半年前に肋骨と胸骨の骨折、肺の損傷という重体からどうにか生還し、どんな形であれ生きている。その生を奪われないために、忠嗣はクラウソラスの柄をギュッと握り締めた。

 負ける要因などない。

 しかし、『戦術としての勝利』を得ても、『戦略としての勝利』を得られるかはわからない。忠嗣には装着時間が限られている。装着回数もだ。今回を乗り切れたとして、あと五回攻められれば、それでゲームオーバーなのである。

 迅速かつ無駄なく。

 これが、忠嗣に求められている戦術だった。

「ターンアップ」

 男はカードを取り出し、ベルト型演算機に読み込ませる。

『Turn up. KND-3X start up.』

 電子音声が発声し、男の体に装甲が展開される。肩部・脛部装甲は黒、他は群青の装甲で、比較的軽装に見える。頭部には顎のラインを包む、ゴーグル型HMDヘッドマウントディスプレイと、その両脇及び額から後方に伸びるブレードアンテナユニットが装着されている。

 三日前に組み上がったばかりのKrieger von Neu Donner(新たな雷の戦士)の実験機である〝メサルティム〟は、これが初の対TelF戦闘となる。KNDシリーズ自体は一ヶ月前には完成していたのだが、KND-1X〝ハマル〟、2X〝シェラタン〟共に、データ取得実技演習中に起きたトラブルで装着者ごとお釈迦になっていた。

 装着者の男はそれを分かっていながら、今ここに立っている。それには『トラブル続きの実験機を使いこなして有用なデータを取得できること』と、『超高スペックのTelFを倒すことができた』という、高い評価を得るために必要なことだった。

 今の忠嗣に、そんな事情など知る由もない。目の前に敵がいる。ならば迎え撃つ。ただそれだけの、単純な構図に過ぎない。

 ヌアダが駆け出す。とても目で追うことなど不可能な速度による突進は、十メートルの間隔を一瞬で縮めてしまうものだ。

 ゴォォォォォォン―――――!!

「――――っ!?」

 だが、今まさに踏み出した瞬間、一メートル先の地面が上に向かって爆発した。大小様々なコンクリート片が下方から押し寄せ、ヌアダの装甲を叩く。だが、それ自体にダメージはない。効果があったとすれば、それは目晦ましだ。

 忠嗣はクラウソラスを舞い上がった煙の中に突き立てた。僅かな抵抗を感じる。

 やがてそれは、明確な抵抗として認識された。

 視界が晴れると、忠嗣は現状を理解した。ライオットシールドだ。ただし、ポリカーボネート製の透明なものではなく、灰色の重金属製である。ただそれだけでは振動剣であるクラウソラスに裂かれてしまうだろうが、刀身が食い込んだ瞬間に楯が高周波を発生させ、両断を阻止。そのまま刀身を挟み込んだのだ。ご丁寧に、楯の四分の一ほどがコンクリートの地面に埋もれた状態で、だ。

(高周波振動楯?俺に当てるためにわざわざ持ち出したってことかよ)

 この楯単体では、あまり有効な装備とはいえない。現段階での兵器では、振動する楯など使用価値がないからだ。あるとすれば、高周波振動兵器に対する防御力の向上だ。嘗てヌアダとゼロが互いの振動剣を鍔迫り合わせたのと同じ現象が、ここで起きているのだ。

 続いて、真横からの轟音。

 忠嗣が首を向けると、そこではメサルティムが巨大なガトリング砲を構えていた。

 GAU-8 アヴェンジャー。アメリカ軍で採用されている航空機搭載用の三〇ミリガトリング砲である。といっても、砲身だけで二メートル、装置全長は六メートルにも及ぶ。それを、左右に二門、メサルティムは地面に置いた状態で、装置に『触れて』いた。

 ズダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ―――――――――――――

 なんの予備動作もなく、砲身が回転し、砲弾が目まぐるしく吐き出された。

「っぐうぅ!」

 楯に喰いつかれたクラウソラスのせいで、忠嗣はまともに砲弾を受けてしまった。

 ヌアダの応力拡散用カーボンポリマーラミネート装甲は、衝撃を装甲全体に伝播させて、単位面積当たりの荷重を分散させることができる。これによって驚異的な防御力を持っており、破壊試験では三〇ミリガトリング砲の砲撃を受けても八.五〇秒耐えることができた。

 もちろん、さらに砲弾の大きいアヴェンジャーの焼夷徹甲弾を長時間受け続けることはできない。しかも、一発一発が、まるで力士の張り手の如く装甲に打ち付けられ、体が吹っ飛びそうになる。

「くそっ」

 これ以上攻撃を受け続けることはできないと判断し、忠嗣は絶対的な攻撃力を持つクラウソラスを手放し、高速回避を行う。それを追うように、三〇ミリ砲弾がコンクリートを砕きながら、蛇のようにヌアダを追い回す。

 ふと、砲撃が止んだ。

(弾切れか!)

 忠嗣は勝機を見出し、メサルティムへと急迫する。毎分四〇〇〇発近い発射能力を持っているアヴェンジャーだが、弾は無限ではない。最新式のTelFは情報の物質化によって自動給弾されるが、どうやらこのTelFにはその機能はないらしい。

 そう判断した忠嗣は、徒手空拳による攻撃のための突撃を敢行したのである。

 進路確保と示威行為のために、巨大砲身を蹴り飛ばす。全重量約一トンが、砲身を曲げながら本体の給弾装置を中心に、円を描くように六〇度近く回転した。

 そこから一気にメサルティムの懐へ飛び込む。

「―――っ!?」

 が、次の瞬間、思わず忠嗣は息を詰まらせた。

 メサルティムは、両肩に大きな円筒を担いでいた。

(RPG!?)

 その正体に気付いた時にはすでに発射音と白煙が発生し、二メートル先にいたヌアダの顔面と肩にロケット弾が命中した。

 いかに装甲が強固であろうと、その衝撃による運動エネルギーを相殺することはできない。忠嗣はキリモミしながら跳ね上がった。

(くそっ、どれだけ情報化容量あるんだよっ!)

 空中で、忠嗣は毒づく。

 いかに最新式のTelFとはいえ、あんな航空機に内蔵するようなガトリング砲二門や携行式対戦車ロケットに振動楯を容する異常なまでの情報容量に加え、爆発物の転送(最初の爆発を、忠嗣はそう確信している)までやってのけるとは、演算機能もかなり高いものでなければ実現しない。たった半年で、MESの技術は躍進を遂げたということなのだろうか。

 爆煙の中に、メサルティムを確認する。

「なっ―――!?」

 そして、あまりの事態に驚愕した。

 メサルティムの横に、十メートル近い巨大な、灰と濃緑の物体が現れていたからだ。

 90式戦車。自衛隊に配備されている第三世代主力戦車である。

(莫迦じゃねぇのかオイ!!)

 その主砲が、忠嗣を狙っているのだ。慌てないはずがない。V型一〇気筒ディーゼルの唸りが、まるで猛獣のそれを思わせる。

 90式戦車の主砲はラインメタル社の四四口径一二〇ミリ滑腔砲だ。その砲門が、ヌアダの胸部二メートル先で固定されていた。

 忠嗣はまだ滞空しているため、回避のしようがない。第一世代TelFは全身を覆う重厚な装甲、その大質量での機動のためにスラスターを装備しているが、第三世代機では滅多に装備していない。ヌアダもそれは例外ではない。

 必死に周囲を見渡す。何かないか。何か、この状況を回避できる何か!

 忠嗣の手が、何かを掴んだ。同時に、戦車砲が鼓膜を破きかねない轟音を発した。

 砲弾が、ヌアダの装甲を掠め、マイナスピッチで発射されたおかげで川面に激突し、壮大な水柱を上げた。そのドサクサに紛れ、忠嗣はこの場を離脱した。持ち前の機動力を活かし、数秒で道路を挟んだ住宅地の方へと消えていく。

 咄嗟に掴んだ、楯に咥えられたままのクラウソラスの柄。腕力だけで身体を強引に引き寄せ、砲の射線上からギリギリ回避に成功し、延命を果たしたのだった。その際、装甲の粒子化が始まり、時間切れであることを理解。引き際としては、ベターな選択であった。

「逃げた、か……」

 メサルティムは忠嗣が消えた住宅地を見やりながら、装着を解除した。

「戻るしかないな」

 一瞬追撃を考えたものの、彼我の機動力を鑑み、断念する。

 男――近藤大介は、凸凹になったコンクリート上を歩き、隠しておいたバイクに跨った。

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