第55話 突然のお達し
「真知子ちゃん」
「えっ」
朝、廊下を歩いていると、私は突然看護婦さんに呼びとめられた。
「先生が呼んでいるわよ。診察室に行って」
「えっ、は、はい・・」
何だろう。突然のお達しに私は訳が分からなかった。今日は診察の日ではない。
「あなたはもう大丈夫そうだから、自宅療養に切り替えて様子を見ようと思うの」
開口一番榊さんが言った。
「えっ」
私は、いきなりの話に困惑する。突然のお達しだった。
「私は治ったの?」
自問してみる。が、よく分からなかった。
しかし、それはすでに決定だったらしく、親ともすでに相談済みだった。また私は、入院の時と同じように、私のことなのに私に何の相談もなく、重要な退院のことを勝手に決定されていた。私はまた蚊帳の外だった。
「あなたは見ていても、周りの子たちと比べてしっかりしているし、大丈夫、
退院してもちゃんとやっていけるわ」
榊さんがやさしく言う。
「・・・」
何かトンチンカンなことを言われている気がしたが、あまりに突然のことに、考えが頭の中でうまくまとまらなかった。私の何が大丈夫なのか、まったく判然としなかった。私はしっかりなんかしていない。全然していない。私は常に不安で不安定で、いつも何か頼りになるものを探している。
「あなたならやっていけるわ。大丈夫」
「・・・」
この人は私の何を知っているのだろう。何を分かっているのだろう。そんな疑念が私の頭を覆った。
診察室を出た私は、堪らない不安の中をふわふわと歩いていた。大丈夫なのだろうか。私は大丈夫なのだろうか。まったく考えもしていなかった急展開に、私は堪らなく不安だった。
まだ、玲子さんの死すらも受け入れられていない頭の混乱した状態の私は、突然、退院することになったその事実をどう受け止めていいかすらが分からなかった。
「・・・」
確かに、過食や拒食は治まっていた。
「でも・・」
でも、自分が変わったとは思えなかった。しっかりと自分が変わったという実感がなかった。
私は自分が病人だという自覚のないまま入院し、治ったという自覚のないまま退院することになった。私の何が変わったのだろうか。私にはまったく分からなかった。
「なんだって?」
診察室を出て共有スペースまで来ると、すぐに美由香が寄って来た。どこで聞きつけたのか私が診察室に呼ばれたことを美由香は知っていた。美由香は、いつも情報が早い。
「うん・・」
まだなんだか頭の中でうまくまとまらず言葉にならない。
「ほら、新人だぜ」
ふいに美由香がエレベーターの方を親指で指し示す。
「えっ」
見ると、入口から母親につき添われ、まだあどけなさの残る女の子が入って来た。とても不安そうで、力なくうつむいている。
「・・・」
私が入って来た時もあんな感じだったのだろうか。
「美由香、私、退院することになった」
私は美由香に言った。何かアドバイスをくれると思った。退院を寂しがってくれると思った。だが、美由香の反応は、私が期待していたものとは違った。
「お前も裏切るのかよ」
「えっ」
美由香は私を睨む。
「・・・」
裏切る?言っている意味が分からなかった。何でいきなりケンカ越しなのかも分からなかった。
「まあ、またすぐに戻って来るさ」
美由香は冷たくそう言って、行ってしまった。怒っている雰囲気を滲ませていた。
「・・・」
私はさらに混乱した。
――いつも不安だった。誰かと仲よくなる度、またすぐにみんな私の下から去って行ってしまうんじゃないか・・、私を嫌いになってしまうのではないか・・、私という存在にがっかりするのではないか。実際その通りになった。みんないつも私から去って行ってしまう――
人から嫌われる。私はそのことにいつも怯えている。
「・・・」
不安だった。一人部屋にいても不安は増すばかりだった。
「・・・」
私は自分の部屋のベッドで一人、打ちひしがれていた。美由香のあの冷たい態度が気になった。気になって頭から離れなかった。私は嫌われている。やっぱり私はダメなんだ。私は、ここでも嫌われる。そんな人間なんだ。
堪らない、不安と寂しさと、疎外感が私を襲っていた。私は孤独だった。また私は世界で一番孤独だった。今まで忘れていた、またあの堪らなく寂しい自分に私は戻っていた。
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