第54話 玲子の死
「あなたは、芦原さんと仲がよかったものね」
榊さんが言った。診察の時間。
「・・・」
私はただ黙ってそこに座っていた。そうじゃなかった。そういうことじゃなかった。
「私も友人を病気で失ったことがあるの。本当にあの時は辛かったわ」
「・・・」
だから何だ。あなたの友だちの死なんか私に関係ない。そうじゃない。そういうことじゃない。玲子さんが死んだってことはそんなことじゃない。
「芦原さんのことはとても悲しいことだったわ。でも、受け入れるしかないわ」
「・・・」
悲しいとか受け入れるとかそんなにかんたんに言って欲しくなかった。あれはそんなことじゃなかった。
「あれは・・」
あれは私のせいだった・・。私がもしあの時・・。
「もし、辛かったら言ってね。何かお薬出すから」
「はい・・」
私はうつむいたまま診察室を出ると、とぼとぼと廊下を歩いた。やっぱり、診察もカウンセリングもなんの心の助けにならなかった。
共有スペースには、いつものように患者たちがいて、いつものように過ごしている。まるで何事もなかったみたいに、そこにはいつもの時間と空気が流れている。
「・・・」
私は無力にその共有スペース中央の通路を歩いて行く。
「真紀・・」
その先に真紀が立っていた。近くに行くと、真紀は私を見上げる。
真紀の様子がおかしかった。ものすごく機械の振動のように全身が小刻みに震えている。
「真紀、大丈夫?」
「玲子さん死んじゃったの?」
真紀が不安げな表情で私を見てきた。まるで幼い子どもが母の死を訊ねるようだった。その姿に私の胸は痛む。
「・・・」
真紀には、どう伝えていいのか分からず、まだ誰も玲子さんが死んだことを伝えていなかった。だが、どこかで聞いたのだろう。真紀はそのことを知っていた。
「・・・」
私は、何と答えていいのか分からなかった。それくらい真紀の表情は、今にも壊れてしまいそうに、不安で溢れていた。
「うん・・」
でも、伝えないわけにはいかなかった。いずれ真紀は知ってしまう。私は胸の引き裂かれる思いでうなずいた。
「真紀?」
真紀の反応はなかった。真紀は電池の切れたロボットみたいに固まった。そして、倒れた。
「真紀っ」
私は倒れた真紀を慌てて抱きとめた。
「誰か。誰か来てください。誰か。真紀が、真紀が」
そして、私は叫んだ。病院のスタッフが何人か慌てて駆けつけて来るのが分かった。
「誰か、誰か」
それでも私は叫びつづけた。
「私のせいだ」
私は一人部屋の中で苦悶する。堪らない自責の念が私を襲う。私のせいで玲子さんは死んでしまった。私があの時、ちゃんと玲子さんに美由香の言ったことは気にしないでって、玲子さんなら絶対に幸せになれるって伝えていたら、玲子さんは死なずに済んだ。そう思った。絶対にそうだった。
「私のせいだ」
私は自分を責めた。責めずにはいられなかった。私は頭を抱えた。
「私がもっと・・」
私がもっと、玲子さんの苦しみに気づいていたら・・。そして、何かしていれば・・。
「美由香」
共有スペースのいつものソファに美由香がいた。まるで何事もなかったみたいに、いつもの日常を平然と過ごしている。その表情に陰りの影もない。
「美由香」
「おう」
いつもの美由香だった。
「美由香は平気なの」
「何がだよ」
「玲子さんが死んじゃったんだよ」
「あたしにどうしろって言うんだよ」
玲子さんの名前を出したとたん、美由香はうざったそうに言った。
「私たち友だちじゃなかったの」
「・・・」
「私たち仲間じゃなかったの。いつも一緒にいたじゃない」
「・・・」
「私たち、一緒にいつも一緒にいたじゃない。一緒に病院を脱出して町に行ったじゃない」
「・・・」
しかし、私の言葉はまったく美由香には届いていないみたいだった。ただ、うざったそうな表情で私の話を聞いている。
「玲子さんが死んだのに、美由香は悲しくないの」
「死んだもんはしょうがねぇだろ」
「でも、玲子さんが死んだんだよ」
「あたしにどうしろって言うんだよ。あいつが自分で死にたくて死んだんだ」
「でも、もっとなんか・・」
「死にたい奴が死んだんだ。しょうがねぇだろ」
「でも、もっと」
「うるせぇんだよ」
美由香は行ってしまった。
「・・・」
――気分が移り気で、いつも私は大切な物を自ら捨ててしまう。でも、失って初めてその物の大切さに気づいて、でも、その時にはもう遅くてその大切な物は、もうその物の懐かしさだけを残して私の前から消えている――
「玲子さん・・」
やさしくてとても理知的だった。あんなにきれいで、頭もよくて、ピアノもうまくて、家もお金持ちで・・、それでなんで死ななきゃいけないの・・。私は自分がどうしていいのか分からなかった。私はそうなれば幸せになれるというその先が玲子さんだった。その玲子さんが死んでしまった。自ら死んでしまった。
「どうしたらいいの・・」
私の目の前は真っ暗だった。
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