第29話 ヒッチハイク

 長々たっぷりともう無理ってくらい温泉の湯につかり、ちょっとのぼせ気味に温泉から出ると、私たちはまた歩き出した。

「どこ行くの?」

 前を歩く美由香に私は訊く。温泉に浸かり、気持ちよくほわぁっとした頭に、田舎の涼やかな風がどこか清々しい。

「町だよ」

「えっ」

 結局、やはり町に行くのか・・。

「当たり前だろ」

「・・・」

 確かにそうだった。行くところといえば町しかない。田舎にいたって何もない。

「・・・」

 しかし、私は不安だった。

「どうしたんだよ」

 美由香がそんな私を見る。

「ううん、なんでもない・・」

 知り合いに会うかもしれない・・。同級生たちに会うかもしれない・・。私の脳裏にその不安がよぎる。


 ――借りていたDVDを返そうと、レンタルビデオ屋に行くと、そこで中学の時の同級生にばったり会った。隣りには背の高い格好いい彼氏がいた。「は~い」その子は、私に気軽に声をかけてきた。私は戸惑う。同級生だった頃は、私になんか、ほとんど口も利いたこともなかった同級生だった。彼女は知っていた。私が高校に行っていないこと、心の状態がおかしいこと。狭い町の狭い人間関係。そんな噂はすぐに広まった。だから、彼女は知っていた。知っていたからこそ、私に声をかけてきた。その子の顔には、うれしそうな絶対的優越に満ちた表情があった――


「何してんの?」

 山道を抜け、大きな道路に出ると、美由香が何やら右手を上げている。

「ヒッチハイクだよ」

「えっ」

 私は驚くが美由香はマジだった。美由香は道路を走る車に向かって右手を上げ続ける。

 だが、もちろんそうすぐに車が止まるわけもない。

「こんなことして本当に止まるの?」

 次々、過ぎゆく車を見つめながら私は呟く。

「当たり前だろ。こんなピチピチの若い女が四人もいて止まらないわけないだろ」

 その自信がどこから来るのか、美由香は自信満々だった。

「ふ~ん」

 でも、私は信じられなかった。海外の映画なんかではよく見るが、日本で見も知らぬ車が止まって乗せてくれるなんて、そんなことが本当にあるのだろうか。

「へぇ~い」

 そこに、のろのろと他の車とは違い、ゆっくりとこの忙しない競争社会をものともせず、のんびり走る軽トラがやって来た。それにすかさず美由香が大きく親指を突き出した右手を突き上げる。

「あれは止まるぜ」

 美由香が私の方を見て、予言する。

「・・・」

 私は半信半疑だった。

 だが、私たちの前にその軽トラは止まった。

「止まった・・」

 今目の前で起こっていることなのに、私はそれでも信じられなかった。

「町まで行きたいんだけど」

 早速、美由香が運転席の横に行き、その人のよさそうなおじいさんに駆け合う。

「ああいいよ。荷台に乗りな」

 おじいさんは気軽に言った。

「田舎の人間は人がいいんだ」

 美由香が私に振り返り言った。

「・・・」

 今まで、長い時間歩いていたのがなんだったのかと思うほど、私たち四人を乗せた軽トラは、流れるように田舎道を軽快に走っていく。

「・・・」

 しかし、軽トラの荷台に揺られる私たち四人の女の子。客観的に見てどうなのだろう。同級生には絶対に見られたくない姿だと、私は思った。


「・・・」

 町に着き、私は少し驚く。入院してから、それほど日にちは経っていないはずなのに、なんだかそこは、別の世界みたいだった。ずっと、自分が住んでいた町なのに、同じ景色がまったく違って見える。

「さっ、行こうぜ」

 おじいさんにお礼を言って、私たちは町の中へと歩き始める。

「・・・」

 やはり、そこは、同じ町のはずなのに、パラレルワールドの世界の別の町のようだった。私はそんな町を、ふわふわと、寄る辺ない不思議な感覚で歩きながら、その町並みを眺めていった。

「ああ、腹減った。なんか食いに行こうぜ」

 駅前の近くまで来ると、美由香が言った。確かにお昼も大分過ぎ、私たちは、散々歩いてパン一つとコーラ、それと板チョコの欠片しか食べていない。

「でも、お金ないよ」

 私が言う。

「まあ、それは何とかなるさ」

 美由香が意味ありげに玲子さんを見た。

「もう、しょうがないわねぇ」

 玲子さんは、そう言いながら、たまたま近くにあった銀行を見つけそこに入って行った。

「あいつの家は金持ちなんだ。しかもべらぼうな」

 美由香が、耳元に顔を近づけて、私に囁くように言った。

「・・・」

 やはり、どこか他の人とは違う、気品のようなものを感じるのはそういうことなのか。私は思った。

「さっ、何食べる?」

 玲子さんが戻ると、美由香が全員に向かって訊ねる。

「うどん」

 真っ先に、思いっきり勢いよく右手を上げ、真紀が言った。

「なんでだよ。そんなもん病院でも食えんだろ」

 しかし、美由香が即座にその意見を一蹴する。美由香に否定され、真紀は上げた右手と共に体ごと身を縮こませる。

「私は・・」

 私も自分の食べたいものを言おうとした。しかし、そこで私は躊躇した。過食している自分の姿が脳裏をよぎる。怖かった。食べることが怖かった。

「私はカレーが食べたいわ」

 そんな私の隣りで玲子さんが言った。

「何でだよ。それも病院で食えんだろ」

 それにも美由香は文句を言う。

「じゃあ、何が食べたいのよ。美由香は」

 玲子さんが言い返す。

「せっかくしゃばに出たんだ。ここはやっぱり、焼肉じゃね」

「昼間から?」

「昼だろうが夜だろうが焼肉は焼肉だよ」

「焼肉焼肉」

 すると、真紀が、うれしそうにはしゃぎ出す。

「ほらみろ」

「もう、しょうがないわねぇ」

 やさしい玲子さんは、そんな真紀に合わせる形で同意した。

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