第5話 沈む二人

 戦闘後は身体検査スキャニングを受けるのが規則だが、和也はそれを無視して自宅に帰った。

 なぜ榛名がジャンパーなのだ?

 そればかり、同じ疑問が頭の中で繰り返される。

 ピンポーン―――

 インターホンの音に、俯いた顔が上がる。鬱々とした気分ではあったが、億劫そうに立ち上がり、玄関を開けた。

「こんばんは、和也」

「―――っ」

 榛名だった。思わず息が詰まる。

 いつも通りの、うるわしい笑顔だった。手にはいつも通りスーパーのビニール袋を提げ、夕飯を作りに来てくれたのだとわかった。

 そんな彼女と、つい数時間前まで殺し合いをしていた。

 それが未だに信じられない。あれは夢だったのではないかと思ってしまうほど、ジャンパーの印象と榛名の様子が噛み合わない。あれは実は榛名に似ているだけの、赤の他人ではなかったのか。

 そう思い始めたとき、和也は気づいてしまった。

「榛名、それ……」

 左の額に、大きな傷判が貼ってあった。

 あれはクランプガンでゴーグルを撃ち抜いた際にできた傷痕ではないか。楽観していた思考が現実に引き戻され、呼吸さえ忘れてしまった。

「和也……?」

 悲しげに顔を覗き込む榛名の様子は、紛れもなく『和也が愛する榛名』の姿だ。

「あ、うん。ごめん、大丈夫」

 愕然とする内心を隠しきれないまま、和也は榛名を迎え入れ、夕食を摂った。

 額の傷のことは恐ろしくて訊くことはできなかった。

 榛名は俺のことを知っているのだろうか?

 そんな疑問が脳裏を過ぎる。不安が鎌首をもたげ、沈鬱になる材料ばかりが思い浮かぶ。

 彼女は和也の正体を知って近づき、油断させるためにこうして通っているのではないのだろうか。彼女はあの温もりの下で、冷徹な微笑を浮かべていたのだろうか。

 夕食の味は、いつも通り美味かったが、堪能はできなかった。

 これまたいつも通り泊まっていこうとする榛名に、和也は「仕事を持って帰っているから」という理由をつけて帰ってもらうことにした。

「……ほかに、好きな人、できちゃった……?」

 それを聞いた榛名は悲しげに眼を伏せた。和也の様子がおかしいことに気づいているための行動だった。

「そんなことない!」

 それを払拭ふっしょくするように、和也は声を荒げた。

「俺は榛名じゃないと、嫌だ……!」

 自分に言い聞かせる言葉でもあった。榛名を信じたいがための、必死の自己暗示であったのかもしれない。

「そっか。変なこと聞いて、ごめんね」

 沈んだ表情を仄かに上向け、榛名は微笑を最後に玄関の扉を潜った。

 いつもなら送っていくはずの和也は、綺麗に洗われた食器と、さっきまで榛名が座っていたテーブルの一角を眺めながら、両手を目いっぱい握り締めていた。


 どうしたんだろう?

 帰路につく榛名は、今日の和也の様子を気にかけながら歩いていた。

 まさか、『あんなこと』をしているのがバレたのだろうか?

 いや、そんなはずはない。大丈夫だ。きっと、ちょっと体調が悪かったり、仕事か何かで悩みがあったりするだけだ。

 すぐに自宅に到着する。小奇麗な割に家賃はそこそこの、二階建てのアパートだ。

 和也がいなければ、和也の温もりがなければ、今の自分を保てない。自我が崩壊しそうだ。今日も『あんなこと』があったのだから。和也と一緒に居るときだけは、自分は『女子大に通う十九歳』に戻れるのだから。

 暗い部屋の照明を点け、タンスの奥に仕舞ってある預金通帳を取り出し、中を見る。預金額は『\27,213,115』。とても女子大生の預金額ではない。

「あと、一千三百万……」

 本当は闇金の利子もあるからもっと必要になるだろうが、とりあえずの目標だ。

 今日も、命を賭けたやり取りを行ってきた。戦う事は怖かったが、『あれ』を装着すると、気分が異様に高まって、恐怖を幾分か軽減してくれる。それでも怖いものは怖かった。

 今回は『MAZ-0』との戦闘を行った。怖い戦いばかりで、人も殺してしまったが、これで最後になるはずだった。あの『MAZ-0』を倒せば、二千万円が入るというのだ。

 しかし、手の内が完全にばれているせいか、決着はつかず、横槍が入ったことで撤退を余儀なくされた。

 そんな怖い思いをしたからこそ、和也に癒してほしかった。壊れそうな心を包み込んで、勇気を注いでほしかった。優しく抱いてほしかった。

 沈降していく暗い意識を自覚して、少しでも楽しい時間を過ごせたのだから、それでよしとするべきだと、考え直す。

(だいじょうぶ。これが終われば、全部うまくいく……)

 それは、自分に言い聞かせる、いつもの言葉だった。

 そうしなければ、もっと最悪の現実が訪れてしまいそうな気がしたから。「わたしが家族を守るんだ」という意思と、和也の存在が、小山榛名を支えている柱なのだから。



 翌日になって出社すると、エレベータで白衣を着た男に出くわした。

「あ、松井君。おはよう」

「あ、おはようございます」

 武藤優樹。MES軍需部開発部門第一開発室主査補佐である。二十代半ばの優樹は、挨拶の後、すぐに手元のファイルに目を落とした。

「昨日、身体検査スキャニングに来なかったでしょ」

「あ…、はい。すいません」

 和也は階数表示を、優樹はファイルを見ながらの遣り取りだった。和也は横目で優樹を見るが、見られた本人はファイルから目を離さない。

「竜胆寺筆頭主査から説教だから、すぐ向かってね」

「……はい」

 エレベータが目標階に到着すると、優樹は足早に歩き出し、すぐに見えなくなった。


 優樹の言ったとおり、和也は竜胆寺の説教を丸一時間聞くことになった。


 そのさらに二時間後、竜胆寺の部屋へ優樹が入っていった。

「松井君の身体検査スキャニング結果です」

 USBフラッシュメモリーを手渡し、竜胆寺は受け取って早々、パソコンに繋げた。

「前例がない状態です」

 淡々と、優樹がデータの内容を話し始めた。

「システムからのフィードバックの影響が少なくなっています。かなり顕著に」

「具体的には?」

「システム干渉率二八.九%。装着から三ヶ月では有り得ない数字です。装着一年の石田さんでも、まだ三九.四%ですから」

「となれば、これからが佳境だね」

 竜胆寺はディスプレイに映し出された和也のデータを閲覧する。数値・グラフ化された検査結果を次々に目を通していく。

「そうですね。恐らく、近々彼は〝シラフ〟で戦わないといけなくなります」

 TelF装着者の共通項として、システムからのフィードバックによる影響がある。それは大まかに言えば凶暴性や残虐性を現し、逆に極端な沈静や冷徹化を示すこともある。その効果は時に戦いの恐怖を忘れる麻薬となるが、中には冷静な判断能力を失う『不適合者』も存在する。

 今回の場合で言えば、和也はゼロの装着状態では冷徹で、徹底的な蹂躙と殲滅をしてきた。しかし、先のジャンパーとの戦闘では、よく言えば慎重、悪く言えば臆病な戦いを見せていた。つまり、ジャンパーに対して過剰な恐怖を抱き、必要以上の警戒を見せたということだ。

 優樹の言うとおり、近い将来、和也は『素の自分のまま』戦わなければならなくなる。それは、普通の人間ならば耐えがたい恐怖と苦痛になるはずだ。

「なるほどね。私的見解だが―――」

 竜胆寺は安楽椅子探偵アームチェアディテクティブよろしく、与えられた情報から推察を語る。

「ある意味、あいつは最適合者に近い存在かもしれないよ。システムの影響を早期に除去できる、『機械に呑まれにくい』人間、ということになるからね。帯状回たいじょうかいや前頭葉の働きが他と違うか、ベンゾジアゼピン受容体の活性が高いか……。一度要因ファクターを整理して実験をしてみたいね」

「それも、生き残ったら、の話でしょう」

 興味深く思案する竜胆寺に反して、あくまで優樹は淡々と意見する。

「戦闘ログを確認しましたが、どうやらジャンパーは松井君の知り合いみたいですよ。かなり親しい感じの」

「おやおや」

 どこかおかしそうに、竜胆寺は笑う。

「じゃ、念のために石田でもバックアップに付けるか」

「石田さんにジャンパー殲滅任務を委譲する、という選択肢はないわけですね」

「あくまでわたしは『MAZ-0』の実稼動データが欲しいだけだ。『SIS-2 ケイトス』は支援火器の運用データさえ手に入ればいい。必ずしも前衛を務める必要はない」

 と、そこまで言った所で、竜胆寺は思い出したように優樹を指差した。

「そういえば、昨日の件だが。ガトリングガンはどうだった?」

「アヴェンジャーⅣよりはいいですよ。更に小型化されている分、小回り、という意味では優秀です。散らし方も問題ない。威力は劣りますが、GAU系列よりも現実的な搭載プランだと思います」

「なるほど。この報告はもう?」

「してあります。制式採用火器として申請中です」

「よろしい。あの〝過積載機エクストラマス〟の改修プラン、楽しみにしているよ」

 そう言いながら、竜胆寺は満足そうに頷くのであった。

「いえ――」

 が、優樹は竜胆寺の発言にかぶりを振った。

「あれはもうス〝過積載機エクストラマス〟ではありません」

 『YMT-1』――Metal Tracker(鋼鉄の猟兵)試作1号機。第一世代の後期開発型である機体に付けられたのは愛称ペットネームですらないただの蔑称で鉄クズ《スクラップ》と同義で呼ばれた名であったのだが――。

「YMT-1AE アルデバランです」

 情報化技術の確立によって一.五世代相当となった改修機体の名を、優樹は超然と告げた。


「はぁ……」

 大きな溜息を吐きながら、和也は社内食堂で昼食を摂っていた。

 ご飯に味噌汁に野菜炒めにお浸し。典型的なメニューを前に、箸は止まっている。味はいいものだし、メニューだって自分で選んだ。しかし、心はここにあらず、眼は虚空を見据えた状態であった。

(もう、いいや)

 食欲が湧かない。

 まだ半分も口にしていない昼食のトレーを持ち上げ、席を立つ。

「待て」

 そこで、男の声に呼び止められた。

「武藤さん……」

 そこには優樹(さすがに白衣は着ていない)が、自分のトレーを持って立ち、和也を見下ろしていた。

「全部食べてからにしろ」

 そう言われても、和也には食べる気など起きない。何も口にしないのはよくないと思って足を運んだわけだが、それでも食事をする気分ではなかったのだ。

「いえ、食べられそうにないんで……」

「いいから食べろ」

 椅子から立ち上がろうとする肩を掴まれ、座らせられた。ここまでされたら、憤りを感じずにはいられない。

「武藤さんには関係な――」

「食べ物を粗末にするな」

 ピシャリと、優樹は言い切った。

「そこには犠牲になった家畜の命に加え、生産者と調理師の労力が詰まっている。お前の身勝手な振る舞いが、遠まわしに『お前は無駄死にだ』『骨折り損だ』と告げていると知れ」

 直接は関係ないはずなのに、『死』という単語が、和也の胸に突き刺さる。

「お前は『命』を食って生きている。家畜は食われることで役目をまっとうする。なら、食われずに捨てられた肉は、何のために『生』を奪われた?これは最大限の侮辱だぞ」

 『無駄死に』という単語が、いつ死ぬかわからない身の上に、予想以上に襲い掛かる。

 それに、と優樹は付け加えた。

「お前がフラフラだと、ジャンパーに殺されるよ。谷川君みたいに」

 ゾクっ、と背筋に寒気が奔った。だが、それは同時に相手を――榛名を殺してしまうという、自分の死と併せて感じる恐怖を覚えてしまったからだ。

 戦うのは怖い。これまでみたいに、無感情に戦えない。戦えば、自分も相手も傷つく。死んでしまえば尚更だ。

 死にたくない。それは生物として当然だ。

 しかし、和也が生きるということは、榛名が死ぬことを意味している。その逆もしかり。

「自分は……、戦えません……」

 おのずとつむがれた、弱々しい呟き。そこに確固たる意思などなく、あるのは諦念から来る自棄のみ。

「榛名と戦うなんて、できません……」

 唇を噛みながらの、嗚咽おえつだった。

「……彼女?」

「……はい」

「そう」

 優樹の言葉は素っ気無い。本当にどうでもいいように返答している。さっきは熱弁していたと思ったのだが、何を思っているのかよくわからない人だと、和也は改めて思った。

「じゃあ、やめる?」

「え?」

 予想外の言葉だった。竜胆寺を始め、ここの人間は皆和也に戦うことを強いてきた。やめるか、などと言われたのは初めてだった。

「ただし、それ相応の覚悟が必要だけどね」

 あくまで淡々と、優樹は語る。

「君がこの仕事を放棄した場合、まずは関東第一病院にいる松井香奈の『放棄』が決定されるだろうね」

 妹の名前が出た途端、再び和也の背筋が寒くなる。反旗をひるがえせばそういう結末が待っているとは薄々分かっていたが、いざ突きつけられると堪らないものだ。

「それに加えてMAZ-0の回収後に新たな装着者の選定が始まる。旧装着者である松井君の処遇は、よくて監視付き、悪くて『処分』される」

「そんな、まるで人を物や実験動物みたいに…」

「何言ってるの。MESにとって、君は『物』や『実験動物』だ」

 和也の反論を、優樹は無感情にあしらった。

「ここでの食事だって、タンパク質と脂質、炭水化物、無機質の管理や栄養摂取の相乗効果まで行き届いた、合理に適うメニューだ」

 俺は実験動物じゃない、と叫びたい衝動に駆られるが、できなかった。自分の惨めさを痛感してしまった。選択肢などないと、暗に告げられたようなものだからだ。

「落ち込んでいるようだけどね、もっと前向きに考えてみたら?」

 トーンのやや柔らかくなった声で、優樹が言う。

「松井君にジャンパーを任せている今なら、殺す以外にどうにかできると思わない?」

 その声は、これまでと違い、どこか慈愛を感じさせた。

「もし誰かに、例えば石田さんにジャンパーの相手をさせた場合、間違いなく待っているのはどちらかの死だ。石田さんが爆死するか、ジャンパーの装着者が蜂の巣にされるか」

「自分に、どうしろっていうんですか?」

「別に。ただ、後で後悔しないように、現状での最善を尽くしたら、ってことだよ。少なくとも、今松井君は状況を打開できる『可能性』を持っているんだから」

 いつの間にか、優樹の食器は空になっていた。いつの間にか食べ終わっていたらしい。茶碗には米粒一つ残っていない。

「じゃ、お先に」

 優樹は食べ終わって早々に、席を立ち、食堂から去っていった。

「後悔……しないように……」

 和也は先ほどのやり取りを反芻しながら、覚束ない手つきで昼食を再開した。


「激励ご苦労さん」

 竜胆寺は戻ってきた優樹に対してニヤニヤ笑いながら、開口一番、

「よくもまぁ、あんな歯の浮くようなセリフが吐けたものだ」

 呆れと嘲りを混ぜた様子で言った。

「聞いてたんですか?」

を監視するのが、わたしの仕事だからね」

「そうでしたね」

 溜息混じりに、仄かに笑う。

「安心してください。松井君、まだ戦ってくれますよ」

「それは重畳ちょうじょうだ」

 満足そうに、竜胆寺は頷く。それから、優樹に紙の資料を手渡した。

「…………ケイトスの新型ライフル、ですか?」

「そうだ。バレットM82A4〝メデューサ〟。格好いいだろう?」

「てっきり、XM109あたりのカスタム仕様が採用されると思ってましたが」

「あれはHEATやHPいけるから考えたが、初速が遅い。いくつか状況を想定したら、こっちのカスタムになったのさ」

「なるほど……。どちらにしろ、M82系列のセミオートスナイパーライフルですか……。個人的にはイズマッシュ社を推してたんですが、残念です。弾丸は一二.七×九九ですか?」

「まさか。一六.七×一〇五ミリAP弾だよ」

「そのサイズの徹甲弾を人に向けて撃とうっていうんだから、改めて無茶苦茶なことしてるのを自覚しますよ。それに――」

「なんだい?」

「〝ケイトス〟に〝メデューサ〟ってのは、どんな皮肉ですか?」

 ケイトスとはトレミーの四八星座の一つであるくじら座の元になった怪物の名前である。ケイトスは巨大な海の怪物であり、生贄のアンドロメダ王女に襲い掛かった際、勇者ペルセウスによって退治された。そこで用いられたのが、見たものを石に変えるメデューサの首だったのである。

「ちょっとしたユーモアだ」

「石田さんに同情しますよ」

 そう言いながらも、優樹は竜胆寺と共に仕事に戻るのであった。

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