第9話 海上の戦場へ

「プロジェクトTDD?」

 秀平は、竜胆寺の発した単語に首を傾げた。

「そう、トゥアハー・デ・ダナン計画さ」

 気絶した和也を江東ビルまで連れ帰り、一息ついたときだった。竜胆寺に呼び出され、秀平と優樹は椅子に座って彼女の話を聞くことになった。ちなみに、和也はパーテーションの仕切りの向こうで眠っている。

「絶対的な力を持つ、『神』に等しい存在を造り上げるためのプランだよ」

「それを、TDDの連中が秘密裏に?」

 優樹の問いに、竜胆寺は首肯し、説明を続ける。

「元々データは大量にあったわけだし、新型を造る上で環境にも困らない。こっちの技術だって、TDDあっちに報告が入っている。そして、それらを使って『最強』の存在を造り上げるように指揮したのが、里平ってわけだ」

 里平はMES経営層の一角で、若くしてTDD室長となった逸材である。たしかジャンパー強奪の責任を取って辞表を提出し、受理されているはずだ。

「そして、他社からのデータ供与を受け、見返りにジャンパーをわざと奪わせた――いや、奪われたことにして提供した、ということですか」

「そう、そういうこと」

 優樹の纏めに、竜胆寺が満足げに頷いた。秀平も続く。

「ちょっと待ってください。ということは、TDDにとって、ジャンパー自体にそんなに価値はなかった、ということですか?」

 そうでなければ、わざわざ最新鋭の技術で造り上げた新型を渡すわけがない。それ相応の見返りがあれば話は別であろうが。

 竜胆寺が回答する。

「HRNシステムは元々複雑すぎる演算に対して効率的な運用が難しかった。所詮は実験機の域を出ていない、不完全な過渡期の機体さね」

「つまり、TDDはHRNシステムの運用データを使用して、更に強力なTelFを造り上げようとしている。そこに、他社のデータを上乗せした上で」

 腕を組み、思案していた優樹は可能性について言及した。

 実験データとは玉石ぎょくせき混淆こんこう。有用なものもあれば、『使えないデータであることがわかった』くらいの意味しかないものまで、様々だ。実験とは膨大な数を繰り返し、結果を得る行為である。仮説を立て、それを立証する、もしくは否定するために、実験し、結果を得る。その結果が何を意味しているかを考え、過去のデータと理論を参照し、考察して結論を出す。途方もない時間と労力を消耗する、事と次第では無限連鎖に陥ることなのである。製薬会社などでは、一生に一つ新薬を作れればいい方という話もある。それほど、『新しい』ものを作るということは困難を極めることなのだ。

「HRNシステムの継承と考えれば、ハバキリのような独立機動兵装ですね」

 物質転送は演算負荷に対して効果が薄い。実戦を想定すれば、カットされるだろうという優樹の推論だった。

「かもね。一機で戦局を左右する戦術兵器を目指すとすれば、搭載は確実だろうし」

 秀平も賛同した。ジャンパーとゼロの戦闘で実際にハバキリを見ているからこそ、あの兵装の完全制御がいかに有効であるかが想像に難くなかった。

「そういえば、当の里平はどうしてるんですか?」

「ああ、それだけどね」

 竜胆寺は白衣からタバコを取り出し、火をつけた。全棟禁煙のはずだが、そこに憚る様子はない。敢えて秀平も優樹も苦言を呈したりはしない。

「どうやら家族で豪華客船クルーズらしい。SFTからガッポリ貰ったらしくて、優雅に家族旅行だそうだ。ああ、そういえば――」

 意味深に言葉を区切り、一度紫煙を吐き出す。

「その船、どうやらSFTの所有物らしいぞ?」

 ニヤリとする竜胆寺。それだけで、秀平と優樹には彼女の意図を察することができた。

「明日の夕方、晴海から出航だそうだ。羨ましいねぇ」

 全然羨ましそうに聞こえない声で、竜胆寺は強いタバコピースを咥えた。


 身体が動かない。蓄積したダメージはかなりのものだったようだ。

 すぐにでも飛び出したい気持ちを抑えたのは、冷静な判断力ではなく、ただの身体の痛みと倦怠感だった。一晩眠れば快復していると願いたい。

 眼が覚めたときに聞こえてきた会話の内容は、和也を奮い立たせるには充分なものだった。しかし、そのためにもきっちりと休養を取らなければならない。

 それはわかるのだが―――

 榛名の運命を変えた元凶の名を聞いては、熟睡などできそうにはなかった。


 翌日の昼過ぎ、松井和也が横になっていたはずのベッドは空になっていた。



 晴海の埠頭に、豪華な造詣ぞうけいの大型客船が停泊している。白い船体はくすみ一つなく、その荘厳さと壮麗さを静かに物語っていた。

 午後四時を回り、薄っすらと群青が西の空に見え始めた頃、客船『アクアマリン』は出航準備を進め、あと一時間ほどで出航となる。

 その船に乗る者の多くは、金の匂いのする人物である。皆正装しており、豪奢な船上パーティでも始まれば、さぞ型に嵌ることであろう。そんな人たちが、今も尚船に乗り込むため、例外なく豪奢ごうしゃなタラップを登っている。

 その様子を、和也は大きなコンテナの影に隠れ、遠巻きに眺めていた。

「あれか……」

 この埠頭に停泊している客船は、あれ一隻しかない。間違いなく、あの船に里平が乗っている。

 身体の調子を確かめる。昨日のプレアデス――指向性散弾のダメージは、まだ抜け切ってはいない。まだ身体の各所が痛むが、戦えないほどではない。本来ならば全身の粉砕骨折と内臓破裂になるはずの攻撃を受けたが、結果は打撲程度で済んでいた。装着者になるにあたって受けた外科処置と投薬による代謝の上昇、各器官の耐力向上の結果かもしれない。

「さて、どうするか……」

 堂々と正面から乗り込むには、リスクがある。里平は護衛――というより子飼いの戦力を連れている可能性があるし、戦闘になれば関係のない人間を傷つけてしまう可能性だってある。

 第三者の被害――。榛名の最期が思い起こされ、首をぶんぶん振って振り払う。

(あんなこと、もう……)

 懐から、一枚の紙を取り出す。四つ折にされたA4用紙だ。

『業務命令書』

 今日の昼過ぎに目を覚ました和也の枕元に置かれていたものだ。

『本日17時出航予定の客船「アクアマリン」に乗船予定の元TDD室長・里平を抹殺せよ』

 会社からの命令という部分が気に食わないが、里平を恨む心の和也としては、好都合な命令だった。少なくとも、この行動の結果から香奈の心配をする必要がなくなった。ただし、後にはこう続いていた。

『また、本業務遂行において発生する人物及び設備の損壊について、これを許容する』

 つまり、周りがどうなろうと、とにかく里平を殺せ。そういうことだった。

 確かに榛名を破滅させる一因となった里平を許せない気持ちは大きいが、無関係な一般人を巻き込んでもいいなどとは思っていない。それではMESやSFTと同じになってしまう。それだけは嫌だった。

 冷たいコンテナの感触を背中に感じたまま、和也はどうするべきかを考えていた。


「じゃ、ミサイルでも撃ちますか」

 同時刻、優樹は淡々と、ちょっと出かけてきますくらいの気軽さで言った。

「いきなり無茶だね……」

 苦笑を浮かべながら、秀平が応える。

 和也が隠れているのとは反対側の、山積みされたコンテナの陰に、二人は立っていた。腰には装着用ベルトが巻かれ、カードさえ読み込ませればすぐにTelF装着が可能な状態である。実は二人も『里平抹殺命令』を受けてここにいるのだった。

「理由は二つ」

 秀平は「ミサイルとか、冗談だよね?」と思っていたのだが、優樹にとっては至って真面目な発言であった。

「乗員乗客八百名、そのうち何人がTDDやSFTと繋がっているかは知りませんが、少なくとも客のほとんどは一般人でしょう。間近で爆発が起これば逃げ出すはずです」

「なるほど。無駄な犠牲を出さずに済むってわけだ」

「はい。無駄な弾を撃たずに済みます。省エネにも」

「……」

 どうも話が噛み合っていない気がしたが、秀平は黙って話を促した。

「そして、戦闘になった際、ケイトスの装備にミサイルは不要でしょう。狭隘な船内では、自分に危険が及びますしね」

 ケイトスの両肩に装備されている二連装マイクロミサイルポッド。装填されているのは両肩合わせて計四発のSALHセミアクティブレーザーホーミング方式と赤外線誘導方式、画像解析誘導方式を兼ね備えた短射程のミサイルだ。一発一発は、そんなに高威力ではない。ミサイル自体の大きさは直径十センチ、長さ二十二センチ程度で、搭載されている火薬はPBXN-106をベースに改良したPBXN-106MSを使用している。火薬搭載量はお世辞にも多くはなく、推進剤も搭載しなければならないことから、『装甲車の装甲をギリギリ貫通できる』威力で『数百メートルの射程を持つ』程度の性能だ。

 威力が低いとはいえ、やはりミサイルはミサイル。狭い通路や室内で爆発でもしようものなら、自身まで爆発に巻き込まれてしまう。そもそも、ケイトス自体が突入の最前線に立つことを想定して造られていないのだが、竜胆寺の「折角だから狭所での戦闘データを取ってくるように」との言により、なぜかバックアップのはずの秀平まで、船内に突入せねばならなくなったのだ。

「まぁ、それはいいとして。いきなり攻め込んだら、里平逃げちゃうんじゃない?」

 素朴な疑問を浮かべる秀平だが、それも尤もだ。危険な事態になれば、まず逃げるのが人間ではないだろうか。

「可能性はゼロじゃない。でも、もし誰か『強力な護衛』がいるとしたら、逆に返り討ちにして、MESへの牽制になるんじゃないか、って考えるんじゃないですか?」

 現に、里平辞職に続くように、欠勤している社員が複数名存在する。その中には、TelF装着者も混じっていた。

「ま、万一ってこともありますから、とっとと始めてちゃちゃっと終わらせましょう」

 優樹は締めくくり、カードを取り出し、ベルトに通す。

『Turn up. MT-System, starting up. Aldebaran activate.』

 電子音声と共に、優樹は赤い装甲を装着する、というより、全高二メートルを超える金属の巨人に体を覆われたと言う方が正しいかもしれない。そして、すぐに機体システムの立ち上げ及び確認を始める。

電子反応炉エレクトロンリアクター起動。全関節、アクチュエータの応答を確認。AMF、電位正常。全兵装バンク、戦闘ステータスでの起動を確認」

 元々第一世代機のカスタム機であるアルデバランはケイトスやゼロと異なり、装着後に別途でシステムの立ち上げが必要になる。カード情報を読ませたしただけでは、ただ着ているだけの状態なのである。つまり、『運搬と装着(搭乗)の手間が省ける』だけなのだ。

「FCS、全兵装とのリンクを確認。システムオールグリーン」

 アルデバランの両目に灯が点り、起動が完了した。

『SIS-System , starting up.』

 続いて、秀平もケイトスの装着を行う。こちらは和也のゼロと同じで、各種緑色の装甲を身に纏い、大きなゴーグル型HMDヘッドマウントディスプレイで顔を覆う。

 赤と緑の兵器がコンテナの陰から歩み出し、二百メートル先の豪華客船を正面に捉えた。

 秀平が一歩前に出る。打ち合わせ通り、ミサイルを撃つつもりだ。

 両踝にある縦長のパーツが、回転して地面に食い込んだ。反動に耐えるためのフットロックだ。両足合わせて四つのフットロックが、アスファルトの地面に食い込んだ。ミサイル発射時には反動相殺のためにミサイルケースから逆噴射があるが、搭載容量ペイロードの問題で、充分な逆噴射を行えない。そのための補助措置であった。

 ケイトスの射撃統制装置FCSにより、秀平の視線移動だけで四ヶ所の複数照準マルチロックオンを行った。発射管が開き、中から赤い弾頭が顔を覗かせる。

 発射。

 白い尾を引きながら、四つのマイクロミサイルは客船側面へ向けて飛んでいく。

 すぐに着弾。船体四ヶ所に命中し、黒煙が上がった。のだが――

「おいおい」

 潮風に撫でられ、消え去った煙の跡には、表面の塗装が剥がれたみたいに鉄色が顔を覗かせていた。船体の爆発に驚いて乗客が次々と外に飛び出し、タラップを降りて我先にと逃げ出そうとしているのは予定通りなのだが、船体が無傷なのは予想外だった。

「普通、客船に積層装甲なんて使わねえだろうよ」

 優樹は呆れかえり、秀平は苦笑い。一般乗客の悲鳴がどこか遠く聞こえた。

「気を取り直して、突っ込みますか」

「そうだね」

 アルデバランの背部スラスターが展開され、巨体が飛び出す。それに遅れて、ケイトスが健脚で駆け出した。


 その光景を、和也は遠巻きに見ていた。

 間違いなく、あれは秀平と優樹だ。なぜここにいるのか、などという疑問は今更抱かない。どうせそういう命令を受けているのだろう。目的は同じはずだ。

 だが、譲る気はない。懸念していた一般人も、次々に逃げ出している。心配はない。

 二人に遅れまいと、和也はベルトを巻き、装甲を身に纏う。

 混乱と悲鳴の渦巻く巨大客船へ船体へと、決意新たに向かっていく。

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