第7話 怒りの矛先

 三分前――

 製紙工場跡から五百メートル離れた高層マンションの屋上に、人影があった。

 石田秀平である。

 彼は今、緑色の装甲を装着している。

 第二世代TelF『SIS-2 ケイトス』。

 高性能の電子兵装と索敵システム、重火砲を備えた支援用機『Superior Intelligent Shooter(高性能知性射手)』シリーズの二号機である。大型ゴーグルと、左右ヘッドギアに併設されたブレードアンテナユニット。両肩には二連装短射程迎撃マイクロミサイルポッド、背中には二門の小口径榴弾砲を装備している。

 さらに、二メートル近い全長を誇る大型スナイパーライフル『バレットM82A4〝メデューサ〟』を、眼下に向けて構えていた。

 秀平の任務は、ゼロ――松井和也の支援である。

 が、正直拍子抜けしていた。

「あーあー、見せつけてくれちゃって」

 抱き合う二人。TelF装着状態なのでコスプレしたバカップルに見えなくもないが、高感度集音マイクと高精度CCDカメラの映像から、何やらハッピーエンドの予感が漂っている。

 さて、これでめでたしめでたし、ってところかな。

 秀平はそう思って、メデューサの照準をジャンパーから外そうとした。

「……?」

 ふとした違和感。

 すぐに外しかけた照準をジャンパーに向ける。

 和也の後方に、浮遊している小型物体を確認。遠隔機動兵器であるハバキリだった。ゆらゆらと宙に浮き、刃先を和也へと向けている。

 どういうわけか、あの女は和也を殺す気らしい。

 これまでのやり取りは、和也を油断させるための演技か?だとしたら、かなりしたたかな女だな。

 ケイトスには高性能な照準機が取り付けられている。ライフルのスコープを覗き込む必要などなく、ゴーグル状のHMDヘッドマウントディスプレイに照準が現れる。

 すぐさま照準補正にかかる。二人の位置からマンションまでは約五百メートル。マンションの屋上は地上約百五十メートル。三平方の定理より、直線距離で約五百二十メートルの計算になる。この距離であの小さな不規則機動の刃を撃ちぬくことなどできない。ならば女を狙うしかない。

 レーザー距離測定。直線距離521.50m。銃口は地上151.60m。

 つまり射角は-16.21°。

 気温14.6℃=287.75K。湿度49.0%。

 北北西の風、風速3.80m/s。

 緯度39.769・経度139.86。

 着弾予想地点の風速データ予測を参照。

 これらの測定と照準決定及び補正に三秒とかからなかった。

 トリガーを引く。

 微細な照準の逸らしによって、頭部に二点射、胴体に二点射。計四発の一六.七ミリ徹甲弾が、時速一一二〇kmで榛名へと迫る。

 結果――

 左こめかみと頸部に命中。

 大脳を破壊。脳髄及び脊髄を破壊。右側頭部及び右顔面欠損。

 左上腕部及び左脇腹に命中。

 装甲貫通。肋骨粉砕。肝臓破裂。心臓破裂。肺臓破裂。

 その他多数臓器・骨格・筋肉・神経細胞破壊に成功。

 HMDに次々と羅列される効果報告が、「仕留めた」と告げた。

 当たり前だが、女が動く様子はない。

「ミッション・コンプリート」

 秀平は装甲を解除し、マンションを降りていった。


 何が起こった?

 和也には、目の前の光景が理解できない。

 榛名とわかり合えた、助けられたと思った矢先、榛名に突き飛ばされ、榛名の顔が……。

「なんなんだよ……」

 彼女の顔は、人体模型のように右半分がなくなっていた。首がげそうになっており、文字通り首の皮一枚で繋がっている。左腕は肘の上辺りで引きちぎれ、身体は不自然な角度に折れ曲がっていた。

 榛名の装着する装甲が、細かな粒子を上げた。装着者の生体信号が途絶したことによる強制解除。そのせいで、さらに悲惨な光景を、和也は目撃する。

 胸部からは数本の肋骨が胸骨から外れ、飛び出していた。背中は大きく抉られ、粉砕された背骨と思われる骨粉が周囲に撒き散らされている。魅力的だったかわいらしい笑顔も、すらりとした陶器のような肢体も、今や昔日せきじつの思い出と成り果てていた。

「なん……だよぉ……!」

 周囲に広がる紅の血潮が大地に吸い込まれる。赤黒いものや、黄色いものや、黄色がかった白が、嘗て人であったものが、いつくしんだ、愛した女が。

「なんだよこれはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」

 変わり果てたむくろを前に、走馬灯のように呼び起こされる数々の榛名との思い出。出会った頃からつい先日家に来た時まで、一瞬で駆け巡る。

「なんであいつが死ななきゃならない!」

 地面に拳を叩きつけながら、和也は喚いた。

「世の中、死ななきゃいけないやつなんていっぱいいるだろう!?」

 確かに、榛名は人を傷付けた。殺した。これが裁きだというのか?殺したから、殺されても文句は言えないと、そういうことなのか?

 榛名のあの涙が、最後に見た安堵の表情が、忘れられない。あんな顔をする少女を、世界は断罪という名で消し去ろうとするのか?

 いや、違う。

 榛名を消し去ったのは、神でも世界でもない。人だ。

 そう、きっとMESの人間だ。

 和也は立ち上がり、見るに耐えない榛名の遺体に背を向けた。

 そして、鬼面となって南の空を見上げる。

 足は、江東区にあるMESビルへ向けられた。



「撃ったのは、誰なんですか」

 和也は帰社するなり、竜胆寺に詰め寄った。

「お疲れさん。帰ったらまずは身体検査スキャニングのはずだぞ?」

 飄々としている竜胆寺。その態度が、和也を苛つかせる。

「誰だって、訊いてるんですけど」

「いいからさっさと服脱いで検査受けな」

 ドスを利かせたが、態度は変わらない。その素っ気無さに、和也は白衣に掴みかかった。

「誰が撃ったって訊いてんだよっ!」

「俺だよ」

 そこへ、横から声が上がった。

 石田秀平である。

「松井君がピンチみたいだから、加勢したんだけど……」

「―――――っ!!」

 その言に、和也は脳内の血管が切れるかと思うほど激昂した。

「どの口が言ってんだよ!!」

 竜胆寺を放し、今度は秀平の胸倉に掴みかかる。

「榛名は、戦うのをやめようとしてたのに!どうして殺したんだよ!」

「状況がわかってないね」

 秀平は薄く笑いの色を滲ませながら、話し始めた。

「ジャンパー――小山榛名は君と抱き合ってる間に、ハバキリで君の背後から奇襲を仕掛けようとしていた。だから、その前に俺が彼女を撃ったんだ」

 秀平は状況を細かく説明した。しかし、それを和也は受け入れようとはしなかった。

「莫迦なことあるか!あんな、泣き崩れてた榛名が――」

 ふと、思い出す。撃たれる直前、何か呟いた後に騒ぎ出し、突き飛ばした行為を。

「むしろ、あんたが狙ってるの知ってて、榛名は俺を突き飛ばして巻き添えにならないようにしてたんじゃねぇのかよ!」

 状況を説明する各ピースが一応のていを取ったと、和也は思った。ならば、やはり悪いのは撃った秀平ではないか。

 ガッ!と痛々しい音が鳴る。和也が秀平の右頬を殴った音だった。

 秀平は殴り飛ばされ、後方の壁に尻餅をついた。

「殺してやるよ!榛名を殺したあんたを!」

 さらに、和也は馬乗りになろうと一歩踏み込む。

「頭に血ィ昇り過ぎだボケ」

 横合いからの蹴り。怒り心頭状態の和也は反応できず、そのまま床を転がった。

「何を…!」

「状況を知れと言われただろう?」

 激情の和也が見上げると、優樹が無表情に立っていた。白衣のポケットに手を突っ込んだ状態で。

「石田さんが送ってきたCCDの映像は俺も竜胆寺さんも見てる。石田さんの見解は間違ってない。俺も石田さんの状況判断は的確であったと思っている」

「なんだよお前まで!」

 即座に飛び起き、瞬時に優樹まで間合いを詰める和也。秀平と同じように、優樹の胸倉を掴んだ。

「お前まで、榛名が俺を殺そうとしてたなんて言う気か!?」

「そうだ」

 泰然たいぜんと、表情を変えずに、優樹はフラットに言い切った。

「SFTの技術に、潜在的深層反射行動というものがある」

 首を締め上げられながら、優樹は説明する。

「どういったトリガーが設定されていたかは知らないが、彼女は君を殺すことが『当然』であるという、深層心理での思い込みがあった。ゴキブリに嫌悪したり、排泄物を汚いと思うのと同じだ。もしくは、熱いものに触ると瞬時に手を引く反射行動に近い側面もある」

 と、説明しながら優樹はポケットから携帯端末を取り出した。それを和也に見せる。

 それは、ケイトスによって撮影された動画だった。和也と榛名が抱き合っている後方で、刃が浮き、和也を狙っているシーンだ。その後すぐに、秀平の四連射によって榛名が撃ち抜かれた。

 和也の手から、力が抜けていった。

「加えて、『微細波動発振装置』のバッテリー切れまであと十秒を切っていた。もし運良く石田さんがハバキリだけを撃ち抜けたとしても、今度は君の身体が爆散していただろうね」

 和也はその場で尻餅をつく。その眼は大きく見開かれ、わなわなと震えている。

 だが、それも束の間。すぐに立ち上がり、出口に向かって駆け出した。お世辞にもしっかりした足取りとは言えなかったが。

「松井君!」

「ほっときな」

 呼びかける秀平を、竜胆寺が制止した。

「いいんですか?」

「大丈夫ですよ」

 竜胆寺に、優樹も賛同した。

「彼が次に取るべき行動、その中で最も可能性が高いものは予想できます」

「偶然にも、そうなった場合を武藤が懇切丁寧に教えてやったばかりだろうからね」

 訳知り顔で話す優樹と竜胆寺。秀平は首を傾げるばかりだったが。

「んじゃ、よろしくな」

「はい。今からスタンバイします。石田さん、行きましょうか」

「え、ああ、うん……」

 状況がよくわからないまま、秀平は優樹と共にビルを出た。

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