第6話 繋がった心、そして―――
そして三日後――
和也は覚悟を決めていた。
現在、葛飾区の製紙工場跡、その広大な土地の只中にいる。
上層部からの命令は『MAZ-3X』の破壊だ。
決してその装着者である『小山榛名』を殺せ、ではない。ならば、TelF装甲だけを破壊し、榛名を取り戻す。そう決めたのだ。
そのための切り札を、和也は竜胆寺から受け取っていた。
『微細波動発振装置』。それを今、和也はゼロの左腕に装着している。見た目は大型の腕時計だが、これがジャンパーの転送機能を阻害する。
転送演算には、複雑な微分方程式の演算が必要になる。この解は、方程式単体では解けない。転送した物質の出現に必要な積分方程式も同様だ。前者には初期条件が必要であり、後者には厳密な積分区間の提示が必要になる。この装置はそれらの数値を狂わせ、上手く計算できないようにするものだ。簡単に言えば、一種のジャミング装置だと思えばいい。ただし、使用できるのは最大で二五〇秒程度だけだ。急ごしらえの上、電力消費も激しい故に起動時間が短時間という制約があった。
「いくぞ……」
ゼロ装着状態の和也、その視線の先には、赤とオレンジの装甲を纏うMAZ-3X ジャンパーが対峙している。
彼我の距離はおよそ二十メートル。
短期決戦で行く。
和也は思い切り地面を蹴り、駆け出した。
ジャンパーも同様に駆け出す。
和也は大型の腕時計に手をやり、『装置』を作動させる。特に変化が見られることはない。空間が歪むこともなければ、何かが聞こえるわけでもない。本当に効果があるのかと疑いたくなったが、竜胆寺を信じるしかない。
女は銃剣の付いた大型拳銃を向けている。対して和也は緑色の装甲を身に纏って女のものより大きな拳銃を構えた。
ダン――!
二つの銃声が重なった。
銃剣を備えた銃が放つ一二.七ミリ弾と、さらに大きな拳銃から放たれる1一六.七ミリ弾。それぞれが相手の頭部目掛けて螺旋・飛翔する。
両者は首を振るだけで回避し、駆けるのを止めない。
いつの間にか、互いの距離は十メートルを切っていた。
女は射撃を諦め、銃剣を刺突態勢に構えた。和也はカードを取り出す。
『Hammer form open. Ratchet Hammer, activate.』
装甲が黒に変化し、右手には身の丈に迫る大槌が召還された。
ハマーフォルムは高い装甲強度と膂力を有している。そのため、装甲は厚く、パワーアシスト機構も大きい。それはつまり、使用者の自由な運動を阻害していることになる。力で圧倒できる代わりに、機動性と関節可動域を著しく低下させてしまっているのだ。
女は刃を胸部に突き立てるが、装甲には薄い傷跡が残るのみであった。そこへ、和也が横薙ぎにハンマーを振るう。
回避はできまい。その為に、こんなゼロ距離にまで追い込んだのだから。
『微細波動発振装置』が働けば、ジャンパーの転送機構はうまく機能しない。だが、それを女は知らない。むしろ、和也が近づいてくるのを好機と捉えてくれるはずだ。急な接近に策略を懸念したところで、女は戦い慣れしていない(榛名はそうであると信じたい)はずだ。瞬時の判断などできないだろう。
バァ―――ン!!
和也の後方十メートルで、小規模な爆発が起こった。
ジャンパーの爆破転送だ。しかし、和也を狙ったはずの転送(無論、和也の機動予測をした上での座標指定)は、後方に逸れてしまったようだった。『装置』は転送自体を不可能にすることはできない。ただ著しく転送精度を下げることができるだけだ。
その効果は絶大だったといえるだろう。僅か一メートルにも満たない距離の転送が、十メートル近くずれてしまったのだから。
爆破地点が逸れ、起きた現象に驚愕する女は、刹那、衝撃にさらされた。
ドガッ!というラチェットハンマーによる一撃である。それにより、五メートル以上吹っ飛ばされ、転がっていった。
(直撃じゃない)
手応えから、和也はそう感じた。インパクトの瞬間、後方に跳んでいた。それがある程度の衝撃を逃がしていたのだろう。
だが、ノーダメージとはいかないはずだ。女の唇はギュッと結ばれている。苦悶と苛立ちの表情が垣間見えた。
ジャンパーはすぐさま座標演算を開始。今度は同時に二箇所の転送を試みる。
くぐもった爆音と、明瞭な爆音がした。
一発は和也から右三メートル、地下一メートル地点で、土が盛り上がり、少量の土が舞った程度。ただし、もう一発が問題だった。
女の後方二メートルの地点、しかも指向性爆弾の転送であり、その爆発エネルギーは転送者本人に向いていた。
女が爆風で前のめりに倒れた。
そこへ、和也が大槌を持って駆ける。決して素早くはないが、重厚な威圧感のある踏み込みだ。
五歩もあれば詰められる距離だった。が、女はそれを許容しない。
「ハバキリ!」
ジャンパーの両肩部装甲にある、細長い直方体の箱。彼女の命を受け、その中から高速で何かが飛び出した。
それは、まるで柄の付いていない両刃の短剣だった。短剣といっても、長さは二十センチに満たない。
それらが計四つ、縦横無尽に宙を駆けた。
『HRN-FX 独立空間機動斬戟兵装〝ハバキリ〟』。装着者の意思を受けて三次元空間を飛翔する刃である。それらが四つ、不規則な軌道を描きながら和也に迫っていった。
ハバキリは転送システムの一部を流用して運用されている。そのため、ハバキリの不規則な軌道は、厳密には計算し尽くされた動きではない。
女は焦っていた。なぜ転送がうまくいかないのか?転送位置がずれすぎる。MESが対策を取ったのだろうか?
すぐに結論に至った。あれは元々はあちらのものだし、不思議ではない。そう思った。
ハバキリは転送ほど複雑な演算を行っているわけではないので、影響はこの程度で済んでいるが、自分の体内に爆発物を転送してしまうリスクを考えると、ハンドガンとハバキリに頼るしか方策がない。
(お父さん、お母さん、直哉……。わたし、やるよ……!)
家族のことを思い浮かべ、女は腹をくくった。どんなことをしてでも眼前の男を倒し、勝利を手にする。そして、やり直す。生き残る。ここでのことが終わったら、また愛しい人のところへ赴き、夕飯を作り、笑い合って、抱きしめ合って……。
決意の最中、MESの男がハバキリの舞の中を駆けてきたため、女は再び戦士として心を殺した。
この飛来する刃――ハバキリの動きが洗練されていないことに、和也は気づいた。狙いが甘い。現に、鈍重なハマーフォルムでもどうにか回避が可能なくらいだ。余計な揺らぎというか、機動に無駄が見られる。それは直感であったが、幼少時から格闘技に通じていた感性が、不自然な印象を与えていた。
(技量か、もしくはジャミングか……)
どちらにしろ、ジャンパー最大の武器であり脅威であった爆破転送が
和也は勝負に出た。そのためのカードだ。
『Lanze form open. Gauge Lance, activate.』
装甲が紫に変じ、大槌の代わりに二メートル近い槍が現れた。左右非対称、大きな矢印のような返しがついている、鈍色の刃部。くすんだ黄色い柄は、装甲色の紫のせいで、どこか映えて見える。
ゲージランス。機動性と空間認識能力を強化した、ゼロの新形態であるランツェフォルム、その武装である。
シュベルトフォルムは移動速度の劇的な上昇を
「いくぞっ!」
周囲を飛行するハバキリの一刀を、槍の一閃で払い落とす。
瞬時にサイドステップし、直上から迫る凶刃をかわす。その勢いでぐるりと回転し、その速度をもって横薙ぎに槍を振るう。払われたハバキリは地面に突き刺さり、行動を奪われた。
後方から迫る、新たなハバキリ。それを、和也は跳躍によって回避し、空中で身体を二回転捻り。その勢いと、右腕の全関節を駆使したスナップで槍を振ると、示し合わせたかのようなタイミングで飛翔刃へ衝突。ハバキリの刀身が割れ、落下した。
ジャンパーはハバキリによる攻撃の隙に、すでに十メートル以上の距離を取っていたが、和也の驚異的な瞬発力で、一足で二メートルの距離を詰めてしまう。
あと三メートルという距離を、和也は一息の合間に詰めた。
女は距離を取るために後方へステップする。
それを追い、和也は槍を振るった。ただし、刃の付け根辺りを握り、石突きを前方に向けた状態で。
柄が、輪切りになった。
それは女の攻撃によるものではない。ゲージランスの柄が十センチ程度の長さでバラバラになったのである。それら一つ一つは互いに高分子ワイヤーで連結されており、まるで多節棍のようだ。ただし、長さがおかしい。元々ゲージランスの柄の長さは一.六メートルだが、伸びきったそれは優に十メートルに届こうとしている。これは第三世代TelF特有の技術で、特殊な状況下での追加物質化機構によるものである。つまり、柄が新たに伸張されている状況なのだ。
その長い連結柄を
柄はぐるぐると女に巻きつき、すぐに動きを封じる。文字通り、手も足も出ない状況にしてしまった。
女は膝をついた。そこからもがこうとするが、からめ取られた腕を開放できず、あっさりと和也の踏み込みを許してしまう。
和也はついにジャンパーの女を拘束し、詰め寄った。
互いの距離は詰まっている。腕を伸ばせば相手の顔に触れられるくらいに。
「榛名っ!」
和也は至近距離で、愛しい女の名前を叫んだ。
女はビクリと震え、和也の紡いだ名前に反応した。
和也はジャンパーのゴーグルを引っ張った。しかし、外れる様子はない。そのため、こめかみの辺り、一番細い部分を握り、握力で潰した。
女のゴーグルを取り払う。
その下には、予想していた通りの顔が現れた。だが、当の本人はまだ状況が飲み込めないようで、驚愕と焦燥に顔を強張らせていた。
「榛名っ――――」
和也は自身のゴーグルに手をかけた。外そうとしたが、なかなか外れない。なので、無理に握り潰す。破壊し、ゴーグルを取り払い、投げ捨てた。
「俺だ!」
ジャンパーとゼロ。二人の男女は互いの素顔を見せ合う。
和也は荒い呼吸で榛名を見据え、榛名は驚嘆に目を丸くした。
「うそ……、な……んで……。かずや……?」
「榛名……」
「なんで!」
状況が飲み込めない榛名は呆然としていた様子を一変させ、取り乱した。
「だって、わたしはお母さんたちを守るために戦わなくちゃいけないのに!そのためにはあなたを殺さなきゃいけなくて…!和也に傍にいてほしいのに!でもわたしは、和也を…、和也を…!いやぁぁぁぁっ!」
今、榛名の思考は混乱の極みにあった。
家族を守る為に戦い、帰るべき場所に和也を求めている。それなのに、前者を得れば後者を殺さねばならず、後者を得ようとすれば家族が苦しんでしまう。
大切な何かを守るためには大切な何かを捨てなければならない。しかし、どちらも生きていく上で必要不可欠だとしたら、一体どうすればいいのだろうか。
「ごめんな、榛名……」
和也の言葉に、取り乱していた榛名が少し静かになる。
「俺、嘘吐いてた……」
和也は榛名にMESの営業職であると告げている。こんな仕事をしているのを知られたくなくて、知ったら榛名が消えてしまいそうな気がして。それが怖かった。
「榛名に、ずっと傍に居てほしかったから……!」
その思いの吐露が、榛名の心に染み入った。
「ごめんね、和也……」
自然に、意識したわけではないのに、榛名は和也と同じ言葉を口にしていた。
「わたし、和也に嫌われたくなくて、ずっと一緒にいてほしくて、嘘吐いてた……」
じわじわと涙が溢れ出し、頬を伝っていく。
「お父さんが警察に捕まって、お母さんは病気しちゃって、そんな状況で、お金が必要になったの。すごく怖くて、でも、弟は高校の受験が、将来があるの!わたしと違って、頭いいんだよ?わたしなんかより、よっぽど優秀なんだよ?だったら、もっと頑張ってほしいじゃない!好きなことさせてあげたいじゃない!」
とても理路整然とした話ではない。しかし、感覚的に、和也には状況が理解できた。
不幸が重なり、心身ともに参った状況下で差し伸べられた黒い手。それが悪手であるとわかっていながら、それを手に取ることしかできない自分。
和也には、その境遇にさらされる気持ちが痛いほどわかった。
「金が必要なら、言ってくれればよかったのに」
和也は契約金として一千万円を貰っているし、年収も計算上六百万円を上回る。借金額がいくらかは知らないが、役に立てたはずだ。
「和也に、お金のことなんて言えないよ……」
下唇を噛みながら、榛名は嗚咽を交えて苦悩を吐き続ける。
「嫌な女になりたくなかったもん……。付き合ってる人にお金を出して貰うなんて、まるでお金目的で一緒にいるみたいで、そう思われるのが怖かったんだもん……。和也にそんな風に見られるのが、怖かったんだよぉ……」
人によっては、彼女の思いを莫迦にするかもしれない。愚かだと
彼女が求めていたのは『笑顔』だ。ただ、身近な人に笑っていてほしかった。笑いかけてほしかった。ただそれだけを求めた結果、それを悪用する人間に出会ってしまった不運なのだ。
「もう、やめよう……」
優しく、努めて柔らかな表情と声で、和也は囁いた。その双眸は、涙に濡れていた。
「榛名はこんなところにいていい
相変わらず、榛名の顔は悲しみに満ちていた。それでも、和也は続ける。
「俺は榛名を苦しみから救い出す!心配するな!俺がなんとかしてやる!だから……」
和也はゲージランスの物質化を解除し、拘束を解いた。そして、目の前の愛しい少女を力強く抱きしめた。
「だから、俺と一緒にいろ!もう、どこにも行くな!」
榛名はより一層の涙を流した。和也が自分を、こんな自分を受け入れてくれたことによる感涙だった。しかし、すぐに自分が重ねた罪を思い出す。
「でも、わたし、たくさんひどいことしちゃ――」
「関係ない!俺が許す!お前と一緒にいるためなら、どんなことだってするさ!」
弱気な榛名を、和也は力強い抱擁で包み込む。
「世界中を敵に回しても、世界が榛名を裁こうとしても、俺はずっと榛名の味方だ!!」
力の限り、和也は叫んだ。とんでもないことを口走っていることなど気にせず、ただありのままの感情をぶちまける。
「俺が、お前を守り続ける!!」
榛名の心は、いつの間にか悲しみの寒さから開放され、温かくなっていった。自分の全てを受け入れてくれた愛しい人。身体は装甲を介しているためわからないが、頬からは和也の体温が伝わってくる。背中に回された腕の力強さが、榛名の弱りきった心を鼓舞してくれる。
「ありがとう……」
完全に涙腺が決壊した榛名は、自身も和也の背中に手を回し、告げた。
「わたし、和也のこと、好きでいていいんだね…?」
「当たり前だ。俺の隣にいるのは、榛名じゃなきゃ嫌だ…」
二人の気持ちは、数分前の緊張状態など夢のように、互いの温もりによって包み込まれた。和也と榛名の間に、改めて固い絆が出来上がった。
それは愛という、わかりやすくも複雑な想いであった。
ふと、榛名は違和感を覚えた。
目の前の男は、自分が愛し、自分を愛してくれる存在のはずなのに。
殺したくて、仕様がなかった。
いや、殺したいなどと思っているわけではない。
寒いと鳥肌が立ち、身体が震える。ゴキブリを見たら、嫌悪が先立つ。そんな当たり前の反応と同レベルの意識で、思考とは関係なく、和也を殺そうと身体が動く。
「やだ…、殺したく……ないのに……」
それはもう、止まらない衝動であり、行動だった。
榛名と抱き合った状態の和也は、彼女の呟きに耳を疑った。
どういうことだ?なぜ榛名はこんなことを……?
それを熟考する暇など、与えてはもらえなかった。
「いやぁぁぁぁぁ!」
榛名が和也を振りほどき、突き飛ばす。
何のことだかわからず、何が彼女をそうさせたのかなどわかるはずもない。
だが、せっかく榛名を助け出すことができたのだ。ここで彼女の手を手放すことなど考えられなかった。
当然のように、和也は手を伸ばす。突き飛ばした榛名の細い手を握るために。
ヒュンヒュン――ヒュンヒュン――――
――ドガバカ――――キュンヒョゥン――――
風を切る音が四つ、何か不可思議な音が四つ、和也の耳に届く。
「――――――っ!?」
眼前で、榛名の頭が弾け、身体が衝撃を受けて転がった。
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