第16話 里平
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
和也は荒い呼吸を繰り返しながら、蹴りを入れた体勢のまま、固まっていた。
それから数十秒が経過し、
「ふぅ……」
自分が勝利したことを実感して、ようやく上げていた脚を下ろし、
「そこ、だな……!」
壁際にある食器棚――隠し扉へと目を向けた。
カードを取り出し、ベルトにロード。
『Gewehr form is restructing……, complete.(ゲベールフォルム再構築。完了)』
右腕以外の装甲色が緑になり、
『kanone form open.(カノーネフォルム展開)』
自身の身長ほどもある、巨大な細長い直方体が現れた。
『Dagda, activate.(ダグザ、起動)』
それは、巨大な砲身だった。上下二段に砲口があり、砲身の中心にトリガーとグリップが備わっている。グリップの前には砲身の上に大きなマガジンが、銃床には五十センチ以上ある超大型マガジンがささっていて、発射される弾の口径、その大きさを改めて想像させられる。
今回の兵装については、クラウソラスのときとは違い、HMDに概略が表示された。
『MAZ-0D3 二連装複合砲〝ダグザ〟』
縦に二つ並んだ砲口は、上部が『四〇口径三〇ミリ滑腔砲』、下部が『中性粒子加速砲』となっている。
常識的に考えれば、三〇ミリの滑腔砲など人間が支持発砲できるものでは当然ながらなく、ましてや直立でなど論外だ。秀平のケイトスも同サイズの榴弾砲を装備しているが、あれはバックパックとそこに繋がっている兵装アームによって反動のベクトルをずらし、制御できているからこその芸当だ。同様に、中性粒子加速砲――俗に言う荷電粒子砲は、最低でも数メガワットの出力が必要であり、携行できる電力ではない。発射に必要な粒子加速器の小型化など目処が立っていないし、発射時の反動も滑腔砲と同様に大き過ぎる。
それらの問題を、直感的に『クリアされている』とわかった和也は、ダグザを脇に抱えるようにして保持し、躊躇わずにトリガーを引く。
閃光が
ボォォォォォォォォ――――――――ンッ!!!!!
轟音と激震が、巨大な客船を揺らす。
小ホールは煙に満たされ、視界が取れない。
やがて、煙は船内の自動排気システムにより取り払われ、視界が晴れた先に、対戦車ロケットの一発や二発では破壊できないはずの壁が、なくなったのを確認できた。
壁があった場所を潜ると、熱と衝撃でボロボロになったVIPルームがある。
首を右に向けると、部屋の奥には、隔壁と直角の壁際にある大きな執務机がある。その机に背を預けるようにして、捜し求めていた人物――里平が座り込んでいた。
「ひぃっ」
和也と目が合うと、里平は脂汗をだらだら垂らしながら、後退しようと足を漕ぐ。が、机に阻まれてそれ以上動けずにいた。
「里平……」
呟きながら、和也は一歩ずつ脚を前に出し、近づいていく。
途中にあるガラステーブルやソファーが邪魔なので、蹴り払う。テーブルやソファーが宙を舞い、壁に激突。その音を聞いただけで、再び里平は悲鳴を上げた。
「里平……」
和也は遂に、里平の二メートル手前まで辿り着いた。
諤々と震え、歯を鳴らす男。恐怖に顔全体が歪み、瞬きすら忘れてしまっている。
「な、永山はどうしたぁ!?」
半ば叫ぶような里平の問い。それに意味がないことは、本人がよく分かっている。
最強の歩兵、最強のTeLF、最強の陸上兵器、最強の―――
常に最強、最高と謳われていた、組織内でも賛美しか捧げられなかった、TDD計画一号機〝ヌアダ〟。万物を切り裂く刃を持ち、ガトリング砲すら耐える防御力を有し、銃撃を掻い潜れるほどの思考能力と運動性、それに加えて高機動力まで備える、至高の存在であるはずなのに。
「里……平……」
和也はそんな里平のうわ言など無視し、ただ口に出すだけだ。
「さとひらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
喉が擦り切れるんじゃないかと思うくらいの咆哮を、激昂を以て上げた。
同時に、ダグザの砲門を里平の顔面に向けた。
「や、やめ――」
「黙れぇ!!」
悲鳴を怒号で掻き消す。
「お前が、榛名を、榛名を―――!!」
憎悪が後を絶たない。榛名の笑顔、榛名の拗ねた顔、榛名の笑い声、榛名の体温、榛名の仕草、榛名の泣き顔、榛名の震える体、榛名の嗚咽、榛名の苦悶、榛名の辛さ、榛名の想い、榛名の、榛名の…………。
「お前の裏切りが、榛名の人生を滅茶苦茶にしたんだ!」
和也も、原因が里平一人にあるわけではないとわかっている。自分は榛名を救えなかったし、実際に手を下したのは秀平だし、SFTだって悪い。MESを含めた、こんな会社さえなければ、榛名はTelFの装着者になどならずに済んだし、そもそも彼女の家庭の金銭問題さえなければ、榛名には装着者になる動機すらなかったはずだ。
それでも、里平は、その大きな連鎖の中にある、最も大きな歯車の一つであることに変わりはない。
「や、やめろ、やめてくれ……」
命乞いをする里平が、憎くてしようがない。
榛名は、生きていたいと願っていたはずなのに。
なんで、こんなヤツが……。
「い、いくら欲しいんだ!金ならいくらでもやる!一億か?なんなら三億くれてやってもいい」
里平は懸命に、和也の心を揺さぶり、自分に靡かせようとしている。当然だ。なまじTelF開発に関わっているからこそ、生身でTelFに勝つなどおこがましいことを、充分知っているからだ。
「なんなら、俺に付け。ギャラだって、今の十倍は払ってやるぞ!」
魅力的な提案を、飽きることなく吐き出し続ける里平。
その態度が、ますます和也を苛つかせる。
「なんでも金、金、金、か」
榛名が装着者になったきっかけも、金銭問題だった。
「薄汚い、金の亡者め……」
「なん、だと…!」
和也の侮蔑に、震えていたはずの里平は、意外にも語気を荒げた。
「金に困ったことのないガキが、知った風な口をきくな!」
さすがに、和也は面食らった。
「俺はな、ずっと家族のために働いてきたんだ!貴様にわかるか?娘の誕生日に、クリスマスに、プレゼントを買ってやれない辛さが!」
里平は現在の地位に着くまでに、長い年月を要している。現在の妻とは恋愛の末に結婚していたが、経済的な理由から、挙式はしていない。そんな生活の中、慎ましくも娘を授かり、これまで暮らしてきた。
「他所の家族は楽しげに豪勢な食卓を囲んでいると知りながら、そうしてやれない悔しさが!」
里平は低所得であることを引け目に感じながら、ずっと仕事に邁進し、経済的に苦労をかけまいとしていた。今は十五になる娘とあまり話せていないが、それでも家族を養っているというプライドは大きかった。
「娘におもちゃ一つ買ってやれない惨めさが、貴様にわかるか!」
昔いた会社からMESにスカウトされたときに、これは好機だと思った。現に、収入は五倍以上になり、これで家族に苦労をかけずに済むと、嬉々として思ったものだ。だが、仕事が忙しいことには変わらない。だから、これまで苦労をかけてきた妻や娘には、不自由がないように、自主性を尊重してやりたいことはやらせてきた。
「今の世の中はな、金がないとダメなんだよ!自分の不甲斐なさに押し潰されそうになって、それでも笑ってくれる妻の笑顔を見るのが苦しくて、気丈に振舞う娘の姿を直視できないんだよ!自分が情けなくなるんだよ!」
「だからって―――」
勢いに圧されながらも、和也は里平に反論する。
「お前の振る舞いが、たとえ家族を守るためだとしても、それが榛名を殺していい理由になるわけないだろ!」
呼吸を荒げながら、和也は心中を吐露していく。
「榛名だって、両親が大変なことになって、弟の将来を心配して、それで仕方なく装着者になったんだ!一緒にいた俺に心配かけまいと、笑っていた榛名は、ずっと恐怖に押し潰されそうになりながら引き金を引いてたんだよ!」
榛名は最後の戦いのとき、泣いていた。戦わなくていい、と言われたときに、泣いていた。自分は許されないことをしたと自覚していて、それでも和也が傍にいると明言したことで、安堵し、涙した。
やはり、榛名を戦いに、殺し合いをするような世界に飛び込ませたことを許すことができない。里平がMAZ-3XをSFTに横流ししなければ、SFTの連中は装着者を探す行動にでなかったはずだ。
間違いなく、榛名の死という道程を創り上げたのはこの男だ。
和也はトリガーに指をかけた。三〇ミリの砲弾だ。こんな至近でなくとも、当たれば弾けてなくなってしまうはずだ。
顔面に突きつけた砲口は、今にも装填されたAPFSDS弾を吐き出そうとしている。
「ひっ、あ…ぁぁぁぁ」
さっきまで勇んで喚いていた里平も、思い出したように大口径弾に恐怖し、手足をバタつかせる。
後ろには下がれない。なので、里平は机に沿って左に進む。それを、きっちりとダグザの先端が追っていく。だが、里平の逃避はすぐに、チェストに背中をぶつけることで終了した。その拍子に、置いてあった写真立てが落ちた。
「諦めて、死ねよ……」
和也は執拗に、砲口を里平へと向け、決して離そうとしない。
里平は更に、チェストを回避して机の後ろへと回り込もうと後退する。
「榛名を殺した償いに、テメェの命差し出せよぉ!!」
バイザーの下で、羅刹の表情に涙を浮かべ、和也は感情剥き出しで叫ぶ。
この男は榛名が死んだことも気にせず、札を数えていたんじゃないか。口座の額面を見て、満足そうに笑っていたんじゃないか。
そんなことを想像してしまう。その度に、殺せ、殺せ、と心の中の悪魔が囁く。
――(殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ)
悪魔の囁きは、やがて明確な言の葉となり、
――(殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!)
やがて
――(殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――――――――――――!!)
全天に轟かんとする絶叫へと変化した。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――!!」
トリガーに力を入れ、砲口を押し付けるために一歩踏み込んだ。
バリン――
何かを踏んだ。
下を見る。
写真だった。さっき、里平がチェストにぶつかったときに落した写真立て。
中央に、今よりも少し若く見える里平が写っている。隣には同年代の女性――恐らく里平の妻であろう。反対側には十歳くらいに見える、サイドテールの女の子が、里平の腕に掴まってピースサインをしていた。
ごくありふれた、家族の写真。里平を慕う家族。
それを意識して、和也の手が震えた。
ここで里平が死ぬと、この二人は涙を流すのだろうか。失った悲しみを抱えながら、この先の人生を生きていくのだろうか。
ここで殺せば、自分は彼女たちに恨まれるのだろうか。
よくも殺したな。お前も殺してやる。
そんな思いを抱かせてしまうのだろうか。
(それじゃ、こいつらと同じになっちゃうじゃないか……)
ここに来るまで、和也は何人もの人間を殺している。何を今更、と思う話であろう。
しかし、一人殺そうが二人殺そうが同じ、などとは思わない。
百人殺そうが二百人殺そうが同じだなんて、絶対に思いたくない。
(俺は……、あいつらとは違う……!)
自身が復讐に彩られた殺戮者であることを客観的に悟り、和也は
『System overflow. Forcibly release. (システムオーバーフロー。強制解除)』
すると、電子音声の警告通り、装甲が粒子化し始めた。
どうやらこのヌアダのカードを使った状態は、システムの負荷が大きすぎて長時間使用できないようだ。
だが、これでいい、と和也は思った。
和也は踵を返す。自分で空けた大穴へと歩いていく。
装着状態が解けても未だに震える里平へ、歩きながら告げる。
「俺は、今でもあんたのこと殺してやりたいよ」
壁に辿り着き、振り返る。未だに里平は腰を抜かしているのか、机の陰に隠れて見えないが、そのまま言葉を紡ぐ。
「せめて、誇れる父親でいてくれよ。家族のためにさ」
(そう、これでいいんだ……)
和也は小ホールを抜け、階段を下り、タラップを下って船を降りていった。
そこには、十数名の黒服の男たちがいた。後方には黒のワンボックスカーが何台も並び、トレーラーを牽引しているトラックも停めてある。
「竜胆寺筆頭主査から召喚命令が出ている」
和也は逆らわず、男に促されるままにワンボックスカーに乗り込んだ。
他の黒服たちは、手に銃器を持ったまま、船内へと突入していった。
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