第17話 報酬
「やぁ、お疲れだね、松井君」
江東区にあるMESビル、そこで出迎えてきたのは、黒服の男が言うとおり、不自然なくらい黒いショートカットにノンフレーム眼鏡という風貌の妙齢の女性――竜胆寺だった。
不自然なくらい白い部屋の中である。
竜胆寺は白衣を靡かせながら椅子に座り、
「まずは、ご苦労様、と言っておこうかね」
とても労っているようには聞こえないが、竜胆寺は構わず続ける。
「私の準備したプレゼントに気づいてくれた上に、しっかり命令も果たした。おまけにTDDが隠していたTelFとの交戦データも取れたし百点満点だ」
「プレゼントって、あの赤い形態と、銀色のヤツですか?」
「ああ。聞きたいことはあるだろうが、細かいことはまた後できっちり説明してあげよう。今日はかなり疲れているだろうからね」
と、ここまで話してみて、和也は疑問を覚えた。
「……待ってください。自分は、『命令』を果たしては――」
業務命令書には『里平を抹殺せよ』とあった。しかし、和也はそれを果たせていない。
「里平の死体を確認したっていう連絡は受けてるよ」
「えっ!?」
それこそわけがわからない。和也は結局里平を殺せずに放置していたのだから。
「何?あんたじゃないの?」
どうやら竜胆寺も和也がやったものだとばかり思っていたらしい。あの後乗り込んでいった黒服たちが候補として浮かんだが、話の流れからしてそれはないだろう。
「石田さんか、武藤さんじゃないんですか?というか、二人はどうしてるんです?」
「おや、二人が心配かい?」
「悪いですか?」
「いや、武藤はともかく、石田の心配までするとは思わなかったよ」
「ん?石田さんまでって、どういうことですか?」
和也は、竜胆寺がなぜそんなことを言うのか、本当にわからなかった。
その反応に首を傾げながらも、竜胆寺は口を動かした。
「石田は今ここの
とても危険な状態じゃないんだろうか、と思ったが、肉体が常人よりも強化されているのだから大丈夫なのかな、と無理に納得した。
「武藤さんは?」
その問いに対しては、なぜか一拍の間ができた。
「両腕切断。発見されたときにはすでに千cc以上の出血だったそうだ」
凄惨な状態の詳細が、返答として伝えられた。
「こうなると、普通なら失血死やショック症状で死ぬか、乗り越えても感染症のリスクだってある。まず、生きてないだろうね」
「じゃ、じゃぁ……」
「武藤は、ここに戻ってきていない」
遠まわしな表現だったが、和也は理解した。
難しいことばかり言って、偉そうにして、鬱陶しいと思ったこともあったが、死んでもいいとまでは思っていなかった。
「松井君、君はよくやってくれた。途中で命令違反があったものの、今回の成果はそれを帳消しにしてもお釣りが来るくらいだ」
そんな気持ちを知ってか知らずか、竜胆寺は明るく告げた。
「あんまり気にしても仕様のないことはある。君は、妹のためにも生き続けなければならないんだからね」
最後に妹のことを言われ、ムッとする。
改めて言わなくても、そんなことはわかっている。松井和也は妹・香奈のために生きなければならない。それが、間接的に彼女を生かすことになるのだから。
翌日、竜胆寺によって
和也は電車を乗り継ぎ、関東第一病院へ向かった。昨日、竜胆寺の口から香奈のことが出たために気になったからだった。
八○六号室の前に立ち、ドアに手をかける。
つい数日前の深夜は、このときアルデバランに――優樹に邪魔されたが、当然ながら今度はそんなことはない。
ベッドへとまっすぐに向かい、安らかな寝顔の妹を見下ろす。
「香奈……」
そっと前髪を撫でる。ずっと眠り続けているはずだが、その辺りのケアもきちんとしてくれているらしい。サラサラの髪だった。
松井香奈。和也が守るべき存在であり、守りたい妹だ。
二人は一蓮托生の身であるが、今はそんな危機感はどこか薄れている。
眠り続けているが、香奈はこうして生きている。安らかな寝顔を見ているだけで、癒される。つい半日前まで殺し合いをしていたのに、まるでそれが悪い夢にさえ思えてくる。
だが、それは間違いなく現実であることを、和也は強く自覚している。昨日の竜胆寺の言葉もあり、自分の死が妹のそれに繋がっていることを再確認させられた。
だが、ふと思ってしまう。
香奈は目を覚ますのだろうか。このまま、自分の生が尽きるまで、香奈は眠り続け、体のいい人質として生涯を終えてしまうのではないか。
言い知れない不安が、潜在意識下にあった疑念が、最近になってより強くなっていた。
「それでも、俺は……」
榛名を失った悲しみは大きすぎる。
しかし、ここで香奈まで失ってしまったら、自分は何をしでかすのか、はたまた壊れてしまうのか、わかったものではない。
だからこそ、これ以上何も失わないために、決めたのだ。
「俺は、戦い続けるよ……」
MAZ-0の装着者として。
「香奈のために……」
MESの犬だろうがなんだろうが。
「最後まで……」
改めて決意を口にして、和也は退室を決めた。
その前に、もう一度、香奈の顔に手をやる。次はいつ来られるだろうか、などと思いながら、ベッドに横たわる妹に微笑みながら。
「――――ん、――――――」
ふと、漏れる声。
(え?)
空耳かと思ったが、違う。瞼が震え、ゆっくりと、しかし確実に開かれていく。
どういうことなのか、瞬時には理解できない。
「おにい……ちゃん……?」
小さく、掠れた声で呼ばれ、ようやく和也は起きている事象について理解が及ぶ。
「香奈……?」
目を覚ました?
理解が追い付かない。
ずっと眠り続けている妹の姿を見慣れすぎて、瞼の内側、その瞳を見ていることに、軽く混乱した。二つの眼が和也を見上げていることが、信じられない。
まだ半開きの瞼がゆっくりと、瞬きを繰り返し、やがて目の前の人物の顔を、和也の顔をはっきりと視界に収め、疑問を口にする。
「……泣いてるの?」
力なく紡がれる妹の肉声によって、初めて和也は自分の頬を伝う涙に気づいた。
そして、感涙した状態で、香奈に向かって必死の笑みを浮かべる。
「おはよう、香奈」
もう午後の二時を回っていたが、『目を覚ました』妹に告げるには、それが一番だと思った。とにかく、目を覚まさないことに不安を覚え続けていた状態から脱せたことが、嬉しくて堪らなかった。
このタイミングで目を覚ましたのはどういうことだろうと思い、ふと、昨日の竜胆寺の言葉が蘇る。
――「今回の成果はそれを帳消しにしてもお釣りが来るくらいだ」
偶然といえば、そうかもしれない。本当に治療を続けた結果、たまたま今日回復したのかもしれない。
しかし、竜胆寺――MESのことだ。きっとこれは仕組まれたことなのだろう。
これが、今回の『報酬』なのだ。
竜胆寺が言っていた『お釣り』が、これなのだ。
香奈の意識回復は、大きな前進だ。しかし、果てない暗闇の中の、ほんの一欠けらの光明に過ぎないことも、また事実である。
それでも、今の和也にとっては――
「おはよう、お兄ちゃん」
香奈の柔らかな笑顔が、とてつもなく大きな希望に思えてならなかった。
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