第30話 食べ放題

「おっ、ここでいいじゃん」

 駅前まで来ると、美由香が一軒のお店を見上げる。そこは焼肉食べ放題のお店だった。私たちはそこに入った。

「・・・」

 そこは、バイキング形式のお店で、私の目の前に、色とりどりの肉やらカレーやらお寿司やらケーキやらフルーツやらがズラリと並んでいた。しかも、それはすべて食べ放題だった。

「ゴクッ」

 私の喉が鳴った。やばい、私は思った。こんなの過食してくれと言わんばかりのシュチュエーションじゃないか。

「やったぁ。食うぞぉ」

 しかし、私のすぐ隣りでは美由香と真紀が興奮し、大はしゃぎして、手にした大皿にこれでもかと、あれもこれもてんこ盛りに、片っ端から肉や料理を乗せていく。

「・・・」

 私も、仕方なく美由香たちの後を追うようにお皿を手に取った。

「さあ、食おうぜ」

 席に着くと、テーブルには、そのスペースいっぱいに、美由香たちが持って来た山ほどの料理の乗った皿が並んでいた。

「・・・」

 私はその光景を目の前にして固まっていた。

「大丈夫?」

「は、はい」

 隣りの席の玲子さんが気を使って声を駆けてくれる。

「う、うまい」

「うまいうまい」

 しかし、そんな私の目の前で美由香と真紀は早速肉を焼き始め、その焼けた端から肉を口に放り込み、大はしゃぎだった。

「何年ぶりだよ。焼肉なんて」

 美由香は感動している。

「やっぱ病院食は最低だな」

 美由香が真紀を見ると、真紀も激しくうなずく。

「どうしたんだよ」

 美由香が向かいの私を見る。

「うん・・」

 私も恐る恐る焼けた肉に箸を伸ばす。そして、掴んだ肉を口に入れる。普通においしかった。食べたい。もっと食べたい。そんな欲求が湧き上がってくる。また戻ってしまう。あの、食べて食べて、食べ疲れて、それでも食べて、止まらなくて、死にたくなって、そんな惨めな私に・・。


 ――食べて食べて、餓鬼のようにただひたすら食べて・・。食べても食べても満たされない。むしろ食べれば食べるほど飢えていく。お腹ははち切れそうなのに、私の心はどんどん飢えていく・・。食べても食べてもお腹に詰め込んでも詰め込んでも満たされない空虚感がどんどん大きくなって、それでも食べることをやめられなくて、何をどうしていいのかもう訳が分からなくなって、私は私を見失い、狂っていく――


「・・・」

 しかし、普通にお腹いっぱいになった。普通にご飯一杯と、お肉を何切れか食べ、それでお腹はかんたんに満たされた。我慢するとかではなく、心の底から本当にもういいという感覚があった。

 私はもともと小食でご飯一膳でいつもお腹がいっぱいになっていた。その時の感覚だった。食べたくても、もういいという、その感じだった。

「あたしもういいや」

 美由香がソファ型の椅子に、どかりと思いっきり背をもたせかけながら言った。まだ食べ始めてそれほど時間も経っていない。さっきまで食うぞぉとはしゃいでいた割に、すぐにお腹いっぱいになる美由香だった。

「もう、全然食べてないじゃない。自分で持って来たお肉ぐらい全部食べなさいよ」

 玲子さんが怒る。勢いよくてんこ盛りにしたお肉はまだ半部も減っていない。それ以外にもお寿司やら唐揚げやらサケのマリネやらがてんこ盛りに残っている。

「もうお腹いっぱいなんだもん」

 美由香は膨れたお腹をさする。線が細いし、美由香も食が細いのだろう。その隣りでは、小柄な真紀も早々にお腹をいっぱいにして椅子にもたれその膨れたお腹をさすっている。

「もう」

 玲子さんは呆れていた。

「どうするのよこんなに持ってきちゃって」

 お皿に取り、持ってきたものは全部食べる。それがこの店のルールだった。

「しょうがねぇだろ。お腹いっぱいなんだから」

「はははっ」 

 私は思わず、そんな美由香の姿に笑ってしまう。

「ほんとしょうがないわね」

 そう言って、残りのお皿の大量の料理を結局玲子さんが全部食べた。

「玲子さん、意外と大食いなんですね・・💧 」

 意外と美由香よりも頼りになる玲子さんだった。


 私たちは店を出ると、再び町を歩き始めた。

「・・・」

 私は緊張していた。どうか知り合いとか、同級生に会わないでくれ。そう願っていた。私は怖かった。今の自分を見られるのが。堪らなく怖かった。

 だが、狭い郊外の田舎町。いつどこで誰に合うか分からない。ちょっと、家の近くのコンビニに入っただけで、知り合いに会ったりする。そんなところだ。だから、知り合いや、同級生たちに会う可能性は非常に高かった。

 しかし、駅前の繁華街をうろうろしていても、意外と同級生はおろか知り合いにすら遭遇しない。私はほっとした。私の心配し過ぎだったらしい。

「あっ、まちじゃん」

 その時だった。背後で声がした。私は振り返った。私はその声をかけてきた子の顔を見て戦慄した。

「・・・」

 それは、同級生、しかも一番会いたくなかった小中と同級生だった矢川と中川だった。私は愕然とする。私が一番恐れていたことだった。

「あんた精神病院に入院したって聞いたよ」

 矢川たちは私を覗き込むように見つめた。やっぱり知っていた。

「大丈夫?」

 しかし、言葉とは裏腹に二人の口元は笑っている。

「・・・」

 私の口はわなわなと震えた。みんな知っている。みんな私が精神病院に入院していることを知っている。私は全身が凍っていくみたいに冷たくなっていくのを感じた。今見ている現実の感覚までが凍っていくようだった。

「まち、大丈夫ぅ」

 二人が私をさらに覗き込む。その目が好奇心にキラキラと輝いていた。二人が優越感丸出しで私をバカにしているのがはっきり分かった。

「・・・」

 しかし、私は何も言えなかった。私は黙ってその場にうつむくしかなかった。

「みんな心配してるよ」

 絶対にしていなかった。でも、そんなこと絶対に言えなかった。

「・・・」

 私はただその場に惨めに凍っていた。

「おいっ」

 その時、美由香が二人のすぐ隣りから声をかけた。

「えっ」

 二人が美由香を見る。

「あたしはさ、今血に飢えてんだよね」

「は?」

「あたしって、頭おかしいからさ」

「何言ってんのこいつ」

 しかし、背の高い不気味なことを言う美由香に二人はたじろぐ。

「精神病院から抜け出してきたばっかなんだよね」

 と言ったかと思うと、美由香は、いきなり矢川の首元に嚙みついた。

「ぎゃぁ~」

 矢川が猛烈な叫び声を上げる。

「あたしは、若い女の血と肉が大好物なんだ」

 そして、美由香が、わざと狂った人間の顔を装い、二人に顔を思いっきり近づけて言った。その目つきは迫真に迫っていた。

「ああああ」

 二人はもう、怯えに怯え、顔だけでなく全身を引きつらせていた。

「がおお~」

「ぎゃあああ~」

 最後に美由香が飛び掛かる真似をしてとどめを刺すと、矢川と中川は飛ぶようにして逃げていった。

「精神病者舐めんなよ」 

 その背中に美由香が言い放った。

「ありがとう、美由香」

 私が美由香を見る。

「精神病者の怖さを思い知らせてやっただけさ」

 そう言って、美由香はさらっと笑った。

「もう、私まで同じ人間だと思われたわ」

 しかし、その隣りで玲子さんは不満そうだった。でも、その隣りで真紀が大はしゃぎで笑っていた。私もそんな真紀と同じ気持ちだった。

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